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事件① 作戦会議

8月12日 21時20分 純喫茶「琥珀」


私がドアベルを鳴らした時、店内には他の客はおらず、レコードも既にその針を休めていて、閉店準備が二人の従業員によって粛々と進められていた。

フロアを掃除していた海斗くんが、知人女性のイブニングドレス姿を見て目を丸くし、慌ててぺこりと頭を下げている。

そんな彼に「大人っぽいでしょ?」と微笑みかけながら、私はカウンターへと歩み寄った。


「ご飯食べそびれちゃって、お腹ペコペコ」


お臍付近を撫でながら、喫茶店のマスターに何か残ってないかと訴えかけると、彼はもうすでに火を落としてしまったと謝りつつも笑い、私も「事前にメッセージを送っておけばよかった」と残念がって返して笑う。

これは時々やるお決まりのやり取りで、もし私にお母さんがいたら、「なんで晩御飯取っといてくれなかったの~!」とか、理不尽に怒っていた場面なのだろう。

代わりに冷たいお水を貰ってそれを飲み干し、グラスを返却してから、フロアで額に汗しつつ一生懸命働いている男子高校生に向かって、若干お尻を突き出しながら肩越しに振り返り、今しかないとばかりに聞きたかったことを尋ねてみる。


「海斗くん、お盆休みには実家に帰るの…?」

「あ………いえ。それこそ3時間くらいでいつでも帰れるんで、戻る予定ないです」


明日明後日、下手すると今晩からでも帰っちゃうのではないかと予想していた私にとって、彼の返事は紛れもなく朗報だった。

「結構とんでもない事になっちゃって」と前置きしてから、手を合わせての切実なお願いポーズをしてみせる。


「また相談のって欲しいな」

「いいですよ、俺もそのつもりでしたんで」


若干照れくさそうに、でもほぼ即答で答えてくれた彼の仕草から、昨日の事もあってか結構心配してくれている様子が窺えて、嬉しさと幸福感にも似た何かが胸に溜まり、おっぱいが大きくなった気さえした。


「じゃあちょっと着替えてくるね!」


そう告げて、喫茶店奥の職員用階段をスキップしながら軽快に駆け上がった。

事務所に帰るとまず空調を付けて、姿見の前でなんとなくイブニングドレス姿の自分をセルフィーしてから丁寧にドレスを脱いで、クリーニングに出すのを忘れない様に目立つところに掛けてから、黒のチュールキャミソールの上にハニーベージュのオーガンジーシャツを着こみ、白のストレッチツイルナロースカートを穿き、前髪をちょいちょいと整えた後でスポーツサンダルに足を突っ込んで、一度つんのめりながら一階へと舞い戻る。

ちょうど二人が店仕舞いを終えて外に出ていたので、「明日もまたよろしくおねがいします」の挨拶後の別れ際に、父の腹心だった男性を呼び止めて尋ねた。


「あ、九条さん……神代連って人、わかりますか?」

「神代さんか。剛三さんと2回ほど一緒に仕事をしていたよ。若いが優秀な人だった。彼がどうかしたのかい?」

「…信頼できる人?」


ここで声のトーンを落とし、その人が今度は私と一緒に仕事をしようとしている事を匂わせる。それを受けた九条さんは、穏やかな表情の中で口元を引き締め、静かに頷いて返した。


「そっか。ありがとう。おやすみなさい」


また一つ心が軽くなる。

帰っていく老人の後ろ姿を見送っている海斗くんが「それ誰ですか?」って顔をしていたので、「昨日の公園で会った、あの人よ」と伝えながら歩き出した。

彼にとって神代の印象はあまり良くないみたいで、その表情を僅かに曇らせている。

まあ…彼の目から見たら、神代は途中で変な横やり入れてきた人だもんね。

気持ちは分かるけど、そんな顔して欲しくないので、あえてイケメン探偵のフォローはせずに、「実はノーブラなのだ❤」と宣言して、キャミソールの襟ぐりに指を掛けて引っ張り、深く胸元を晒して男の子の表情筋をストレッチさせる。

身長差を考えたら、結構色々見えちゃったのかもしれないけどまあいいか…。

そのまま背筋を伸ばしてコンビニに向かおうとしている彼の腕をそっと引く。


「今日はもうちょっと先のファーストフードに行ってもいいカナ?」

「アー…タベテナイッテイッテマシタモンネ」


ロボット挙動っぽく爪先を返してくれた海斗くんと一緒に夜道を歩き、信号3つ向こうのMバーガーへ向かい、期間限定のバーガーセットとショコラ風ムースケーキを2人分買って、また無人の通りを引き返す。

