49. 北の森と魔物08
北の森は静寂に包まれていた。野生動物も不穏な空気を感じて身を潜めているのか、風が通り抜ける音だけが響いている。
日は既に傾きかけていて、あと二時間もすれば暮れてしまうだろう。これが冬だったら、救出にさらにもう一日を要していたところだ。
第一から第四隊の騎士たちが列をなして森を進んで行く。
魔物に何か動きがあれば見張りの奴らが魔法で知らせる手はずとなっているが、いまだ何の連絡もないので、大きく移動するような事態は起きていないようだ。
リーンも後尾に同行しており、その側にはメイズ近衛師団長が控えている。
魔物を倒した帰り道ならいざ知らず、チリアン隊長の生存も明らかでない今、彼女の存在は他の騎士たちに快く受け入れられたとは言い難い。
いくら近衛師団長がついているとはいえ、なにかあれば足手まといにしかならないのだから、当たり前といえば当たり前だ。リーンもそんな自分の立場を弁えているのか口を開くこともない。
一時間ほど森を進み、魔物を見張っていた奴らと合流した。
森の少し開けた辺りにそいつはいたが、八日前よりも一、五倍ほどその姿が大きくなっている。
チリアン隊長たちを見つけるためにも、まずはこいつを倒さなくてはならない。
「予定通り俺たちは北側へ回る」
まず第二隊が距離をとって魔物の背後へ迂回すると、第三、第四も東西へそれぞれ移動し始めた。
ポーションには限りがあるし、普通のスライムに効果があってもあの魔物にどこまで効くかは分からない。不安要素しかないが何もできなかったこれまでに比べたら、行動できる分ずっとマシだ。
「気を抜くなよ」
部下たちに声をかけたところで、第二隊から合図が上がった。ポーション瓶を開けて、その中味を風魔法で魔物のいる方へと散らした。それ以外の者たちは結界を張って、魔物が逃げださないよう警戒している。
四方からポーションをかけられた魔物は激しく揺れた。黒い液体が俺たち目がけて飛んでくる。しかし結界に阻まれ地面に落ちて、その液体に触れた土がじゅわりと溶けた。
「溶解液? やはりスライムなのか?」
ポーションをかけ始めてから、黒い魔物がわずかに小さくなった。
「少しずつだが小さくなってるよな!」
「ああ、効いてるぞ!」
初めて掴んだ手ごたえに部下たちの士気も高揚し始める。
「もっとポーションをかけろ! ありったけだ!」
第四隊長が声を張り上げた。向こうも効果に気づいたようだ。呼応するように俺たちも次々とポーションを放つ。
黒い魔物は抗い、溶解液を飛ばし攻撃してくる。しかし結界役が上手いこと阻んでくれるので、俺たちにまで溶解液は届かない。
小さくなっていく黒い魔物。その分の距離を詰めてさらにポーションをかける。今や魔物の大きさは先ほどの半分までになった。だんだんと他の隊の姿も見えてきた。
「コルク副隊長、ポーションが切れそうです!」
うちにあったヒメツギの花に、ハラ草原で採取したコマの実も足したとリーンは言っていた。混ぜ合わせた植物の薬効と同じ効果を発揮するという不思議な木の実がこんなところで役に立つとは思わなかったが、これからまた同じポーションを用意しようとしたら、材料を集めるだけでかなりの日数がかかってしまうだろう。
ここまで追い込んだのだ、絶対に逃がさない。
「すべて使い切ったら、あとは結界で囲いこむぞ!」
森の中にチリアン隊長たちの痕跡はなかった。となればあの魔物が隊長たちを取り込んだと見るべきだ。生きている可能性は低いかもしれないが、俺は絶対にあきらめない。チリアン隊長がそう簡単にやられるものか。
「こっちはポーション切れだ!」
「同じく第三もだ!」
第三、第四隊から声が上がった。
「第一隊も使い切りました!」
「第二もこれで終わりだ」
小さくなったとはいえまだ直径五メートル、いや、七メートルはありそうだ。高さも三メートル弱といったところで、これだけの護国騎士がいれば結界で移動できないように抑え込めるが問題はその後だ。同じポーションを用意できるまで交代で結界の維持を、いやそれだけの人材を長期間確保するのは……そんな算段を頭の中で立てていると、背後からリーンの声が聞こえてきた。
「アルケミックスペースを展開するので、そのまま結界の維持をお願いします」
魔物の一部がリーンの作り出した錬成空間で覆われた。直径一メートルの球体が光ると、魔物がまたさらに激しく動き、溶解液を飛ばして来た。結界役がその攻撃を阻んだが、リーンの隣にいるメイズ近衛師団長もさらに結界を張ってくれている。信頼しているのかリーンはまったく動じていない。
