ep.20 血縁
ある日、若い男が訪ねて来た。風体の悪いゴロツキで痩せっぽちで小狡い狐顔をしている。その男は、助五郎の屋敷の玄関先でこう言った。
「俺は、八助ってもんだ。助五郎って人に伝えてくれ、俺は五八の妹、フキの子。従兄弟が訪ねて来たと言ってくれ」
助五郎は憮然として、玄関先で対応した。
「五八さんには、確かに昔世話になった。だが、お前とワシが従兄弟同士と言うのは話が全く見えん。一体どう言う事だ?」
八助は下卑た嗤いを浮かべて答えた。
「旦那、五八は旦那の親父です。身分違いで泣く泣くあんたを産んだ女と別れさせられましたが、五八と旦那に血の繋がりのあるのは間違いない。だから、あのケチな男が旦那の世話を親身になって焼いていたんだ」
その言葉に驚いた助五郎は、半信半疑ながらも八助を屋敷へと引き入れた。
「五八さんは、元気か?」
「死にましたよ、とっくに」
「そうか…… あの人には世話になった。何も出来ずに悪い事をしたな」
「爺さんは、ずっと助五郎さんのおっ母の墓を、大事にしてましたよ。俺は、旦那があの爺さんの子供とは知らなかったんで、あんまり不思議だったから、聞いてみたんですよ。『爺さん金を借り逃げした奴の親の墓を、なんで大事にするんだってね』そうしたらあの爺さん、なんて言ったと思います?」
「……なんて言ったんだ」
「『あいつの母親を幸せにしてやれなんだ、可哀想な事をした。あいつに罪はねえ、全ては儂のせいだ。せめての罪滅ぼしに墓を守ってやってる。そうしてりゃ、どこかで生きとる助五郎も救われる』…って言ったんすよ」
助五郎の視界が、一瞬歪んだ。憎み続けた村での忌々しいはずの過去が、五八が言ったという『救い』の言葉で、急激に思い出が良いように塗り替えられていく気がした。
気がつくと、助五郎は黙って天井を見上げていた。
「我が子だから、そんな風に思ったんでしょうかね?」
八助は冷めた態度で、外の景色を眺めてる。助五郎の目は心なしか、眼が潤んでいるように見えた。
…意外にチョロいなこのオヤジは
八助はニヤリと嗤い、パッと両手を付くと頭を下げた。この男は先のことなど何も考えていない。ただ目先の利を得ることに長けた、浅はかでずる賢いだけの男だった。
「俺今日から、旦那のことを助五郎って呼んでもいいっすかね? 実は俺、行くとこがねえんだ。オジキ、しばらくの間で良いから俺をこの屋敷に置いてくんねえかな」
と八助はいったが、それから出ていくこともなく、ずっと屋敷に居座っている。不思議なことに八助が屋敷に住み着くようになると、それに釣られたように昔の舎弟も、助五郎を頼って集まってくるようになった。
「仕方ねえな、こうやってワシを頼って来たからには、面倒をみてやらなきゃならん」
と助五郎はまんざらでもない様子であっさり八九三稼業に舞い戻った。身についた悪業から離れる事が出来無かったという事だろう。
一家を構えると、助五郎はすぐに昔のやり方で博打場、金貸し、売春の斡旋などを始めた。ただ、義理を通さず派手にやり過ぎると、周辺の八九三に睨まれる。
まだ生まれたばかりの組織を潰す事などそいつらにとっては簡単な事だ。
助五郎は、助五郎一家を守るために、近辺の町や村や町を仕切る八九三と話をつけに出掛けた。だが、交渉相手はそれだけでは済まなかった。
昔から子毛はこの辺りの代官である和久家と特殊な繋がりがあった。
助五郎は、近辺の八九三に挨拶まわりをしながら、和久家の当時の当主である高久や、その主人筋である尾張家まで出向き、賄賂と引き換えにお目溢しを願い出た。
その為に助五郎は長い間、子毛を留守にする事になってしまった。
帰って来ると陶の顔色を伺いつつ、裏ではこれまで以上に悪行に手を染めていった。コソ泥のような真似を卒業し、恐喝、暴力、誘拐、人身売買、そして殺人まで悪事に手を染めてないものはなかった。
