事件① Mの悲劇
「設楽杏奈って、本名でしょうか」
「どうも実名じゃないっぽいのよ」
彼女の名前で検索しても、同姓同名の別人と、あとは加納が所属しているっぽいオンラインサロンのメンバーのSNSに登場しているだけで、そこから彼女を探る術がない。
依頼を受ける前の事前調査の段階ではまだ彼女のSNSアカウントは生きていたので、あの時にもう少し洗っておくべきだった。
加納省吾という人物のあまりのクドさに、事前調査をさっさと切り上げてしまった事が、今になって悔やまれる。
その後私が確認できたのは、彼女がまず加納省吾をフォロワーから外し、暫くしてアカウント削除したことだけ。
現在、ネットに残された彼女の痕跡は他の人物のSNSから間接的にかき集める事でしか入手出来なくなっていた。
ここ3年くらいは加納と一番親しく付き合っていて、他のメンバーとはある程度距離を置いている。というか、他のメンバーも『加納の女』という立場で彼女を取り扱っている感じだった。
彼女と仲良し、もしくは彼女の味方であることが伺える、暗に加納を責めるような書き込みをしている人物を探したが該当者はなく、寧ろ彼女の事がタブーとなったかのように、誰も触れていない状況だ。
彼女のネイルの模様から、とある有名なサロンに辿り着いたので、この店に訪れることを期待して張り込む事を考えたけど、正直これは現実的ではなかった。
でもそれ以外の方法は全然思いつかずに、思わず親指の爪を噛む。
なにか手はないものか──。
「それにしても、常務取締役ってそんなに凄いんですか? どの写真も、杏奈さんの隣で加納が『俺がこれ(エルメス)を買い与えた』『俺がここ(ミシュラン店)へ連れてきた』って、値札をぶら下げて歩いてるみたいで、なんか見てるこっちが恥ずかしくなりますよ」
男性の海斗くんだからこそ、加納の行動に強く恥ずかしさを感じているのだろう。
私はこの男の自己愛の深さが目に付いて、なんかもう笑っちゃう感じだった。
あの社内案内も、私に自分の凄さを見せたかっただけじゃなくて、『俺にまた若い女が寄って来ちゃったよ』みたいな感じで皆にトロフィーを見せびらかしてのだと、今になって理解した。
…まあ私が立派なトロフィーになるかどうかはさて置くとして。
「まったく同感。こんな気持ち悪いと男からもらったモノなんて、たとえそれがどんな高価なものだとしても私は1秒たりとも持っていたくないわ~。海斗くんが作ってくれたサンドイッチの一欠けらの方がまだ価値が──」
あれ?
私今…なんて……。
「泉美さん?」
思考が深淵に旅立って、ピキーンとフリーズしていた私を、海斗くんが現実に引き戻す。
「そうだ…!」
その時私の脳内に設楽杏奈に辿り着くための道筋が見えた。急ぎスマホを取り出し、ノートPCの画面で、加納と一緒にポーズを決めてる設楽杏奈の姿を撮影して、彼女が身に着けているブランド品を画像検索する。
エルメス バーキン25 エトゥープと分析され、それと同じものが国内最大手のネットフリーマーケットに出品されていないかを確認した。
複数ヒットする中で、ここ1週間以内に出品されたものはない。
次、シャネル ヴィンテージ・マトラッセ。ここ1週間で3件ヒット、でもバリエーションが全部違う…。
同じ要領で、設楽杏奈が加納省吾に買ってもらっていた品々を洗うけど、10品目くらい調べても全然ヒットしなかった。
「ダメか…」
いいアイディアだと思ったんだけどな。開けたと思っていた道が閉じてしまい、私はふてくされてピスタチオプリンに手を伸ばす。
うん、おいしい。これまた買おう。
「何してたんですか?」
もぐもぐしながら彼を見て、スプーンをふりふりしながら今の行動を説明する。
「設楽杏奈が加納から貰ったものを手放そうとしてないかと思ったの。ここ1週間でわーっと、ね。国内最大手のフリマに出してないって事は…加納に見つかるのを恐れたのかな? とりあえずあと3ヵ所くらいは調べてみるつもり」
「泉美さん、それならきっと『ブランド・バトン』も調べるべきですよ。学校でも流行ってます。こっちの方が匿名配送のセキュリティが強くて、ハイブランドに特化してるから使いやすいと思います」
どんなものかと詳しく話を聞けば、そのアプリのコンセプトは完全招待制・匿名特化型リセール。既存ユーザーからの紹介による招待制で、発送元完全非公開。
なんだか「盗品」を扱うのを前提にしているような何とも言えない雰囲気がする。
「へー。私メリカリも使ったことないからそーゆーの全然わかんないわ。どうしてそんなの知ってるの?」
もしや彼女に強請られたとか…!?
