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お買い物

8月15日 9時


その日は海斗くんが「琥珀」に来なくなってしまうのではないかと心配して、準備中の看板が下がっている扉を押してお店に顔を出した。


「やあ雫さん」


九条さんが、まだ椅子が上がっているカウンターで一つだけ椅子を降ろし、そこに腰掛けて新聞を開いていた。

静かなモーニングタイムを妨げてしまってごめんなさい。


「あの、海斗くんから…なにか連絡きてません? 例えば…今日お休みします、とか」

「今のところは何も来ていませんよ」


老マスターの返事に少しだけ胸を撫で下ろすけど、それも一瞬だけの事。

まだ抜け殻のままなだけかもしれないし、無断欠勤することだってありえるし、今まさに「バイト辞めます」と電話しようかとスマホを手に悩んでいるのかもしれない。

パニックになる中、時計の針は着実に進んでいく。

九条さんは何も言わずに私をお店に置いてくれていて、私はソワソワしながらあっちに行ったりこっちに行ったりと動き、そのエネルギーがもったいなく思えて床の掃き掃除をさせてもらう。

老マスターが開店準備を始めだして、そして時刻は9時50分、いつもなら海斗くんが顔を出す時間になる。

カランとドアベルが鳴った。


「おはようございます…」


覇気のない声を出しながらも、姿を現したのは間違いなく橘海斗さん(16)だった。

そして彼は店内に箒を握って立つ私の姿を認めて硬直する。

このまま黙っていると彼が「すいません! 入る部屋を間違えました!」みたいな感じに出て行っちゃいそうだから、パッと駆け寄ってその袖を掴んだ。

ギクシャク! と男の子の身体が硬化する。


「ちょっと、イイ?」

「イイスヨ」


取りあえず口は聞けるらしい。昨日の別れ際よりは症状の改善が見える。

手を引いて裏のスタッフルームに入ると、改めて真っ赤な顔をしている男の子を見上げた。

恥ずかしそうで、気まずそう。

居心地よく感じてくれてないのは明白で、視線を逸らされてはいるけど、逃げ出す素振りは無い。


「昨日はごめんね…」


まず私から謝り、彼の態度をチラ見する。


「シ、シズクサンハ。ワルクナイデス。ゼンゼン」


これが本心なのかどうかはこれから暴くけど、海斗くんの傾向として、その場を取り繕う嘘は言わないタイプなのは分かっている。


「海斗くんの気持ちも考えないで。浮かれて…バスタオル一枚で出迎えちゃったり…なんか、恥ずかしい女だよね」

「ウ」


そこは「そんな事ありませんよ!」じゃないんかーい!

多少なりとも恥ずかしい女だと思われている事が発覚してしまった。


「わ、私もさ。あの、海斗くんが、もっと喜んでくれるかも…とか、思っちゃって」

「…」


無言か。そこは無言なのか。


「は、裸にされちゃったけど…あの、別に、それはね? 私は全然…良いの」

「…」


彼の顔の赤面度合いが強くなる。

取り合えず、彼が私を押し倒したこと、そしてタオルを剥ぎ取った事自体を『彼のした過ち』だと思って欲しくなくて、そう伝える。


「あれは、私が悪かったです。ごめんなさい…」


ああなってしまったのは、ハジケすぎた『私のした過ち』だと頭を下げた。

浮かれていた分だけやっぱり、少し悲しい気分になってそのまま顔を上げられずにると、その視線の先にある海斗くんの股間が腫れているのを見てしまう。

ビンビンだった。

私の心臓がドクンと跳ねて、悲しい気持ちがどっかに飛んで行った。

これは…悪い気はしてないとか…そーゆー感じって事でいい?


