事件① 乙女なホームズとイケメンなワトソン
私の膝の上のノートPCで情報を閲覧するので、二人の距離が凄く近い。
同じ画面をのぞき込めば、自然と彼の息遣いや、ふわりと香ってくる全然嫌じゃない汗の匂いが感じられる。
それでも橘くんのほうから、PCを机に置いてくれとか、見えずらいとかやりにくいとかって不満が出てないので、私は太腿が結構熱かったけどそのままにしていた。
相談に乗ってくれる彼に、今回の依頼に関する全ての情報を順を追って示していく。
最初に依頼人・加納省吾が送ってきた依頼メール。
依頼を正式に受ける前に調べた加納・エコロジカルのHP、そこから得た会社情報、加納省吾自身が婿養子で、妻の加納由香さんは副社長であること。
加納省吾のSNSから見える彼の人となりと、見た限り3年前からずっと一緒だった港区女子が1週間程前から加納省吾をブロックしている事や、加納のSNSには由香さんが一切登場してない事。
昨日の加納との面接の音声データと、結果作成した契約書。
そして今日、敵情視察に行って、加納に社内を連れ回された挙句、ガラス張りの執務室の中で、ワインを無理やり飲まされて、踊る様に密着され、レイプされそうになり、危ない所で由香さんがきてくれたけど、思いっきりビンタされてタクシーで帰されたことを、出来るだけ客観的事実のみで伝えて、最後に加納省吾から謝罪メールと、私が作成した返信を保留しているメールを見せて、情報の共有を済ませた。
そしてここからの会話は、互いに疑問を投げかけあってその中から真実を掴みだすために行われる。
言うなれば私がホームズ役で、橘くんがワトソン役だ。
「…と、いう訳なの。これが今日までの依頼の経緯」
橘くんは全てを真剣に閲覧してから口を開く。
「…これの何処に謎があるんです?」
「謎って言うか…不審な点とか違和感を覚える箇所があるでしょう?」
私は膝の上のノートPCを彼の方向にターンさせて、操作を委ねる。
「…いや、難しいことなしに、加納由香さんを見張ったり尾行したりして、それで終わりじゃないですか?」
「勿論それでもいいけど…」
彼に探偵業の心得を何と説明すればいいだろうかと悩んでから、『言われるがままにただ手足になるな』とか『僅かな違和感を覚えたなら、それをしっかりと突き詰めろ』とか『万が一の事態を想定しろ』みたいな祖父の教えの数々を話をしてはみたものの、現代っ子にはイマイチピンときては貰えなかった。
「ええとね。例えば、私なんかはまず最初に思っちゃうのよ。どうしてこの依頼を私の所に持って来たの? とか」
「ヤツはHPを見たんでしたよね?」
彼は泉美探偵事務所HPを開いて、「へ―…こうなっていたんですね」なんて言いながら、掲載されているスーツ姿の私の写真と、真心を込めて依頼と向き合いたい旨の記されたあいさつ文を見つめる。
当時何度も撮り直した中から選んだ渾身の一枚だったけど、目の前で見られるのはちょっと恥ずかしいな…。
一度自分の膝の上からノートPCを応接セットのデスクに移設して、冷蔵庫からミネラルウォーターを2本持ってきて、彼の前に1本を置き、再び隣に座ると、またノートPCを膝の上に設置し直した。
私がペットボトルの水を一口飲み終えるのを待って、イケメンなワトソンさんが言う。
「…あの男の事だから、偶然泉美さんを見て、好みだったから頼んだとかじゃないですか? 普通に仕事できそうだし、優しそうだし、寄り添ってくれそうだし、なんかメールにもそう書いてありましたよね?」
「あのねぇ。仮に私が好みだったとしても、これは加納にとって物凄く大事な依頼よ? 探偵としての能力が未熟で、浮気の証拠を押さえられなかったら、人生が変わっちゃうかもしれないの。 君だったらどうする?」
「そりゃ、僕なら実績のある所にお願いしたいですけど、加納みたいな奴は泉美さんの所にいっても不思議じゃないですよ」
加納みたいな奴は普通じゃない、と。
それはそうだけど、その考え方しちゃったら、何も検証できないでしょーが!
