カナシバリ
夜明け前。焚き火の残骸が白い煙を細く上げる中、太郎は一人、即席の机代わりに使っている切り株の上に地図と資料を広げていた。
「いいですかな、ご主人殿。違和感は『調和』の中にこそ潜んでおります。この街の美しさは、何かを隠すための化粧だと思ってください」
マサヨシは出発の間際、太郎のその言葉を反芻していた。
太郎は拠点での後方支援と分析に徹する。彼の策謀は、前線で泥を啜るよりも、集まった断片的な情報から「構造」を読み解く時にこそ真価を発揮するからだ。
「わかってる。ヤクトたちと連携して、必ずアキラの足取りを掴む」
「さすがでございますなぁ…。兎に角、何か分かりましたら伝えるようにしますよし、お気にれずいってらっしゃいませ。」
マサヨシはポコを伴い、商会ギルドのバッジを胸に、朝霧に包まれた正門へと向かった。
ガンニバルの正門を抜けると、そこには昨夜、森の中から見た以上の「理想郷」が広がっていた。
石畳は磨き上げられたように白く、通りに並ぶ街灯は煤一つついていない。通りを行き交う人々は、誰もが質の良いリネンやシルクの服を纏い、顔色も艶やかだ。
「……ポコ、どう思う」
「……不気味です。市場を見てください。並んでいる野菜も果物も、まるで見本品のように綺麗すぎます。それに、この街には『物乞い』が一人もいない」
二人は「ギルボア商会」の調査員を装い、街の中心部へと足を向けた。
商売の交渉を建前に、街の富裕層が住む「上層区」へ潜り込む。そこには壮麗な白亜の邸宅が立ち並んでいた。
「失礼、この邸宅の主、アルビオン卿に商談の約束を……」
マサヨシが門番に声をかける。その時、門の中から一人の女性が出てきた。
白いエプロンドレスを完璧に着こなしたメイドだ。彼女はマサヨシたちの姿を見ると、優雅に一礼した。
「いらっしゃいませ。あいにく旦那様は登城しておりますが、伝言を承りましょうか?」
マサヨシはそのメイドの「手」に目を留めた。
奴隷国家のメイドといえば、過酷な労働で指が節くれ立ち、肌は荒れているものだと想像していた。だが、彼女の手は驚くほど白く、手入れが行き届いている。
さらに言えば、彼女の瞳には「意思」と、ある種の「矜持」すら宿っていた。
「……いや、また出直そう。良い教育を受けているようだね」
「恐れ入ります。この国の市民として、当然の嗜みでございますから」
彼女は誇らしげに微笑んだ。その笑顔に一瞥し、マサヨシとポコは、その邸宅を離れた。
少し道を歩いた後で路地裏に入り込み、顔を見合わせる。
「おかしい。さっきのメイド、あれは奴隷じゃない。身分の高い自由市民か、少なくとも相応の給与を貰っている専門職だ」
「ああ。街を歩く洗濯女も、馬車を引く御者も、みんな『中流以上の身なり』をしてる。昨夜ヤクトが言った通りだ……この街には、底辺が存在しない」
ピラミッドの頂点だけが浮いているような、奇妙な浮遊感。
だが、この広大な街を維持し、清掃し、建築するためには、必ず「誰か」の肉体労働が必要なはずなのだ。
一方、華やかな大通りから遠く離れた、北西の工業・建築区画。
ヤクトを筆頭とする四人は、気配を殺し、建物の屋根伝いに移動していた。
「……クンクン、……マリアナ様、こっち。風が、重たい」
アヤメが小さな鼻をひくつかせて指を指す。彼女の鋭い嗅覚が捉えたのは、昨夜の缶詰にも通じる、あの「防腐剤と生臭さ」が混ざったような淀んだ空気だった。
「奴隷市がない、ってのは本当みたいね。どこを見ても、商売としての奴隷の気配がしないわ」
マリアナが苦々しく呟く。カシオペは大きな身体を丸めながら、重い口を開いた。
「でも、あの大きな建物……あれを作ってるのは誰? 自由市民が、あんな泥にまみれた作業をするとは思えない」
四人が辿り着いたのは、建設途中の巨大な「円形劇場」のような施設だった。
周囲は高い塀で囲まれ、厳重な検問がある。だが、内部からは石を叩く音や、重い荷を引きずる轍の音が聞こえてくる。
