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9/22

事件① 嵐の夜に

「このロジックの根っこに居るのが設楽杏奈だから、彼女と会って裏が取れれば…と思うんだけど…あれ?」


そこまで話し終えてから、私は窓ガラスを激しく叩く雨音に気付いた。

耳を澄ますと地鳴りのような音が聞こえてる。


「え? 確かにさっきも空気が湿ってると思ったけど、なんか凄い事になってない?」


橘くんと二人で窓枠に取りつき、窓の外を覗くとそこはバケツをひっくり返したような滝の雨が降っていた。

少し離れた信号機の灯や、遠くの建物の灯が見えなくなるほどの、集中豪雨だ。

この建物はかなり頑丈に作られているので外界の様子が分かりにくい。

そこでちょっと窓を開けてみると、音そのものが降ってきているような轟音が耳を突き、ひんやりと冷たい空気に乗って雨粒がビシビシと音を立てて吹き込んできたので、急いで窓を閉める。

轟音は奇麗に遮断されて、室内はエアコンの音の方が強くなった。

ああびっくりした…。


「一時間に100ミリメートル級ね、これは」


二人揃ってスマホで気象レーダー情報を見ると、ここら一帯で大雨や落雷の警報が出ている有様で、予測では朝の4時くらいまでマップが真っ赤になっている。

ここ最近じゃ見たことないけど、そう言えば南の海で超大型台風が発生しているなんて話もあったっけ。

なんだか年々春と秋が短くなり、夏が熱くなって、スコールみたいな豪雨が増えてきてる気がする。

こんな雨の中、男の子を帰す訳にはいかない…と、そんな絶好の口実が生まれてしまった。

チラリと隣の橘くんを見ると、まだ窓の外を見ている。

多分、この雨の中を帰ることを考えているのだろう。


「橘くん…き、今日は泊っちゃいなさいよ」

「え?」


言っちゃった!

「じゃあ帰ります」なんて言われる前に先制しなくちゃと変に焦って、そう口に出してしまった。

予行演習の時よりはスマートに言えたそれを、男子高校生は「なんだって?」みたいに少し顔を寄せて聞き返そうとしてくる。

窓の外の雨に集中してたみたいで、本当に聞こえなかったらしい。

ああもう!

今度は大人が子供に言い聞かせるようなニュアンスで口に出してみる。


「これ危ないから、事務所に泊まりなさいよ」

「いや、いいですよ! 俺のトコここから走って10分ですから」


一人称を僕から俺へと切り替えて、彼は驚き飛び上がった。

もし今の光景を動画で撮影したなら、それは私の言葉が衝撃波となって彼の身体を撃った場面の様に見えただろう。


「いいから! ご家族が心配しているなら車で送ってあげるとこだけど、どうせご実家じゃないんだし、それなら危ないからダメ」


気付けば時刻は0時40分。

ああ、そうか。こんな時間になるまで彼は帰る時間を気にしてソワソワしだすことなく、私の相談に乗ってくれてたんだ…。

もう全然痛くない頬を窓に映すと、まるで役目を終えて成仏したかのように、腫れも赤みも取れていて、きれいさっぱりの状態だった。

私は窓辺を離れ、傘を手に取って事務所扉へと歩き出す。


「ちょっとコンビニで必要なモノ買ってくるから待っててね。歯ブラシセットと、適当な男性用の入浴セットとかでいい? あ、ええと、シェーバーみたいなのとか男性コスメもいる? みんなよくわからないけど、私が選んじゃってもいい?」

「泉美さんダメですってば!」


橘くんは大慌てで私の腕を掴んで引き留めようとして、そして多分私の二の腕のだらしない弾力にビビってパッと手を離した。

彼のその表情は鬼気迫るものではあったけど、精神的な苦痛に歪んでいるようなものではなくて、明らかに恥ずかしがって、まさかの事態に動揺を隠せず、心情は兎も角、常識的に女の人の部屋に泊まるわけにはいかない! みたいな空気を顔一面に張り付けているものだった。

壁ドンっぽい状態になりつつも、その様子が『泊まりたいけどそれは不味い!』と言っているみたいに見えて、私も安心して怯まずに突き進むことができた。


「じゃあ一緒に買いに行く?」


そう返して、返事できなくなっている彼の手を引いて、廊下に出る。

ドドドドと音立たせている激しい豪雨が周囲に響いて、ビル全体が揺れていた。

地味に怖い事もあったし、彼が隙を見て「失礼します!」とか叫んで走り出しそうなのを察知して、腕に抱き着いておっぱいを擦りつけた。

グギギ! と彼がその身を固くするのが、手に取る…いえ、胸に取る様に分かった。

今の私は彼を誘惑している状態なのだろう。昨日の昼間は由香さんに売女扱いされた訳だけど、好きな人が相手だからという言い訳があるにせよ、私の本性は肉食系女子なのかもしれない。

そう言えば、私が橘くんを好きになった理由はなんだろうか?