「なんかもう。海斗くんが私の裸を見て、ガッカリしちゃったんじゃないかって。自分に呆れ──」


あえて自虐を混ぜ込む。これは勿論「そんなことないですよ!」と言わせるための誘導だった。

でもその卑怯なセリフを言い終わる前に、私は彼に抱きしめられていた。

そのギュっ! とした抱擁には何だが凄い決意が込められている気がする。


「バイトが終わったら…話が…あります」


ドキっとする一言だった。

勿論、悪い意味で。

全てを謝り清算して終わりにするためのお話をされちゃう気がして、血の気が引けた。


「や、やだよっ」

「え」


私はそこで「やだやだ!」と首を振った後、狼狽える海斗くんの腕を掴んだ。


「ひどいよそんなのないよっ。私は海斗くんが「琥珀」やめちゃうのとかヤダからね!」

「え? いえ。「琥珀」は辞めないですけど」

「あ、じゃあもう2Fに行きませんみたいの。ダメだよ。聞かないよ」

「いや…だからその、今日のバイト帰りに行くって言ってるじゃないですか」


あれ?

いつの間にか泣いてしまっていた私は、はぁはぁと息を乱しながらも、なんか絶妙に会話がスイングしないな? と彼の顔を見る。

海斗くんは気恥ずかしさで死にそうになりながらも、懸命に真面目な顔を作ろうとしている様子に見える。

これから逃げ出す事を考えている男の子の顔ではないような気がしてきた…。


「…雫さんに会うのはもうやめます…みたいな…話では…ない?」

「いやあの…昨日の事をちゃんと謝ろうと思ってですネ…」


彼は頬をかき、申し訳なさそうに視線を逸らす。

これは…謝った先で「やり直そう」としてくれてる…!?

え…? 今晩もう一度チャンスをください! みたいな!?

二人きりのバックヤードに沈黙が流れた。


「俺、フロアに行かないといけないんで…」


レザーのエプロンを身に着け出した彼に、私は「今ガッチリハートキャッチしておかないと逃げられちゃう!」と焦る。

いや、海斗くんは嘘とか言わないと思うけどさ、そうじゃないと安心できない。


「あ、待って。あのね、一言だけ」

「ナ、ナンデスカ?」


ちょっとだけ身構えている海斗くんに向かって、私は恥じらいつつも声を絞り出す。


「わ、私の裸、ダメだった!?」


いや、こればかっかりは今聞かないと落ち着かないじゃないですか。

「良かったです!」って言わせたいと言うか、なんなら録音したいと言うか。

自分でやっておきながら嬉恥ずかし~! と彼を見上げると、海斗くんが怖い顔でその身体を振動させていた。

あ、もしかしてこれ「男に対して無防備すぎる」って奴の一種だった…?


「し、しつれいしましたっ❤」


私は慌てて控室から退場し、不忍通りまで飛び出したのだった。




11時


見上げた空の陽光をサングラスが遮る。

ここは池袋東口。昨日の今日なので2500円かけてタクシーでやってきていた。

個人的には池袋は『何でも揃うショッピングの街』だと思ってる。だから、何を買うにしてもまずここに来てしまう。

そして今私はとあるお店に向かっていた。

それは…サンシャイン60通り沿いの雑居ビルの中にある『大人のデパート 池袋店』だ。

名前の通りアダルトグッズを取り扱っているお店だけど、彼氏連れは勿論、女の一人客でもそこそこ入りやすいと評判の店で、中でナンパされたりするようなことはめったに起こらない。

