48. 北の森と魔物07
リーンの急ぐ話とは、黒い魔物に関して書かれた絵本のことだった。
なんと驚いたことにその絵本の存在は、あのスレート王宮騎士隊長が思い出してくれたものらしい。
「それじゃあ、あの黒い魔物はスライムだというのか」
「断言はできないけどその可能性は高いと思うわ」
スライムかもしれないという予想は、遭遇した俺たちも立てていた。
だがリーンの考えるスライムに効く専用ポーション、それが通じるかどうかはやってみなければ分からない。
結界を維持するための魔道具はまだ用意に時間が掛かるので、行方不明になった者たちのことを考えると、その間に試してみるだけの価値はあるだろう。
「信じがたい仮説ではあるが、どちらにしろ打つ手がなかったのだ。俺はやってみてもいいと思う」
「タイミングよく魔物も見つけたことだしな」
「ポーションをどのようにして使うか打ち合わせが必要だ。副隊長たちも呼んで来よう」
「それじゃあ私はポーション作りに取り掛かるから」
了解を得たと思ったのか、言うが早いかリーンは執務室から出て行った。
「なんというかずいぶんと忙しないな。いつもああなのか?」
さほどリーンと話したことのない第四隊隊長が驚いている。
「家にいるときはそうでもありませんが、王宮ではいつもあんな感じですね」
「気も強そうだ」
「まあ否定はしません。特に王宮騎士隊に対しては」
気が強いを通り越して常に臨戦態勢である。
「おい、そんなことより打ち合わせを始めるぞ」
第二隊長が場を仕切ってくれて、それぞれの副隊長も呼び寄せての打ち合わせが始まった。
夕方前、リーンはポーション瓶の詰まった箱を持って来てくれた。
「スライムを捕獲して試してみたんだけど、ヒメツギだけで作ったポーションは、驚くほど早くその体液を解かしたの」
こんな短時間だというのに、普通のスライムで実験してくれたらしい。
「よくスライムがすぐに見つかったな」
「ローガンに探してもらった」
あのメイズ近衛師団長にスライム探しを頼んだのか……。
聞かなかったことにしてポーションを受け取ると、リーンは何か言いたそうにそわそわし出した。
「どうした?」
「ごめん、ノアが買ってくれたヒメツギの花、全部使っちゃった」
そうか、これは家に咲いていた花から作ったポーションか。そういえばこの季節、他の場所では見かけないのに、うちのは咲いていたな。
「あれはリーンに贈ったものなんだから謝ることじゃないさ。それにまた来年も咲くんだろう?」
「ええ、もちろん」
「なんならもっとたくさん植えてもいいかもな。リーンの好きな花も一緒にさ」
そのためにも魔物を退治し、チリアン隊長たちの救出を成功させなくてはいけない。
「そういえばスレート王宮騎士隊長と二人であの絵本を捜していたのか?」
「ローガンも一緒よ」
ふーん、あの人も一緒だったのか。エリオット陛下が言うにはリーンと仲がいいらしいけど、そうか、一緒だったのか。
「言ってくれれば俺たちも捜したのに」
「ハーレの記憶があやふやで、本当にあるのかも分からなかったからね」
「あの人が動いてくれるなんてちょっと意外だったよ」
貴族議会のことがあるから、俺たちに良い感情なんて持っていないだろうに。だが、そういえばチリアン隊長の無事を祈っていると言ってくれたな。
「気にすることないわよ、それぞれ思惑があって動いているんだから」
「思惑?」
「ローガンはエリオット陛下の治世に影響が出ないうちにこの騒動を収めてしまいたいんだろうし、ハーレはポーションの件での罪滅ぼしをしたかったんでしょう」
それぞれということは、リーンにも何か思惑があるのだろうか。
「どっちも普段はただ突っ立っているのが仕事みたいなものなんだから、少しぐらい時間を使ったからといって、あなたが気にすることじゃないわ」
リーンの彼らへの認識がちょっとおかしい。
「リーンはこの後、錬金術室に戻るのか」
「え、あー、うん、それなんだけどちょっとお願いがあって」
口ごもられ、なんだか嫌な予感がした。
「何か危ないことをするつもりじゃないだろうな」
「危ないかどうかで答えるなら、危なくないわけじゃないと思う」
はっきり危ないと言いたくないのは伝わってきた。
「いったい何をするつもりなんだ」
「何をというか、私も北の森に用事があって」
「まさか俺たちと一緒に行くなんて言うんじゃないだろうな」
リーンがおもいっきり視線を逸らした。
「あのな、今回の魔物は正体がはっきり分からない上に、あのチリアン隊長ですらいまだに戻れていないんだ。リーンを連れて行けるわけがないだろう」
以前の遠征とは状況が違う。リーンは慌てたように説明を付け加えた。
「絵本に賢者の記述があったって言ったでしょう、あの賢者ってたぶん錬金術師のことだと思うの。だから白い花から薬を増量することができたのよ」
「その前に魔物とどうやって話したと言うんだ」
「話したというのは比喩で、あれは分解で魔物を調べたんだと思う」
アルケミックスペースで魔物を分解し、撃退方法を探ったということか。そんなこともできるのかと感心する反面、こじつけのようにも考えられる。