実は言葉を交わしてまだ2日目。

『現役時代』でのお付き合いなんて望むべくもない容姿・スペックを持ってる男性で、彼を好かない女なんているのかと思う程の白馬の王子様だ。

だから好きになった部分も否定はできない。

でもそんな彼が、一生懸命真剣にアルバイトに励む姿を喫茶店の端から毎日のように見て来た、その蓄積が大きい気がしてる。

九条さんを相手に、ハキハキと返事をして、お客さんがいない時間も暇を持て余すようなことをせずに働き続け、自分から頭を下げて九条さんに教えを乞う。眩しいくらいに真っすぐで直向きな、彼の容姿にも引けを取らない綺麗な内面を見て、好きになってしまったのだろうと思う。

そして極めつけは、そんな彼が毎回私の方をそれとなく見ていた事だ…。

もう一度おっぱいをその肘にむぎゅっと押し当て擦りつけながら外に出ると、雨傘ごと押しつぶされそうになるほどの物凄い大雨で、風はもう吹きおろしなんだか吹き上げなんだかわからない状態だった。


「きゃあああっ!」

「うわ!」


これって噂の超大型台風が来ちゃったんじゃないの? と思うような状況だ。

アスファルトの床は落ちて来た雨粒がぶつかり弾けているせいで真っ白になっていて、信号を渡る前から全身ずぶ濡れになる。

傘が無かったら目も開けていられないだろう。

なんなら窒息してしまうかもしれない。

この不忍通り周辺一帯は確か標高が低くて、時に冠水することもあるような地形らしいけど、大丈夫だろうか…。

恐怖アトラクション並の怖さがあって素で橘くんに抱き着き、二人できゃーきゃーわーわー騒ぎながら何とかコンビニに入店すると、中年の店員さんがガラス戸直ぐの所に立って外の大雨を眺めていた。

ここのコンビニは雑居ビルの向かいなので常用していて、その店員さんには結構見覚えがあり、彼が22時頃に買い物した時にレジ打を打ってくれていたので、私は髪を落ち着かせながら、笑顔で声をかけてしまう。


「す、すごい大雨ですね~、床濡らしちゃってごめんなさい!」


コンビニ店員さんは話しかけられた事に驚いたのか、急いでレジの中に引っ込んでしまった。身体は大きいけど、他人が怖いみたいな感じの人なのだろうか。気を使って愛想を良くしたつもりだったけど悪い事したかも…。

私は橘くんの大きな背中を押しながらカゴを手に取って、生活用品コーナーを覗く。

彼自身が商品を手に取らないので、私が良さそうだと思うものを指さして、一個一個彼に尋ねた。


「これでいい?」

「これはこれで大丈夫?」

「これ、入れちゃうからね?」


歯磨きセット、朝のコスメセット、シャンプーとボディシャンプーを選ぶ間、ハイスペックイケメン高校生の橘海斗くんはかっこつけている余裕もない感じで、頷き人形と化していた。色々と葛藤しているであろうその表情は無表情を通り越して謎の境地に到達していて、何とも言えない風情を醸し出している。

彼は、それこそ「俺がカゴを持ちますよ」みたいな、いつものイケメン所作を出す余裕もないようで、ただ私の後を守護霊のように付いてきている状態だった。

でも、ひげ剃りを見せた時には「それはいらないです」との反応があって、個人的な趣味からなんだか安心する。

よかった、朝に洗面台の前に立って髭をジョリジョリやっている橘くんの姿は解釈違いだと思っていたのよ。うんうん。

大体これでいいかな…と思ったとき。

私は自分からは一生買う事は無いであろうと思っていた商品に目を止めてしまった。

ちんちんに被せる避妊具だ。

その、すっきりとした無個性な一見何の商品なのかわからない箱を手に取った。

これこそ、彼に尋ねないとどれを買えばいいのか判断のつかない男性用品だった。


「こ、これで、いい…?」


真っ赤になりながら、顔を向けずにそれを7歳年下の彼に見せた。超セクハラだった。

彼は髭剃りセットの時の様に「それはいいです」とは言わなかった。

無言。

サイズが違うとか。それだと気持ち良くない(?)とか、一切の返事はない。

私はMサイズっぽくみえるそれを棚に戻し、Lサイズっぽいのを手に取った。


「こ、これ?」


声を震わせながら羞恥に目を潤ませて彼を見上げると─。

そこにはバスケで鍛えた181センチの長身を武者震いさせながら、その顔を赤鬼の様に真紅に染め上げて、力強く鼻を押し広げながら呼吸している橘海斗くん(16)の姿があった。