そうは言っても、そこは大人の玩具店。

出入りするところを人には見られたくないし、中に入れば緊張もするし、周囲の客や店員からの視線が痛い事もある。

麦わら帽子を被り直してドキドキしながら「普通の事ですけど?」みたいな感じで雑居ビルの入り口へと踏み込んだ。

階段を下りて、ドラッグストアや100均店を彷彿とさせる明るいけど少し狭い店内を進み、ディルドが並べられた一画で足を止める。

探しているのは…『海斗くんのやつみたいなの』だった。

終わってしまったかと思っていた彼との、幸せな未来に向けた先行投資。

彼との本番に備えるのと同時に、私が先走って16歳の男の子に色々と無理強いしないで済むようにするための、言わば切り札だ。

店の規模から、今ここに陳列されているわいせつ物だけで私の要望を満たせるとは思っていない。今日は最初から店員さんに色々聞く事ありきだった。

そうです。そのためのサングラスなのです。

ここで「じゃあ相談するなら女性店員が安心だよね」と考える人もいると思うけど、実はそうでもない。

あまり親身に踏み込んでこられても困るし、女同士だと互いに変な見栄が出てしまったりすることもある。

更に同性とは言え感じ方や趣味嗜好は千差万別なのに、「私はこっちのほうが好きですねー」的なコメントをされて、「ええそうなんですか?じゃあ私もそっちにしてみようかナ」と返すようなコミュニケーション優先の場になってしまう弊害だってある。

だからSSランクは「弁えている男性店員」となるのだった。

これはあくまで陰キャ女子や喪女である『私は』の話。


「あの」


暫く商品を見た後で、目を付けた一人の男性店員が傍に来てくれたタイミングを狙って、小声で呼んで手招きする。

一見すると、失礼だけど何故こんな所で働いているのかと思うような清涼感のある男性で、私より少し年上くらいに見える人だ。

爽やかながらも、彼はしっかりとこっちのおっぱいを見ている。

私はその視線を感じながらサングラス越しに気兼ねなく彼の様子を観察することができた。

偉大なりサングラス。他人との会話時に手放せなくなりそう。


「あのですね…こう…射精機能みたいなのってあったりするんですか?」


私は昨日見てしまった海斗くんの凄い奴が忘れられず、陳列されてるディルドを持ち、手動作でさきっぽから何かが飛び散る様子を表現しながら訪ねてしまう。

軽くセクハラかもしれない。


「ああ、射精バイブありますよ。どのようなものをご希望ですか?」


ニコニコしてるし、驚いた様子もないし、感じはとても良い。

猥談出来る男友達サービスを受けてるのかと勘違いできる程話しやすい雰囲気があった。そんな男性に乗せられて少し饒舌になる。


「あ。出来ればいろいろ。振動だけじゃなくてピストンとか、あったかいとか。あと吸盤とかでハンズフリーで使えて、遠隔で操作できるようなの…そ、そんな多機能なの…流石にない?」

「いえ。あるんですよこれが。もうこの手の商品は、大抵あると思ってくれてもいいと思います。ネットだと誇大な感じの中国製品もあるんで気を付けてください。今カタログを持ってきますね」


男性はレジ裏からちょっとした冊子を手に戻り、ある程度のパーソナルスペースを保ってそれを見せてくれる。

本当に私が欲しい機能全部乗せなものがあり、医療品質のシリコンだとか、音声認識なんてものもあって、「え、すごい」と声を出してしまった。

そんな盛り盛りなヤツをお取り寄せする事に決めて、最後にその商品の選べるサイズとか太さとか固さとか手触りの話になる。


「この商品、手触りや固さはシリコン二層構造なんで、凄くイイと思いますよ。造形もリアルに寄せてますから、好きな人は見てるだけで気分がアガるって言ってますね。どうですか?」

