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決戦準備

迎えに来てくれた車には神代の部下しかおらず、私は最初に由香さんと神代の会合を目撃した菊坂にあるスコーンの美味しいティーサロンへと誘われた。

もしかしたら、私がスコーン美味しかったと伝えていたから、気を利かせてこのお店を選んでくれたのかもしれない。

くすんだブルーの塗り壁にアンティークの木製家具をしつらえた静謐な個室に通されると、窓辺にはふんわりとした白いリネンカーテンが揺れ、テーブルには一輪の季節の草花が添えられていた。

無駄な装飾を削ぎ落とした、お洒落だけど落ち着いた空間だった。

テーブルには由香さんと神代が既に着座していて、彼が「知り合いの店だ」と言っていたのを思い出しながら、私も用意されていた席に着く。

直ぐに伝統的なアフタヌーンティーの作法に従って、下段から順に「サンドイッチ」「スコーン」「ケーキと焼き菓子」を乗せた3段のケーキスタンドが運ばれてきて、その後ティーポットとカップ&ソーサーのセットが並べられ、一人一人お紅茶を注いでもらう。

私はシュガーボウルから角砂糖を3つ拝借して、ガラス製の小さなピッチャーを傾けてミルクも多めに入れると、遠慮なくサンドイッチに手を伸ばした。


「食事を取りながら聞いて欲しい」


神代が語り出したのは、今朝の1時に埼玉某所で五味達を摘発した結果、彼らは逃げ出し(というか彼らを故意に逃がし)、神代らは不法投棄に使われていたダンプ3台を押収。車内に残されていた資料や、事務所から出た各種文書もすべて回収した…と、そんな顛末の全てだった。

こうして五味の会社『東和運輸』は倒産・消滅したのだ。

世間の目には、夜逃げしたようにしか見えないだろう。


「ちょっといい? 今後もしも五味達が加納省吾を強請るような動きを見せたらどうするの?」


現状だと考えにくいけど、絶対ないとは言い切れない。

これは素朴な疑問だった。


「そうだな。万が一そうなっても、警察にはそれを裏付ける証拠を見つけることが出来なくしてある。カノウ・エコロジクスは有能な弁護士を雇えば問題ない」


神代が五味達に代わりに証拠隠滅を図った…ということだ。


「日本の司法の基本。疑わしきは罰せずって事ね」


私の合いの手に、神代は頷く。

じゃあこれで加納省吾の外堀は全部埋まったという訳か。


「明日、彼と『交渉』することになる。そこで由香さんが君の知恵を借りたいのだそうだ」


私は彼に促されて、加納省吾の夫でカノウ・エコロジクスの副社長でもある女傑の顔を見る。私の知恵を借りたいと言うよりも…私に何かさせたいってことなのかもしれない。

由香さんは骨盤を立て、腹筋に力を入れて背筋を伸ばした正しい座り方でこちらを見返してきた。


「このお話は社内ではできません。明日、省吾を外部に呼び出す必要があります。その役目をお引き受けいただきたいのです」

「ほらやっぱりぃ…」


私の反応を見て、鉄の女はニコっと笑った。

ええい、笑いごとじゃないっ。


「あのね由香さん。私さ、13日のデートであの男の良くない所を変に刺激しちゃったみたいで、昨日大変な目に遭ってるの。300万円の報酬でやるかやらないかって言われたら、お金に困っていない女芸人以外の女性全員がやらないですって即答するレベルの超悲惨な目に遭ってるワケ」