そう言えば九条さんもなんか「海斗くんには買いたいものがあって、今お金が欲しいらしいよ」なんて言っていた気がする。
若者に人気とのことは女子高生あたりが中心にいるのだろう。
彼氏に「ここだと安く買えるから!」なんて言ってブランド品を強請るアイテムとして重宝がられているのではないだろうか。
「先輩の彼女がブランドバッグを無くしてしまって、それと同じ物が流れてきてないか仲間内でチェックした事があったんです。結局見つからなかったんですけど」
「じゃあ、海斗くんコレ使えるの?」
「使えますし、母に頼まれて品物を買った事もあるから、泉美さんを招待する事も出来ますよ」
「あ、してして?」
「……じゃあLINE教えてください」
そんなやり取りを経て副次効果として海斗くんのアドレスをゲットしつつ、トークのメンバーに名を連ねた彼から招待を受けてフリマアプリをインストールする。
「それでは早速…」
出品物サーチから、エルメス バーキン25 エトゥープで検索すると、1週間以内に出されたものが5件ありその中に、素材や金具の細かなバリエーションでも一致しているものを見つけた。
「海斗くん…もしかしたらもしかするかも」
次。シャネル ヴィンテージ・マトラッセ。ここ1週間で1件。私が設楽杏奈の写真と見比べる限りは、バリエーションやデザインや仕様が一致していて…。
それがバーキンと同じ出品者『Ys』からのものだった。
いつの間にか海斗くんも固唾を飲みながら一緒にスマホを覗き込んでいて、顔を寄せて視線を交わし合うリストアップしたブランド品を10品目検索した結果、『Ys』はそのうち4件で同じものを抱えていた。
ほぼ間違いない、これは設楽杏奈だ。
無言のまま海斗くんと頷き合い、購入希望者として、一番高い品目のバーキン25(2,800,000円!)に手を挙げる。そして、騙されるのが怖いから出品物を直に見たいとのメッセージを送信した。
現在時刻1時53分。返信は明日のお昼までには来るだろうか。
「それにしても、泉美さんもめちゃくちゃお金持ちですね」
私がビルオーナーだからお金持ちだと思っているらしい高校生くんに、実は結構ギリギリな生活です、とは言わずに大人な笑顔を返した。
「流石に買わないわよ。加納が触れた物なんて欲しくもないし。あくまでも会うのが目的。彼女は今一刻も早く現金化したいでしょうから、一番買い手が付くのが遅そうなのを選んだだけ」
「でももし違う出品者だったら?」
もっともな彼の意見に、私は肩を竦めて舌を出す。
「その時は素直に事情を話して、調査協力費名目で数万円くらいを支払うわ。さ、もう遅いし、明日は海斗くんもまた10時からバイトするんでしょう? 遠慮しないで─」
スマホがヴァイブして、リセールアプリからの通知が届く。
それは疑惑の出品者『Ys』からの返信メッセージだった。
『今日の昼にお見せできます。時間と場所は改めてお伝えします』
完璧。あまりにも完璧だった。
まさかここまでトントン拍子に話が進むなんて思わなかった。私一人では今夜中にはたどり着けなかっただろう。
海斗くんの協力が、確かな実を結んだ瞬間でもあった。
「海斗くんのおかげ。ありがとう。明日頑張って来るからね!」
私は彼に抱き着きたいのを我慢して、両手を顔の高さまで挙げてハイタッチを求めた。
「…力になれたのなら、まあ良かったです」
彼としても、こんな時間まで協力することになるとは思ってもみなかったに違いない。
男の子は照れくさそうにはにかんでから、二人で力を合わせてここまで辿り着いた達成感に高揚しているのか、ニッと笑ってハイタッチに応じてくれた。
ねえ、私たちいい感じじゃない?
今からもう一度、彼に助手のバイトをしてくれないか尋ねてみよう…。
バァン!