下手すると私も似たような顔をしてるのかもしれない…。


「ま、万が一よ、ほら、私探偵だから! 万が一!」

「マンガイチ…」


遂にロボット語を体得してしまったイケメンワトソンくんの汗ばみ熱持つ手を引いてセルフレジに向かうと、2台あるそれには軒並み故障中の張り紙があり…。

お金を渡して橘くんにレジしてきてもらおうかと思ったけど、彼は今高度にプログラミングされた動作は実行不可能な状態で…。

私は視線をずっと自分の爪先に向けながらカウンターまで歩いて、カゴをレジの人に差し出す。

ピッ、ピッとバーコードが読み取られる中、ちんちんゴムで店員さんの手が一瞬止まり、またピッ、ピッと読み取りが続いた。


「袋はいりますか」

「おねがいします…」

「3315円になります」


現金で清算して、ずっしりとしたそれを受け取り、『あの二人これからセックスするのか』みたいな視線を背中にビシビシ感じつつ、なんなら軽く舌打ちされているのを聞きながら、橘くんの手を引いてゲリラ豪雨の中に戻る。

荷物を守りながらの帰り道で私は、彼の腕を逃がさない様にしっかりと胸に抱えることはせず、手を緩く繋いで指を絡めるだけに留めていた。

別に「逃げてもいいよ。でも逃げなかったら合意とみなすからね!」と彼の意思を確かめている意図じゃなくて、彼が「やっぱり帰りますよ! 走って10分だし!」みたいな感じで走り出してもそれを引き留めないつもりです、との意思表示だった。

それでも、結ばれている彼の手が動く度に、私もビク!と指先を動かしてしまう。

大荒れの気象の中で、一番大きな音は雨の音でも風の音でもなく、私自身の心臓の音だった。

二人はそのまま、粛々と事務所まで帰って来る。

ビニール袋の中には水が溜まっていた。

髪から、首から、胸から、袖から、スカートの裾から、そして足を伝って、人工大理石の床へと水が滴るので、急ぎ脱衣所からタオルを持ってきて、雨で身体を冷やしている彼に渡して、自分もそれを被る。


「わ、私いつも朝にシャワー浴びるから、海斗くんが…先に入っちゃってもいいよ」


さりげなく彼を海斗くんと呼ぶ。

タオルで頭をゴシゴシしている海斗くんからは、返事は帰ってこない。

私はまだ寝ないので~って感じで感じにソファに腰を下ろして、ノートPCを覗き込んだ。

無言を貫く男の子の方を見ずに無理やり仕事に集中する。

今夜中に考えなくちゃ、この設楽杏奈に会う手段を──。

と、脇に男子高校生がどすっと腰を下ろした。


「考えますよ。俺も一緒に」


驚き彼を見上げると、その顔は真っ赤っかだけど、幾分イケメン成分をリカバリーしていて、傍らから私の姿をしっかりと見据えてくれていた。

濡れたTシャツが肌に張り付き、キャミが完全に透けている胸元にもちゃんとチラチラと視線を送ってくれていて、彼がここまで見たがってくれるのならノーブラでも良かったのかな? なんて思いつつ、その視線に盛大に濡らしちゃった。

どうしようもないくらいにものすっごく濡れちゃってた。

耳まで紅潮させている顔を逃げずに私に見せている海斗くんの、「一度力になると言ったんだから途中で見放さないぞ」みたいな男心(?)に、身体が反応してしまっているのだ。

直前のちんちんゴムの件から……いえ、22時過ぎのコンビニで、橘くんの友達が『今日は一緒に風呂に入るくらいしろよ~?』なんて言ってたのを聞いた時から……ううん、もう正直に言っちゃう。閉店直前に彼が『バイト終わったら、少し話、聞きますよ』って囁いてくれたあの時から地続きでこうなっているんだけど、兎に角もう、きゅんっきゅんのきゅん! だったのだ。

もし私にもう少しの勇気と覚悟があったなら、ここでスウェットミニスカート捲って、彼にぐっちょぐちょになってる下腹を覆う勝負パンツを見せちゃったでしょう。


「あ❤ じ、じゃあ…彼女のSNSはもう閉じちゃってるけど、なんとかこの設楽杏奈を見つけて上手い事接触する方法…ないかな?」


頭から身を擦り寄せて甘えたい気持ちを、彼の男心にちゃんと答えなくてはいけないという使命感で堪えて、真面目なお話に集中する。


「そうですね…」


海斗くんは真剣な顔で私の膝の上のノートPCを操作して、改めて加納省吾のSNSを閲覧しはじめた。



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