「あ、すごいですね」


私は差し出された見本品をにぎにぎと握り、自然とその裏の筋に沿って親指を動かす。


「あとはサイズですね。なんか日本人の場合はだいたい13cmとからしいんですよ」


彼はここでふと私の腰に視線を投げる。

ゔ。尻がデカいと思われているな…。


「例えばこれが15cm。日本人男性で大きな人のサイズ感。どうですかね? もう少し違うのがいいですか?」

「あの、もうすこし大きいのがいいカナ…」


海斗くんのはもっと大きかった…と思うので、何度か店員さんに見本品を持ってきてもらって、コレかも!?って思ったのが18cmサイズだった。

その後は今度は径を選ぶ。それこそ片手じゃ握れそうにない程に凄かった気がする。

目を瞑り、得意の疑似写真記憶を呼び覚ましながら左右の親指と人差し指で輪っかを作る。直径を計ってもらうと大体5cmくらいで、これはかなり太いと教えられる。

その時不意に、『海斗くんダミー』で散々エッチな事した結果、本番で「雫さんって緩いな…」なんて思われてしまう危険性に気付いて、径3.5cmのを買う事にした。


「こ、これ。これにします」

「じゃあこちらにどうぞ。お会計は先にお願いしますね」


危ない所だった…。

お金を先に支払って店頭引換券を貰う。これは個人情報を出す必要のない購入システムだった。

税込み6万円くらいの支払いを現金で済ませて、1週間後に受け取りに来ることになった。

凄いの買っちゃった❤ という高揚感に包まれながら真夏の日差しの下へと戻る。


「あ、今日はエロい買い物してるんすかw」

「ゔ」


スカウトのケンちゃんに見つかり、話しかけられてしまった。

コイツもしかして、大人のデパートにお一人様で出入りしている女を故意に狙ったりしてないでしょうね…。デリカシー無さすぎる。


「そんなわけないでしょ。二階のラーメン屋に行ってたの!」


汗かきながらそう答えて「急ぐからまたね」と頭を下げ、そのままサササと池袋駅に向かい、改札に吸い込まれ、山手線のホームまで来てから、タクシーで帰るつもりだったのを思い出した。

引き返そうかと悩んだけどホームの暑さに負けて、女性専用車両があったら海斗くんに怒られずに済むのになぁ…なんて考えながら電車に乗り込む。

ぶっちゃけ私は、自分自身のために女性専用車両に乗った事は無いけど、パートナーの為に女性専用車両を選ぶ人って結構いるのかもしれないと思った。

昨日死ぬほど酷い目にあった山手線、池袋から西日暮里までの5駅・約11分。

私自身もう少し五味達の影に脚が竦むかと思っていたけど、意外と普通。何か知らないうちに乗り越えていた。

『あんな事』よりも海斗くんとの一件の方が遥かに大事だから、いちいち気にしていられなくなってるのかもしれない。

多少はドキドキしながら、もしかしたら「あの女は昨日の…!」みたいな視線を投げつけられるかもしれないと高揚していたけど、昨日より1時間早くて客層が違うからかそんな事もない。

今日の車内はカップルや親子連れ、友達同士のティーンズが半数を占めていた。

途中、巣鴨を過ぎたあたりで1回、これは絶対偶然ではないと分かる程度にお尻を触られて揉まれたけど、ちゃんと振り返って後ろにいる中年男性の顔を見て行為を止めさせた。

強くなってる。私強くなってるよ海斗くん!

ああこれ愛の力かなぁ…なんて思いながら、無事にホームタウンの千駄木へと戻ってきた。

移動時間20分。やっぱり最強だわ池袋。

事務所に帰ると、デスクの一番上の引き出しにディルド引換券を大切にしまい込んで、卓上カレンダーの8月22日に『受け取り』と書き込む。

時刻を見れば12時30分。

今日は「琥珀」での食事は遠慮しようと思っていたのに、ご飯を食べてくるのを忘れていた。

あの時ケンちゃんが話しかけてこなければ…!

お昼はもうコンビニで済ませてもいいかなと思っていたところに、不意にスマホが仕事用の着信メロディを奏で出した。

そう言えば神代は今朝方あの五味達を罠に嵌めたはずだから、その情報共有のための電話かもしれないと通話に出る。


「はい、泉美です」

『今から出てこれないか? 由香さんが君を呼んでいる』


彼の電話って、いつも用件から入るのよね。


「私まだお昼食べてないから、美味しい所ならいいですよ」

『はは。では迎えを出す。45分に降りて来てくれ』

「りょーかい」


由香さんが一緒という事は、「最終決着」の段取りに係る打ち合わせだろうか。

私は沢山食べるつもりでおトイレを済ませてから、足取りも軽く事務所を出たのだった。


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