特に会話をすることなく、夜風を身体に受けながら星を見上げて…何とはなしに手を繋いだ。

男の子はビクっとした後で、でも私の指を結構しっかりめに握り返してくれる。

強さと優しさにあふれた大きくて温かい手だった。

バスケットボールを片手で掴んで、ダンクシュートとかしちゃっているに違いない。

私がこうして「おっきいなあ」とか思ってる向こうで、あっちは「ちっちゃいなあ」とか、思ってるんだろうか…と、そんな事を考えながら事務所へと戻った。


「おじゃまします」

「お邪魔だなんてとんでもない。どうぞどうぞ」


応接セットの上にバーガーをドサっと並べ、二人で手を洗った後にソファに着き、「いただきます」をしてから夏野菜がふんだんに使われている大ぶりのバーガーにガブリつく。

ごくごく自然な感じに、二人で事務所のソファに座ってこうして夜食を食べていると、知らず知らずの内に笑顔になってしまう。

逆にあの加納省吾とかを前にすると、笑顔の作り方を忘れそうになるのだから、人間って本当に不思議だ。

「この新作、結構美味しいね」なんてモグモグしながらTVを付けると、深夜ドラマの濡れ場がドーン!と70インチの画面に映し出された。


───雨が激しく窓を叩く薄暗いマンションの一室。男女は一言も交わさずに見つめ合い、カメラは重なり合う手や、相手の鎖骨、震える指先などを執拗に映し出す。私は全然知らない女性俳優が震える声で「……ねえ、もう遅いよ。帰らなきゃいけないのに、足が動かないの」と訴え、どこかで見たことがある気がする男性俳優が彼女の耳元で「帰さなきゃいけないって、俺の頭も言ってる。……でも、手が言うことを聞かないんだ」と囁く。男性が女性の肩を引き寄せての深いキスが始まって吐息だけがマイクに拾われ、スローモーションで二人がベッドへ倒れ込み、男の手がスカートの下に潜り、女性がかすれた声を出す。「……明日になったら、全部忘れてくれる?」そんな女性に男性が覆い被さりながら「忘れるわけないだろ。……お前の全部、俺に刻みつけていくんだから」と答え、二人はそのまま急に荒々しく燃え上がっていく───。


「……」

「……」


慌てて消したり切り替えたりするのも何なので、私は平気な顔してそれを見ながらムースケーキを食べて、オレンジジュースを飲む。

流石に地上波なので、そこまで過激でもなんでもなく、ただ男女がセックスしてますよって程度の場面なんだけど……今は隣に16歳の男の子が座っている状況による変な高揚感があった。

汗かきながらピストンっぽい演技をしている二人を見つつ、「この俳優さんだれだっけ?」的な話題で張りつめた空気を緩和させようかとも考えたけど、頬を紅潮させて心ここにあらずなままにハンバーガーの包み紙まで食べてる海斗くんの様子を見て、一つ目の冴える情報を共有してみる事にした。


「えーと。私を襲った連中…海斗くんがぶっ飛ばしてくれたアイツらね。加納省吾の下で働いてる男達だった」

「え!?」


衝撃の事実を耳にした彼は驚きの声を上げ、一瞬で現実世界に帰って来てくれた。

私はもう少し味が濃くてもいいかなと思うポテトをつまんで口に咥える。


「あの加納省吾、とんでもない奴でね。常務取締役なのをいい事に不法投棄を主導していたらしいのよ。それを実働していたのがあの3人組ってわけ」

「それ、行政指導入ったら…良くて事業停止、最悪廃業じゃないですか?」


流石難関校に通う高校生。社会問題にも明るい。

ここで私はTVリモコンを引き寄せて、ごく自然な動作でチャンネルを変える事に成功する。


「そう。で、今日会って来た神代さんは…加納省吾の奥さんで会社の副社長の加納由香さんと一緒に、この不法投棄を内密に処理するために動いてたのよ」

「ははあ…そういう話を聞くと思っちゃいますネ。公になる前に社内で正される悪事って結構あるんだなって」


これは本当にそのとおりで、私達がニュースで耳にする汚職だの事件だのは、氷山の一角に過ぎないのだとつくづく思う。

彼の前で酸味の強いオレンジジュースを一気に飲み込むと、空になったカップをタンっとテーブルに置いて、冷蔵庫の中のおやつを覗くために立ち上がり、ついでエアコンの設定温度を1℃下げる。海斗くんは今になって包装紙ごと咀嚼していた事に気付き、べちょべちょになったソレをそーっと口の中から引き抜いていた。