「あんもぅ! つまり弱小事務所に依頼を持っていく理由はね、①大手よりも安いとか、②契約上の自由がききやすいとか、③数ある依頼の一つ扱いでなくて真剣に捜査して欲しいからとかなわけ」
「まあそんな感じですかね」
「加納は相場よりも良い条件で話を持って来たの、だから①はなし。契約内容も至って普通で特に変な条件もない。だから②もなし」
橘くんは、面接の音声データを聞きながら、加納の依頼メールと、作成された契約書を眺める。
「この報告義務っていうのは、普通ですか?」
「少し要求回数が多い感じもするけど、義務付けられているのは2週間の捜査期間で、計3、4回だから、特段変でもないかな」
「そうですか…」
彼は私の説明を聞きながら、音声データを繰り返し聞いている。加納とのあの口げんかを聞いて、当時を克明に思いだした彼が気分を害するんじゃないかとハラハラしながら共に録音データを聞く。
『それで…奥様の『不審な点』とは』
『ああ。妻のことか…そうだな。正直に話すと、俺はもう妻の浮気を咎める気はないんだ』
そう、ここも改めて聞くと物凄くはぐらかされている感じだ。
まるで最初から由香さんには不審な点などないみたい…。
「実際に会ってみても真剣に悩んでいる様子でも、切羽詰まっている様子でも、どうしても解決したいみたいな様子でもないから③もないのよ…。そうそう、さっきも言ったけど、今日会った時もなんか変に浮ついててさ。アイツなんて言ってたかな…そうだ、『ようこそカノウ・エコロジクスへ! いやぁしかし嬉しいな。実は明日の報告が待ち遠しかったくらいでしたよ』とか言ってんの。なんかもう全然真剣じゃないのよ」
「そうですね。僕も…そう思います。だからコイツは…泉美さんに会うのが目的で、浮気調査とかどうでもいいんじゃないですか?」
「え?」
そんな身も蓋もないような事を!?
「…さっきのやつ? 私がその、好みだったからみたいな? 100万円とかポンっと出しておきながら?」
彼はこっくりと頷くと、膝の上で両手を組んだ。
「僕はその金銭感覚は分からないけど、現に加納はそれこそ、女友達にブランドバッグとかポンポン買い与えているじゃないですか。デートクラブとか、どれくらいお金かかるのか分かりませんが、泉美さんを2週間拘束して、その間に最大で2日に1回のデートができて、しかもこの依頼が狂言ならそもそも成功報酬は発生しないんだから、料金は100万円ですよね? 多分、それほど無茶な金額ではないような気がします」
「え、なに? ヤダ、そうなの…?」
橘くんの発想にビックリする。そしてそれは、私を贔屓目に見てくれる彼だからこそ思いつく事の様に思えて、太腿を擦り寄せながら悦んでしまった。
金持ちのデートクラブ遊びか…考えもしなかった。
「事実、襲われそうになったんですよね? さっきの説明だと、それこそ泉美さんがちょっと無防備に思えたし、二人っきりの部屋に入ってワインとか飲まされたり、一緒に踊らされたりしたんですよね? 最初から泉美さん目当てだったなら、もうイケルとか思っちゃうんじゃないですか?」
橘くんは若干語気を強めて力説してくれたけど、私はその意見には賛成できなかった。
遠回しに、私にも責任があるみたいな、私が奴を勘違いさせちゃったみたいな、そんなニュアンスを言葉の端から感じ取ったからだ。
「…じゃあどんなだったか見せたいから、実演再現に付き合って?」
私はノートPCをテーブルに任せて立ち上がり、橘くんの手を引いて立たせて、右手にエナドリ缶を持ってもらう。
「ぼ、僕がアイツの役ですか!?」
「橘くんがアイツになり切って考えてくれるのが一番かな?」
「分かりましたよ…これがワインの見立てですね」