皆が見守る中、球体に取り込んだ魔物の一部が乳白色へと変色した。大きさはともかくその色はまさにスライムだ。
「やはりスライムで間違いありませんか」
「そのようね。たぶんこれで普通に倒せると思うけど」
メイズ近衛師団長とリーンの会話が聞こえてくる。
リーンは分解を行うと言っていた。ということはあの黒いスライムから何かを取り去ると、普通のスライムに変化する? どういう仕組みなのかまったく分からない。
「このまま始末するわよ」
「それは私がやりましょう。アルケミックスペースの外に出してください」
メイズ近衛師団長に言われたとおり、リーンが球体から乳白色に変化した粘液を出すと、すかさず火魔法が放たれ魔物は跡形もなく消えた。
しかし球体の中には水のような液体が残っていて、リーンはそれを自分の方へ引き寄せるとポーション瓶に少量を流し込み、残りの水は何か変化を加えたのか粉へとその状態が変化した。
「次は一部分ではなく、真ん中から割るように分解できませんか。核と分けてしまえば大きく体積を減らせるでしょう」
「あれを割るほど大きいアルケミックスペースなんて作れないわよ」
「では複数展開させることは?」
「それも無理。生きたままの状態で作業するにはすごく集中力がいるの。それに黒いまま分裂させたら、どんな事象が起きるか分からなくて危険なんじゃないの?」
話しながらもリーンは次のアルケミックスペースを展開している。
「核を見つけるまでは地道にやるしかなさそうですね」
「そうね、魔力が尽きないことを祈っていてちょうだい」
アルケミックスペースに体の一部を飲み込まれた魔物が激しく揺れる。溶解液を飛ばしてもリーンへ届かないことに気づいたのか、近づこうとして俺たちの作った結界にぶつかった。まるでリーンが自分を削っていると分かっているかのような動きである。
俺も新たに結界を張りながら後ろを振り返った。
「リーン、あの中に隊長たちがいる可能性がある!」
作業に集中しているせいかリーンは俺の方を見ることなく頷いた。俺が言うまでもなく、削るついでに確認もしてくれているのかもしれない。
その後も作業を繰り返し、暴れ出したスライムを防ぎながら四度目のアルケミックスペースを作ったとき、リーンが叫んだ。
「中味の見えない箱のようなものがあるわ! 人が入れそうな大きさで、その近くにも何かある。こっちが核かもしれない」
「四角い方を取り出せるか」
「大きすぎて丸ごとは無理。核の方を取り出すわ」
言うが早いかアルケミックスペースが光りだした。しかし魔物も何かを感じ取ったらしく、さらに大きく震えて、第二隊の方へと後退した。
「なんでこっちなら逃げられると思ったんだ?」
第二隊に結界を張られ、身動きできなくなった魔物が地面を溶かし始めた。まさか地中から逃げるつもりなのか。
しかし抵抗むなしくアルケミックスペースにより、一抱えもある大きな核が取り出された。瞬時に近衛師団長が攻撃すると、スライムが溶けるように地面に広がり周りの草木を溶かしたが、結界を張っているのでこちらに被害はない。
そして後にはリーンの言ったとおり箱型の結界が現れた。中に隊長たちの姿が見える。
「チリアン隊長!」
結界の中から隊長が手を挙げて俺たちを制した。どうやら無事らしい。結界が解かれて、皆が駆け寄った。
「ご無事ですか」
「一人、怪我をしている。中級ポーションに余裕があれば出してほしい」
控えていた部下がすぐさまポーションを差し出した。怪我をした騎士が足に巻いていた布を取ると、スライムの溶解液のせいか皮膚がただれている。
「どうやって倒したのだ」
「中からは見えなかったんですか」
「ああ」
「リーンがこの魔物に効くポーションを作ってくれたので俺たちがそれをかけて、最後はアルケミックスペースで少しずつ魔物を分解し、核を見つけてくれました」
「ふむ、錬金術は魔物も分解できるのか。素材の採取が楽そうだな」
こんな時でもチリアン隊長の好奇心は通常営業である。そんな隊長の視線が一点を捕らえた。
「あそこにいるのは近衛師団長か。ずいぶん大きな騒ぎになったようだ」
「まったくですよ。あなたがいないと仕事は滞るは、他の隊長たちは暴走するわで大変なんですから、勘弁してくださいよ」
近くにいた脳筋隊長たちが俺の言葉に笑った。
「よく言うよ。チリアンが帰ってこなくて泣きそうな顔してたくせに」
「はあ? そんなわけないでしょう」
「そのやつれた顔が何よりの証拠だ」
第四隊長に加え、第二隊長まで俺をからかってくる。