堺で過ごした若い頃は、親分達の人の道を大きく外れた所業を見て『とてもじゃ無いが俺にはできない』と目を背けていたが、いまはその犯罪を平気で行えるようになった。かつて親分達に対して持っていた『畏怖と反発』という対抗心が無くなると、こんな簡単にできるものかと、助五郎は自分自身に驚いていた。
...あの時、堺の八九三の人畜生どもと肩を並べられなかったのは、ワシがあの畜生共を、ただ恐れて嫌悪していただけだったんだ、いまや、恐怖の対象であった悪行こそが、ワシの欲望を満たすための一番の道具で、ワシはその道具を自由自在に操れる側の人間なのだ。
此処には助五郎の力を押さえられる圧倒的な暴力は無い。この町では、全てが助五郎の思うまま自由に出来たが、こんな山の中にある田舎町でどれほど力を持つことができても、全国の裏界隈に名を轟かせるような八九三組織を作れる希望はない。
小さな宿場町、身の程をわきまえて、数えるほどの子分と微々たるシノギ(稼ぎ)で細々と生きる。
...これが、わしの限界か
と半ば諦めていた。
それが、天下普請の工事のおかげで状況が変わる。その旨みについて考えると、自然と助五郎口元には笑みが溢れて来る。
...ワシにも、幸運が巡ってきたぞ
現在が助五郎にとって、我が世の春と言っても良いほど、人生最高の時期だった。ただ、ほんの少しチクリと心の臓の片隅に棘が刺さっている。
『嘆願書』
これだけが気がかりだ。
どれほどの気分の良い時間でも、その事忘れる事は出来ない。
空になった大八車と子分達を引き連れて子毛へと帰る助五郎の後をついて歩き、定吉は街道で見送った。
「分かった、分かった。もう良いぞ、そんなに気を遣うな」
と助五郎は言うが、それが本心ではないことを、定吉は身に染みて理解している。
「旦那あってのソの郷です。先程の非礼を、お詫びいたします」
深々と定吉が頭を下げると、助五郎が満足そうに顔を綻ばせた。
「ソの郷が子毛の分村となった暁にはな、お前の助けが要る。お前が村の長になり、ワシの右腕として役に立ってくれ」
「分かりました」
定吉の恭しい返事に助五郎は、豊臣秀吉のような天下人にでもなった気分だった。
...もう定吉は、ワシの言いなりだ
子分達は、街道に立ち頭を下げて自分たちを見送る定吉を、互いに顔を見合わせ嘲笑った。
定吉はその姿が消えるまで頭を下げていた。
「おい! あいつらもう行ったぞ」
定吉はその声に頭を上げた。
「痛ててて、やっと行ったか。やれやれだ」
定吉は伸びをして腰を叩きながら、苦笑を浮かべる。その表情から、先ほどまでの卑屈な笑みは消えていた。頭を下げたのは服従のためではない。助五郎という「暴風」から、ソの郷の集落を守るための「演技」に過ぎない。
「哲、みんなにはアレを食わないように話してくれたよな?」
「ああ、言ったぜ。全部棄てたよ。酒はイケんじゃねえかって、騒いでる奴もいたけどな」
哲が、草むらから現れた。
「そうだな。酒は、飲めたかもしれないな」
定吉が応えた。
「おい! 先に言えよ。勿体ねえだろ?」
「あはは」
笑う定吉を、哲は心配そうに見た。
「お前、大丈夫か?」
定吉は笑顔で返した。
「脅しの遣り口には、ヒヤリとさせられたが、屋敷に呼ばれた時にはもっと嫌な思いをする事が何度もある。いちいち気にしてたらやってられないさ」
街道を遠く見る、定吉の表情は明るい。
「今日は、いつもより早く水茶屋に行けそうだしな」
哲は笑みを浮かべた。
「そういう事か、じゃあ行ってこい。職人達には、俺から話しておく」
そう言うと、哲は定吉に背を向けた。現場へと続く小道を下りて行く。
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
定吉は、去って行く哲の背中に向けて言った。
「さあ行くか」
定吉は、前を見つめ歩き出した。その足は、先ほどまでの重い足取りが嘘のように軽かった。