「それができたなら、わざわざ花を探してポーションを作らなくとも、すべてを分解してしまえば魔物を倒せただろう」
「大きすぎて分解だけでは無理だったんじゃないかしら。私が一度で分解できるのは精々両手を広げた程度の質量だし、絵本に描いてあったクロムは大きかったから。でも部分的になら可能かもしれないの」
それにしたって危険すぎる。分解の届く範囲までは近づく必要があるということじゃないか。
「なんの目的があって分解したいんだ?」
「錬金術を使えば魔物の正体が分かるかもしれない」
「あれはスライムだという話じゃなかったか」
「そうだとしてもただのスライムじゃないでしょう。調べる必要があるわ」
ただ倒すだけではなく、今後を見据えてのことなんだろう。
「その絵本が正しいと決まったわけじゃない。それにリーンを連れて行くのだとしたら、予定よりも人手が必要になる。今回は護国騎士団の各隊から精鋭を揃えているが、リーンの護衛にまで人手は回せない」
はっきり断ってもリーンに引くつもりがないのはその表情を見てわかった。
「それならローガンが同行するから大丈夫」
「近衛師団長が?」
近衛師団は普通、国王の命令でしか動かない。つまりこれは国王陛下の命令だということだ。
もしそうなら俺が何を言っても覆ることはなく、決定事項として受け入れるしかないわけだが、しかしリーンをまるで妹のように案じていたエリオット陛下がそんな危険な提案をするだろうか。
「それは国王陛下からのご命令か」
「ううん、私からお願いしたの」
そうだと思った。
「あのね、前に自分の身は自分で守れるくらいの力はあるって言ったでしょう」
「それは俺と戦っても勝てるくらいに強いのか」
つい語気が強くなってしまった。しかしリーンは落ち着き払っている。
「強くはないわ。私は魔法も使えないし。でも一つだけ戦う方法があって、それがアルケミックスペースなの」
何か攻撃できる物質を作り出すのかと咄嗟に考えたが、事実はまったくの逆だった。
「魔物をアルケミックスペースで覆ってしまえば、その空間でなら私たちは武器を持たずとも攻撃できるわ。切ったり突いたり、潰したりね」
リーンがこれまでその手法をあまり言いたがらなかった理由も頷ける。離れた場所からそんなことができるとしたら、相手によっては警戒されるし、権力者から見たら恐ろしい能力に見えるだろう。
もちろん魔法だって同じことだが、脅しではなく始末するという目的であれば、アルケミックスペースの方が簡単に事に及べそうだ。
以前、王宮騎士へ反撃するにも錬金術での攻撃は時間がかかって不利だと言っていたが、それはたぶん殺すことを前提にしていないからだ。
そんな戦い方ができるなら、リーンが一人でどこにでも出かけられると思うわけだ。
「しかし間に合わなければ意味がないだろう。魔物の速度に反応できなかったらどうだ」
「だから強くはないって言ったでしょう。ただ自分の身を守るくらいはできるし、今回はローガンが同行してくれるから大丈夫よ」
そもそもどうしてそこで近衛師団長が出て来るんだ。リーンが自ら行くことを決めたのだとしたら、まずこちらに話が来るべきではないか。
いや、そうなったら俺が反対することを見越しての対策か。
「次に魔物が出たらまた誰か被害に遭うかもしれない。放っておくわけにはいかないわ。これは錬金術室長としての判断よ」
錬金術室長の名前を出されたら俺一人の判断で却下はできない。だが分かったと頷きたくもない。
リーンと見つめ合うこと数分、彼女が大きく息を吐いた。
「お願いだから同行させて。私だってあの絵本の全てを信じるわけじゃないけど、あの魔物がどうやって発生したのか、当時の錬金術師は解明したんだと思うの。もしここで解明できなかったら、後々また同じことが起きてしまうかもしれないでしょう」
「その役目はどうしても君でなくちゃいけないのか」
「そうよ、錬金術室で分解の能力が一番優れているのは私だもの」
どうしてこう言い出したら聞かないのか。
「怖いとは思わないのか? 正体のわからない魔物を相手に」
「怖くないわけじゃないけど、それ以上に真実を突き止めたいし」
珍しくリーンが言いよどんだ。
「気になるの。あの絵本の一節、お前たちが俺を作った、それはつまり人の手で干渉されてできた魔物ということでしょう」
もしこれがリーンじゃなかったら、俺はこの申し出に頷いていただろうか。いや、せめて男であることが承諾の最低条件だ。
「あなたたちの邪魔にならないようにするから」
「そういうことを言っているんじゃない」
ああもう本当に、どうしてこうも心配が伝わらないかな。
がしがしと頭をかきむしると申し訳なさそうな顔で見つめられ、そんな顔をするくらいならどうして大人しくしていてくれないのか。
「分かった、他の隊長たちには俺から話す。但しこちらの指示には絶対に従ってくれ。くれぐれも勝手な行動や危険な行動はとらないこと、いいな」
「ありがとう」
リーンのほっとした顔を見て、彼女は彼女なりに俺に気を遣っているのだと分かった。