「でも…雫さんはお金に困ってるんでしょう?」

「こ、困ってますけど。要はそこじゃなくて…」

「この依頼、報酬として100万円をお支払い致します」


うう。コレまた被害に遭って尚且つ海斗くんに怒られる生き地獄コースかも。

私に何処から何処までさせたいのか詳しく尋ねると、最初に僅かな警戒心も抱かせないために、加納省吾に会合場所を選ばせて欲しいのだと告げられた。

由香さんの予測では、加納が女性との密会に好んで使う高級ホテルがあり、まずまちがいなくそこを指定して来るだろう、そこで彼自身に個室を取らせて欲しいとの事だった。

念のためにホテルの名前を聞くと、それは1890年に「日本の迎賓館」として東京・日比谷に開業した日本を代表する最高級ホテルだった。

私も何度か使った事があり、脳内でロビーからエレベーターに乗り、個室に入るまでをシミュレートする。

そうして加納省吾と個室に入った後で、一度施錠されて二人っきりで会話した後、ドアを開けて由香さん達にご登場願う…とのこと。


「私が安全に…ドアを開けられるという保証は…」

「そこは雫さんなら何とかしてくれると思っています」


私にとって最も大事な所を全部をぶん投げて来た由香さんの隣にいる神代は、美麗な置物となってそこにただ座っているだけだった。

彼に手腕を試されている、と感じた。


「…で、私がお二人を呼び込んだとして、その後は?」

「勿論、不法投棄に携わっていた証拠を突き付けて不法投棄を止めさせます」

「それで素直に従う男じゃないですよね?」

「ええ。交渉材料として、常務取締役の地位を今後も安堵する事になるわね」

「ちょっと弱くないですか?」

「それなら何を上乗せすればいいかしら…?」


実は私も、勝手にそこについて考えていた事もあり、無料相談役じゃないんだけどなーって思いながらも、仕方なく会話の流れに乗っかった。


「今後も自由な女遊びを許可する事なんてどうでしょうか」


加納由香氏は、フムフムと頷いている。

彼女にとっては痛くもかゆくもない条件だろう。


「逆に尋ねますけど…。もし加納省吾が全てを投げ打つ覚悟で開き直って、『お前らはどうせこれを事件には出来まい。黙っていてやるから金をよこせ』なんて感じに由香さんを脅して来たらどうするつもりなの?」

「正直、間違いなくそうなるわ。そこを悩んでいるのよ」


私は頭を抱える副社長の隣で優雅なティータイムを愉しんでいるイギリス貴族のような男性探偵を見る。

この難関に、神代がなにも手を打っていない訳が無い。


「隣の彼さんが、多分秘策をお持ちだと思うけど…実はもう共有なさっているんじゃない?」

「あら、そうなの神代さん」


由香さんの問いに、神代は肩を竦めて返している。

そんな小芝居をしている二人にじっとりとした視線を送ってから、彼らに見せつける様にため息をついた。


「由香さんは、設楽杏奈さんの動画、見ましたよね?」

「ええ、見たわ」

「自業自得だと思うでしょう?」

「それは事実だわ」

「あの動画を消去するとお約束していただけるなら、私が考えている方法をお教えしますし、明日加納省吾を個室に呼び出すお手伝いもします」

「ほう…」


神代がここで私の話に興味を示し、会合に復帰する。

二人が「消去してもいいんじゃないか」と話し合いを持っている間にスコーンを食べる。

うん。やっぱりおいひぃ。

口の端についたクロテッドクリームをこっそり舐めとっていた間に、彼らの話は纏まったようだった。


「分かりました。彼女に関する動画は削除します。雫さんのアイディアをお聞かせ願えないかしら」


ちょっと待ってね、とお紅茶を飲み込んでから、口を開いた。


「…こちらが逆に脅すんです。黄金の車の中にあった設楽杏奈さんとの異常なプレイ動画がもし流出でもしたら、サロンの仲間内からは変態扱いされ、SNSでは嘲笑の的になり、女性が寄り付かなくなってプレイボーイとしてのお前は終わりだぞって」


あの動画はそれほどまでに酷いものだった。

でも、いくら杏奈さんの顔だけを暈したとしても、分かる人にはわかってしまうだろう。

それは一人の女性の人生を壊すことになる。

加納省吾のような男をパトロンにしていた杏奈さんにも責任はあるとはいえ…それをするには忍びない。

これはあくまでも脅しであり、本当に流出させることはあってはならない。

だからこその条件だった。

一度約束してくれたのだから、二人はそれを守ってくれるだろう。


「なるほど、効果があるかもしれないな。あの男はバレてしまった社内犯罪を黙認してもらった上で『社会的地位を保ち、今後もサロンで虚栄心を満たせる上に女遊びも続けられる』と云う甘い裁定と、自らの小さなプライドを最優先にして由香さんに一矢報いる代わりに自爆し、『社会的地位を失い、個人としても法の裁きを受け、仲間内からは軽蔑され、女性からは汚物のように嫌悪される人生を送るようになる』状況とを両天秤に掛ける事になる。中々に面白い」


面白がってる場合じゃないでしょ。

普通に考えたら、あの加納省吾が後者を選ぶ可能性は殆どない。

だがそれも冷静な判断が出来る状況下でのこと。

後は彼が「わかった」と答える言えるように、その場で受ける屈辱をどれほど緩和させられるかにかかっている。


「方策は決まった。残すは『演出』だけだ」


今しがた私が考えていた事を、神代も口にする。

こっちに無茶振りが来ないうちに主導権を握ろうと考えて、手を上げて発言許可を求めた。


「はいはい。はーい!」

「雫さんどうぞ」

「由香さんが泣いて縋ってお願いするんです」

「絶対嫌。それにそれじゃ省吾を付けあがらせるだけだわ」


速攻で拒否された。

くそ、ならば今度は…!