彼はやれやれと肩を竦めて、手にした飲みかけのエナジードリンク感をちゃぽちゃぽと振って見せる。
そのまま私は彼に背中…というかお尻を預け、彼の左手を拝借して、私の鼠径部へと導いた。驚いた彼が腰をヘコ~と逃がしたので、こっちからお尻をうんっと突き出してやる。
「ちょ…! 泉美さ…」
「いきなりこの形にされたのね。で、私が逃げようとしたら、後ろから腰で押さえつけながら、この指先に力を入れて、太腿の付け根を押し込んで、骨盤をガッチリ抑え込んだのよ」
この実演で示したいのは、私がこの時点で男に暴力的に抑え込まれていた事実だった。
「私が逃げようとするのを、アイツと同じように阻止してみて」
そう言って身を捩ると、彼は遠慮して文字通り逃げ腰となり私を直ぐに放してしまう。「泉美さんも悪いんですよ」みたいに言われていた私は実はめちゃくちゃ怒っていて、「ちゃんとやって!」って言いながらまた密着姿勢に戻る。何度かの繰り返しの後で、彼も少しムキになってきたのか、私の太腿の付け根に指を食い込ませてガッチリと腰を抑え込んできた。
「い、痛…!」
「あ、すいません!」
男の子は我に返ったように、ハッとなって手を放す。
ちょっとした格闘を終えたみたいに、二人は汗ばみ、息を乱していた。
「…ほら、こんな事されたら逃げられないでしょ…?」
「そ、そうですね…アイツと泉美さんの対格差じゃ、無理かな」
彼は私の身体に食い込ませた自分の指先を見つめながら、何度も頷いてみせた。
あの姿勢で、女一人をがっちりとコントロールした感覚を覚えたのだろう。
私が再び、彼にお尻をのっしりと預けると、今度は橘くんの方から支えるように腰を寄せて来た気がした。
「も、もう十分わかりましたって、もういいですよ」
「いーやっ。橘くんは分かってない!」
所定の位置に左手を添えるように伝えて私に触れさせ、今度はスマホで外人の男女ペアがワイニーダンスを踊る動画を見せながら、加納がさっきみたいに私をコントロールして無理やり踊らせたと証言する。
「ほら! 後ろからアイツが腰を擦りつけてきたら、私だってこうやって逃げようとするでしょう? でもまた骨盤を押されたら、お尻を回すしかなくなっちゃうじゃない? ねぇ? これでも私からお酒を飲んで一緒に踊ったっていうの?」
「ス、スイマセンデシタ!」
彼に平謝りさせてようやくクールダウンする。
密着姿勢を解いてデスクの上の水をゴクゴクと飲み、チョコレートをポイポイと口に放り込んでからソファに乱暴に着座すると、私の勢いに気圧された男子高校生もそそくさと隣に座り直した。
「まったくもぅ…」
でも、分かった事もあった。
いえ、心のどこかで分かっていたから、橘くんだけには指摘されたくなくて、ここまでムキになってしまったのだ。
私が加納を勘違いさせてしまったのは、きっと事実だ。
あの時点で私は、迷惑がりながらも譲歩して、あの行為を容認してしまっていたのだ。
痴漢に合ったときに、恐怖から身動きが取れなくなり、それが過ぎ去ってくれるのをただ必死に耐える、あの状態だった。
橘くんが言うのもわかる。彼にイケると思わせてしまった。
叫ぶなり噛みつくなり、殴るなり蹴るなり、訴えると脅すなり、抵抗のしようもあった。簡単な事ではないけど、あったと言われれば、あったという他ない。
「……私、アイツの目的は、捏造された加納由香の浮気の証拠を私に集めさせることだと思ってる」
女ホームズの推理再開に、居心地の悪さにソワソワしていたイケメンワトソンは背筋をピン! と正して傾聴の姿勢を整えた。
「え…どういう事ですか?」
「別れさせ屋…って知ってる?」
私は彼に、多少の説明を行う。