ヤクトが合図を出し、四人は塀の死角から内部を覗き込んだ。すると待ち望んでいた言葉を吐き出す。
「……いた」
ヤクトの短い言葉に全員が息を呑んだ。そこには、いた。
マサヨシたちが見てきた「優雅な市民」とは真逆の存在。
灰色の粗末なボロを纏い、顔を泥と煤で汚した数百人の男女が、機械のように動いている。
だが、その様子は異常だった。
誰一人として言葉を発しない。監督官が鞭を振るうこともない。ただ、一定のリズムで、黙々と巨大な石材を運んでいる。
「……ねえ、あの子たち……目が、変だよ」
アヤメが怯えたように呟く。それはそうだろう。奴隷たちの瞳には、恐怖も、憎しみも、疲労すらもなかった。
ただ、濁った硝子玉のように虚空を見つめ、身体だけが精密機械のように駆動している。
その時だった。
滑車で吊り上げていた数トンの大理石が、不自然な音を立てて軋んだ。
「――ッ!?」
カシオペが飛び出そうとするのを、ヤクトが強引に抑え込む。
「まて…ここでバレたら…」
「それでも人が…」
「馬鹿力めッ。マリアナも手伝え!」
「もぅ…めんどくさいわねぇ…。」
「おねーちゃ!怒らないで!」
青筋をたてて助けに向かおうとするカシオペを3人がかりで抑え込む。
ジリジリと身体を前に進ませていた次の瞬間、麻縄が弾け、巨大な石塊が真下にいた奴隷たちの上に振り下ろされた。
「だめ_______」
凄まじい地響きと共に、土煙が舞う。少なくとも三人が下敷きになり、数人が跳ね飛ばされた。
普通なら、悲鳴が上がり、混乱が起きるはずの現場だ。だが、静かだった。
下敷きになった奴隷たちは、声一つ上げず、ただ肉が潰れる嫌な音だけを響かせた。
そして周囲の奴隷たちは、仲間が死んだことなど気にも留めず、石材を避けて、再び同じリズムで歩き始めたのだ。
「なんなのよ、これ……人間じゃない……」
マリアナが震える声で漏らす。
そこへ、白衣を着た男たちが数人、台車を引いて現れた。彼らは事務的な手つきで、石の下から突き出た「動かなくなった肉体」を検分した。
「個体番号402、405、511。損壊激しく、修復不能。廃棄及び再資源化に回せ」
冷徹な声が響く。
男たちは、血に濡れた奴隷の死体を、まるで壊れた家具でも扱うかのように雑に台車へ放り込んだ。
そして、まだ息があり、手足が奇妙な方向に曲がって痙攣している者さえも、同じように積み上げていく。
「追うぞ。あれが、この国の『裏側』への入り口だ」
ヤクトの氷のような声が、三人を現実に引き戻した。
台車は、建設現場の奥にある、地下へと続く巨大な昇降機へと運ばれていく。
「あそこから、缶詰の匂いが…」
「言われなくてもわかるわよ。何このしつこい匂いは…」
アヤメの指摘どうり、その地下からは、あの「缶詰」と同じ――いや、それを何万倍にも濃縮したような、強烈な生臭さと薬品の臭いが、霧となって溢れ出していた。
夕暮れ時。
約束の場所に戻った二つのグループは、互いの報告を聞き、沈黙に包まれた。
「……メイドも、御者も、門番も、みんな『市民』としての誇りを持っていた。奴隷の労働を必要としないほど、社会が完成されているように見えた」
マサヨシの言葉に、ヤクトが首を振る。
「逆ですよ、マサヨシさん。奴隷がいるから社会が完成してる。」
ヤクトは、建設現場で見た光景を淡々と語った。感情のない奴隷、事故が起きても変わらない作業、そして「再資源化」という言葉。
「アキラがもし、あの『個体番号』を振られた連中の中に混じっていたら……」
カシオペが拳を握りしめる。
「……太郎を呼ぼう。この国は、ただの奴隷国家じゃない」
マサヨシは、夕闇に沈むガンニバルの美しい街並みを睨みつけた。
「ここは、人間を材料にした巨大な『精錬所』だ」
平和な街並みの下で、巨大な歯車が回る音が聞こる気がした。
一行は、アキラを救い出すため、そしてこの狂った美しさを破壊するために、闇の中へと深く潜っていく決意を固めた。