「あ」
体格差と体力差、あとは海斗くんの気分が盛り上がっていた事もあってか、その力は私が想像しているよりも何倍も強くて、打ち負かされた身体が後ろによろめいた。
後ろ向きに足がもつれて、身体がぐーっと後方に反って倒れていく。
「きゃっ……!?」
私の様子を笑って見ていた海斗くんが、顔色を変えて手を伸ばし、私もその手を掴もうとしたけど、僅かなところで二人の手が互いを掴み損ねるのを、映画か何かのワンシーンの様に、スローモーションで見る。
倒れまいとして力を入れた足元が、雨粒で塗れるワックス拭きしたばかりの人工大理石の床の上をつるりと滑って、宙へと蹴り上がった。
そのまま後ろのソファに体当たりするみたいに身体ごとぶつかる。
次の瞬間、ソファごとぐらっと揺れて……。
「え、えええっ!?」
ソファ諸共にひっくり返って、ぐるん!と視界が回り、背もたれ越しに床へと叩きつけられた。一回浮くほどの衝撃に、胸がぎゅ!っと詰まって「ゔ!」と声を上げて涙目になり、
私の身体は勢いそのまま、ソファから浮いて背後へ投げ出された。
ごちん!と軽く頭をぶつけて、鼻の奥をツーンとさせながら天井のシーリングファンを見上げる。
虚ろな目線が捕らえたのは、下から順に息苦しくのしかかる乳房、捲れたシャツから覗いてるお腹が段になったお臍まわり、捲れ返って辛うじて腰周りだけを守っているスウェットミニスカート、その上に下腹のお肉と恥丘の高まり。ピンクでサテンな勝負パンツのクロッチ部が天井照明を受けて光沢を出しながら、ぐっちょぐちょに濡らした陰部に貼りついてる様子と、ドン引きさせない様にちゃんと順を追って海斗くんに見せていこうと思っていた剥き出しのお尻。その両山から太腿が伸びて両サイドに広がってる光景だった。
頭が下で足が上。
脚を大きくM字に開脚した状態で、急角度に体が折りたたまれて丸まって、両膝が自分の顔の横にある。
…そう、私の状態は『まんぐりがえし』っていうあれだった。
そして私のお尻の向こうに立つ、完全逆光の海斗くんのシルエット──。
びく!と身体が震えて、脚の先までぎゅう!と力が入る。
お尻を隠そうか、お股を隠そうかと迷ってバタバタと両手を藻掻かせた後で、彼にすんごい恥ずかしいところを見せているのに、それを悦び感じちゃいそうになって、顔を両手で覆い隠した。
ひくひくと身体全体が攣縮する中、濡れ透けたサテンを一枚張り付かせただけの陰部が男性の視線を感じてビクビクと痙攣し始める。
「ああ」
絶望に声を挙げながらも、私は心のどこかで…いえ、ど真ん中では海斗くんがむしゃぶりついてきてくれるのを期待していた。
だから、顔を覆いながらそのままの姿勢で彼にお尻と陰部を見せ続けた。
海斗くんになら、見られてもいいし、触られても平気だよ。
勝負下着に王子様の指がかかり、私の身体に掛かった呪いを解いてくれる…その瞬間を、身を丸めたままきゅっと唇を噛んで待つ。
頭がピンクに染まって馬鹿になり、おっぱい大好きな海斗くんが、このままきっと私のお尻も大好きになってくれるに違いないと、吐息を震わせながら、でっぷりとした尻肉を出来るだけ可愛く振って見せた。
彼の気配が動いたと感じた、その時━━。
カシャ。
小さくシャッター音がしたような気がして、「え?!」と思って顔を上げた時にはもう海斗くんは事務所玄関に向かってロケットのようなダッシュを決めていた。
「雨弱くなったんで帰ります!おつかれっした!!」
彼は殺人鬼に追われて焦り、開扉に手間取るホラー映画の登場人物のように、取っ手をガッチャガチャに動かしてから、全身でドアを開けて廊下へと飛び出し、一回その場で転んでから受け身をとって起き上がると、バタバタと足音を響かせて一目散に走り去っていった。
「…え?」
開きっぱなしのドアからはさっきよりも一層酷い豪雨の音が聞えて来る。
入り口から事務所内へと床上を這うように寒々とした冷気が流れ込んでくる中、私は下腹を火照らせた独りまんぐりがえし状態のままその場に転がり続けたのだった。
「マジ?」