「海斗くんがアイツらボコッボコにして、後は警察に突き出すだけの状況だったけど、このお盆にも不法投棄に動くっぽいから、その現場を押さえるために泳がせたかったんだってさ」

「そうだったんですね…」


これで神代への誤解も解けただろう。

私はサクサクとした軽快な食感のクッキーと、それを優しく包み込むミルクチョコのハーモニーが人気の、派閥争いのネタで有名なお菓子を持ってテーブルに戻って来る。


「神代さん達は、私の動きが気になっていたみたいでさ。でも色々話した結果、由香さんの動きに勘付いた加納省吾が私を使って探りを入れている…って心配は、多分ないなって話になって。実際私もそんな深堀り指示されてないしね」

「まあそうでしょうね。あの男はそんな事考えてませんよ」


海斗くんの言葉の端々から、加納省吾への怨念を感じるような…。


「でね。私は神代さんらに協力して、明日加納と会って、彼を外に連れ出して、その隙に由香さんがヤツの部屋で調べ物をするって流れになったの。酷いと思わない?」


結構軽いグチのつもりだった言葉に、海斗くんは眉間に深く皺を寄せて何時になく強気に私に迫った。


「俺は反対です。雫さんはあの男と深く関わるべきじゃないです。浮気調査しました、奥さんは浮気していませんでした、で終わるべきですよ」


彼の顔は真剣そのもの。

それに加えてその鋭い舌鋒に込められていたのは至極もっともな意見だったので、思わず私も身体を後ろに反らしながら怯んでしまう。

…あの『黄金の車』が加納のウィークポイントになるのなら、神代は私無しでも必ずアレを手に入れるだろう。

私は私でこの件に関与せず、ただ8月20日までを静かに過ごし──…と、そこまで考えてから、『私が作戦に参加しないルート』の破綻に気付いてしまった。


「…そうなんだけどさ、このままだとあの男の暴走を止める手立てに欠けるみたいなのよね。私さ、海斗くんが助けてくれなかったら…あの場で奴らに何をされてたと思う?」

「え? いや? 普通に…レイプ…とかですか?」


なんだか罪悪感を覚えている様子の男子の、焦り散らかした顔を見る。

海斗くんには「貴方が暴漢側だったら、私をどうしたと思う?」みたいな問いかけに聞こえてしまっているのだろう。

男性と言うだけで、あの暴漢らと海斗くんを乱暴に一纏めにして肩身の狭い思いをさせちゃっているようで、ちょっと聞き方が悪かったかもしれないと反省する。

心配しなくていいよ、という意味を込め、私はソファの上で左手の人差し指と中指でトコトコと手を歩かせて、そのまま海斗くんの手を握った。


「…あの時ね、自分でパンツを脱げって言われて、そうしないと裸にして公園のオブジェに縛り付けるぞって脅されて、私はそれに従ってたんだ。その後ね、あそこで…オナニーしろってさ。それを動画で撮ってやるって。海斗くんが来てくれなかったらね、そうなっていたんだよ」

「な──」


彼は口を開けたまま絶句した。

それは健全な男子高校生の『エッチな妄想』を遥かに超える悪意だったに違いない。

ほんとうに…どうなっていたことか…。

男の子の顔を見ると…当時の場面を思い返しているようだった。

彼が駆け付けた時、私は多分泣きながらスカートを持ち上げていて─。

あ、ストップ! そこから先を想像しないように!


「一刻も早くあの男を何とかしないと、私もこの先どんな目に遭うのか分かんないの。8月20日まで適当に4日に1度の報告をするだけでも、加納省吾がどんどんと欲求不満になって、あの男達にどんな指示を出すかもわからない…。ううん。ヤツは昨日手に入れるはずだった私の動画が手に入らない事で、もうヤバイ指示を出しているのかも。この事務所に乗り込んでくる可能性だってあるかも…」


海斗くんとお話することで、自分の気持ちが言語化されて整理されていく。

由香さんと300万円の契約をしてしまったからとか、設楽杏奈の仇を討ってあげたいからとか、私をコケにした加納省吾に復讐をしたいからとか、そんな気持ちでこの話を引き受けたつもりだったけど、根っこにあったのはあの得体のしれない男への恐怖だったのだ。


「…そんな訳だから、私はやるしかないの。ね? 結構深刻でしょう?」


出来るだけ明るく笑って、彼から手を放す。

多少は無理をしてるけど、でも全部が全部空元気なわけじゃなかった。海斗くんがお話を聞いてくれるだけで、前向きになれる自分がそこにいたからこそできる笑顔だった。


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