「おい、あの魔物が消えてもまだ森の中であることに変わりはないんだ。油断するな」
この中ではまだ真面目と言える第三隊長がたしなめてくれた。
「ところで八日間ずっとあの魔物の中で結界を張っていたのか。よく保てたな」
「幸い捉えられた三人とも結界魔法が使えたので交代で休んでいた。いずれ助けがくるだろうと思っていたしな」
さらりと信じていたようなことを言われ、返す言葉が出て来ない。こういうところがずるいんだよな。
「とにかく早く帰るぞ。俺は腹が減った」
「それを言ったらチリアンたちのほうが空いているだろ。干し肉ならあるが食うか?」
「そんな消化の悪いものをこの状態で渡そうとしないでください。まずは医者に診てもらってからです」
ひとまず戻ろうということになって、リーンが何か黒いものの入ったガラス瓶を抱えているのが見えた。まさかあのスライムか。いやしかし核がなくなったのにどうして残っているんだ。
「リーン」
「チリアン隊長が無事で良かったね」
結局のところリーンが倒したようなものだが、最初に同行を渋った手前きまりが悪い。しかしリーンに気にした様子はなく微笑んでいる。
「ありがとう。リーンがいなかったら隊長たちを助け出すことは出来なかったよ」
「私だって魔物が小さくならなければ核は見つけられなかったわよ」
そのポーションだって作ったのはリーンだろうに、功労者のように振る舞うことはしない。ましてや足手まといになるようなことを俺は言ったのに。
他にもかけたい言葉はあるけど、メイズ近衛師団長の手前、それ以上は止めておいた。
「ところでそれは例のスライムだよな。核を壊したのにどうして消えないんだ」
「ああ、スライムをアルケミックスペースで覆って加工すると、核が消えても周りの溶解液を残せることが最近わかったのよ。と言っても核がある状態よりも粘度が出てもったりした液状になるんだけど」
リーンがガラス瓶を傾けると、中身がゆっくりと傾いた。
そういえば前に騎士像を直してもらったときにもスライムの粘液がどうとか言っていたな。特殊ポーションといい、錬金術師の仕事の幅は広い。
「危なくはないのか」
「うん、死体みたいなものだから」
「さっきみたいに分解してしまった方がいいんじゃないのか」
「駄目、絶対に駄目」
まるで俺に取り上げられるんじゃないかと警戒するようにリーンはガラス瓶を抱きしめた。
「スライムの溶解液保存は既に確立されているので問題ありません。それにこれは持ち帰って分析する必要がありますから」
それまで黙っていたメイズ近衛師団長が会話に加わってきた。
「分かりました」
メイズ近衛師団長は俺よりも身長が高いのでやや目線が上の位置になる。貴族らしい整った顔を見ていたら、そういえば先日結婚祝いをもらった礼も述べていなかったことを思い出した。
「なにか」
「先日はありがとうございました。それから、リーンを護ってくださってありがとうございます」
「ご丁寧に痛み入ります。しかしこれは仕事なので貴公が気にすることではありません」
チリアン隊長並みに丁寧で心のこもらない言葉が帰ってきた。眼鏡の奥の目も感情が読みづらいし、掴めない男だと思う。
しかし何はともあれ無事にチリアン隊長たちを助け、魔物も倒せたので良しとしよう。
王宮へ戻ると、行方不明になっていた三人はすぐに医者の診察を受けた。三人とも体力的には衰弱しているが、それほど深刻な状態ではないということで、これで俺たちも一安心である。
既に日は沈んでいて外は暗い。
チリアン隊長は護国騎士団にあるシャワー室で軽く身を清め、執務室へと入ってきた。
「今日はもう帰って休んでくださいよ」
「その前に私がいなかった間の話を聞きたい。あの場に近衛師団長と錬金術室長がいたのはなぜだ」
スレート王宮騎士隊長が昔読んだ絵本の存在を思い出し探してくれたこと、リーンが魔物を分解するために同行したこと、またそのリーンの護衛にメイズ近衛師団長が出て来たことを順番に話した。
「絵本にでもしないと残せなかったのだな」
聞き終えたチリアン隊長は独り言のように呟いた。
「人が作り出せる魔物か。その正体がわかっても公表はされないだろう」
それはそうだ。あんな魔物があちこちで作られたらと思うとぞっとする。
「それでは帰るとしよう」
これから溜まった仕事を片付けるとでも言い出すんじゃないかと思ったが、チリアン隊長は意外にもあっさりと立ち上がった。
「コルク」
「はい」
「苦労をかけたな。すまなかった」
突然の謝罪に呆気にとられているうちにもチリアン隊長は姿を消してしまった。今日は調子の狂うことばかりが続く。