「はいはい。はーい!」

「雫さんどうぞ」

「神代さんが物凄く怖そうな人を雇ってですね。皆がお話ししてる最中に『コイツ埋めちゃいましょう』みたいな事を言ってもらって加納をビビらせて、それを皆で宥めるの」

「申し訳ない。信頼できる部下の中には、その様な外見を備えた人員が居ない」


いや。絶対いるでしょう…。

次なる作戦を思いつく前に、由香さんが手を上げた。


「はい」

「由香さんどうぞ」


私は彼女が喋り出す前から露骨に眉をひそめるけど、冷徹なビジネスウーマンは構わずに発言を続けた。


「省吾がすべてを投げ打って『諸共の破滅』を選ぼうとする時、それは私に無様に敗北した現実に耐えられないからよ。そして絶望的に頭が悪いので、私に『負けた』と認めるくらいなら、全員を道連れにして自爆する狂気を持っているわ」

「う、うわぁ……めんどくさい男……」

「でも、ほんの一時でも冷静になれば、あの男は打算に流れる。だからこそ雫さんの出番なの。あなたが探偵として、彼に『逃げ道という名の、都合のいい言い訳』をプレゼントあげてほしいのよ」


ああもう、この人たち無茶振りばっかりだよ!

探偵として──とか、プロとして──とか言えば、私が納得すると思うなよ?

でも実際、これは正規の依頼でもある訳で、私のプロ意識とひっ迫した財政状況がこの仕事を拒否させてくれなかった。

何とも言えないやるせなさを、シフォンケーキにぶつける。うん。これもおいひぃ。

わかった。わかりました。やればいいんでしょ、やれば!


「…悪いけど私のプライド保全のために、もう100万円くらいいただけません?」


私は笑顔を引きつらせながら、精一杯の反撃を試みる。

由香さんにそれを承諾させて、神代に対しては「本当はこれ全部神代の仕事よね?」と言う事で、お持ち帰り用のスコーンを二袋ゲットした。

これは勿論、今晩海斗くんと一緒に食べるためのものだった。



15時

会合を終えた私は事務所へと戻り、ソファベッドに身を投げ出して天井のシーリングファンを眺めていた。

明日の無理難題2つを達成するアイディアを考えないといけない。

時間はあるようで無かった。

一つ、加納省吾と二人きりの密室状態から、無事に扉を開けて皆を呼び込む方法。

一つ、加納省吾に敗北を受け入れさせる方法。

何も考えつかない訳じゃないけど、どれもフワフワしていて、成功率は良くて五分なものばかり。

現場は水物なんだから、頑張って三つ四つと準備をしても、全てを外してしまう事もある。

もし前者で外したら、私は加納省吾にレイプされちゃうかもわからない。

後者に関してはもう知らん。潰れなさいカノウ・エコロジクス。

なんかもう加納省吾との会話に関してはライブ感で行くしかないから、我が身の安全だけ考えよう、と頭を切り替えた。

起き上がり、執務デスク上のPCと向き合って加納にメールを打つ。


『加納 省吾 様

お世話になっております。泉美雫探偵事務所の、泉美です。

奥様の行動調査の件、依頼の期限は8月20日となっておりましたが、本日のお昼の調査の結果、明日に最終報告を行う事が可能となってしまいました。

普段ならあの素敵な執務室へお邪魔させていただくところですが、そのような状況ではございません。

可能な限り、大切なクライアントである省吾様にとって心落ち着く時と場所でのご報告を行わせていただきたいと考えています。

もしご希望であれば、私の方で懇意にしてるホテルを押さえさせていただきます。

ご連絡をお待ちしております。


泉美雫探偵事務所

泉美 雫』


「ふー…」


この返信メールを受け取って、ヤツが私の知らない場所を指定してきたら、一度そこに下見に行かないといけない。

多分ホテルだろうけど…いえ、そうなる様にメールの文面にホテルというワードを混ぜ込んだのだけど、加納のセカンドハウスみたいな超プライベートな場所とか、物理的に孤立可能なクルーザーなんかを指定されたりしたら詰んでしまう…。

一応「可能な限り」と断りを入れてるから、頼むぞ加納省吾よ。そこを見て空気を読んでくれ…。

それから、会合場所が想定しているようなホテルであった場合に備えて必要なものを探す。神代の所にある「GPS搭載の盗聴・盗撮が出来るイヤリング」たいな探偵七つ道具はこの事務所には無いけど、ホームセンターでかき集めて来たような雑多な小物が大量にあるのだ。


「たしかここに…あった」


手にしたのは何の変哲もない0.4mm幅の、両面テープで張り付ける薄い磁石補助板 。

30分の探し物を終えてデスクに戻ると、クライアントからメールの返信が来ていた。

決戦は明日の13時、帝国ホテル。

想定通りの場所だった。


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