「別れさせ屋」とは、依頼を受けて特定のカップルを別れさせたり、自分自身が相手と円満に別れたりするための「工作」を行う業者のことだ。多くの場合、探偵業届出を出している探偵社がサービスの一環として提供している。
その手口は、ターゲットに現在のパートナーへの不満を抱かせたり、別れたいと思わせるように仕向ける心理的誘導だったり、異性の工作員がターゲットに接触して親密になり、浮気を誘発させて関係を破綻させるハニートラップがある。
今回の場合はおそらく後者だろう。
「え。別れさせ屋って探偵業務だったんですか?」
「業務独占って訳じゃないし、私はしたことないけどね」
私だからそう思ってしまうのかもしれないけど、あの由香さんであっても、やはり女として頼れる異性に守られるお姫様になりたい気持ちを、少女の頃から大事に持ち続けているに違いないと思うのだ。
それを許さない会社と、癒しを与えない夫に囲まれた生活。
もしかしたら…私へのあのビンタは、そんな意味での「嫉妬」だったのかもしれない。
幸せな夫婦関係とは無縁なまま、仕事で男達と渡り合い気を張り詰めて生きている加納由香の女としての部分を刺激して、解きほぐし、その弱みを無理やり優しく包んで、支えて依存させる。そんな悪魔の手口を想像してしまう。
「加納は多分、その類の業者を由香さんに差し向けてるのよ。愛してもないし、浮気されても構わない奥さんに、無理やり弱点と汚点を作ろうとしてる…」
橘くんは腕を組み顎を抑えて何かを考えこむ姿勢になる。
「だとするなら、今になってどうしてそんな…?」
「そこよ。彼らの夫婦仲はもうずーっと最悪。由香さんにとっては多分父親の命令で、加納にとっては会社で登り付詰めていくチャンスでしかない、そんな関係でずっとやってきて、女遊びも大っぴら。今になってどうしてそんな罠を仕掛けたのか…」
私は加納のSNSを開き、1例として彼のナイトプールでの画像を出すと、そこで腰に手を回されながら、カメラにむかってチェキしている一人のコンサバ系女子を指し示す。
「その切っ掛けになったのは、たぶんこの人。設楽杏奈さん」
「……少し前に加納をブロックしていた女ですね」
「そう。私の所に依頼が来るその少し前に加納と彼女を取り巻く事態が急変した。おそらく加納省吾は、この人が例えばレイプとかDVとか薬物とか…妊娠したとか…大騒ぎしたらマズイ状態に陥っているんじゃないかと思う」
橘くんは頷き、私の見立てを聞き続ける姿勢を保っている。
「加納省吾は、社長の長女の婿養子。派手な女遊び程度なら…まあ会社内で大っぴらにされるのは、妻で副社長でもある立場から怒らざるをえないでしょうけど、それ以外なら会社内で常務の女遊びが有名…なんて状況を由香さんは容認していた。でも訴えられるような話になったら流石に立場を失う事になりかねない。アイツは考えた。自分と同等の罪を由香さんが持っていればいいのだと」
「そこで別れさせ屋か…」
「由香さんに罠を張り、能力度外視の見た目で選んだ女探偵に調査を依頼して、その娘が一生懸命加納由香浮気の証拠を報告しに来るのを、橘くんが言うように、デートクラブでも利用している気分でワクワクしながら待っているってワケ」
「そう考えると、確かに全部繋がる気が…します」
助手役を引き受けてくれてる男子高校生は、呆れ半分、感心半分で、ソファの背もたれに身を預け、エナジードリンクを飲み終えると、それをテーブルの上に置いた。
「お菓子もどうぞ」
彼が手を引っ込める前にそう言って、わさび味のポテトチップスの袋を指さす。
男の子は大人しくそれに従い、袋を開けて摘みだした数枚を咥えたのだった。




