夜闇にとけていく
夜の西側行政区。整然とした街並みの中に、威厳を誇示するように建つ巨大な給水塔があった。
その屋根に、ヤクトが音もなく降り立つ。
「さて、始めましょうか」
階下では、制服をピシリと着こなした街の警備兵たちが巡回していた。
彼らもまた、昼間に見たメイドと同じく、身なりが良く、自尊心に満ちた顔をしている。この街を支える「地獄」など微塵も感じさせない姿だ。
「カシオペさん。」
「ええ。どうなるかわかりませんが、うーんそれっ!」
カシオペの剛腕から弾かれた手のひらサイズのイシツブテが、貯水塔の足に直撃する。
「ギギギ……」と鉄鋼が悲鳴を上げ、給水塔がゆっくりと、だが確実に傾き始めた。
「な、なんだ!? 事故か!?」
警備兵たちが慌てふためく中、ヤクトが風となって地上に降り立った。
「事故じゃありませんよ。……処刑の時間です」
ヤクトの双短剣が閃く。俊敏強化を施された彼の動きは、常人の動体視力を遥かに凌駕していた。
一瞬のうちに数人の警備兵の喉元が裂け、血飛沫が石畳を汚す。
ヤクトの真骨頂は、その「終わりのないスタミナ」にある。一撃離脱を繰り返しながら、彼は街のメインストリートを駆け抜け、次々と火の手を上げていった。
「あっちだ! 侵入者を探せ!」
「消火班を呼べ! 水が出ないぞ!」
太郎の計算通り、貯水施設の機能不全とヤクトの神出鬼没な攻撃により、街の守備隊は西側へと殺到していく。
彼らは今不明勢力と思っているだろう。そこに隙がある。ヤクトは肺に空気をためて大きな声をあげる。
「我々はぁーーー!!奴隷解放戦線であーーーーる!!!」
陽動の喧騒が遠くから聞こえる中、マサヨシたちは北西の建設現場へと辿り着いた。
昼間見た、あの巨大な円形劇場の工事現場だ。
「……臭う。昼間よりも、ずっと濃い」
アヤメが鼻を抑え、顔を顰める。
「防腐剤と、腐りかけた肉の臭いだな。……マサヨシ、上から行くぞ」
マサヨシはポコとアヤメの肩を掴み、マリアナは自力で壁を蹴り上げた。
「――転移」
座標を読み解き、一瞬で建設現場内部の足場へと跳ぶ。
眼下に広がる光景は、地獄そのものだった。
昼間の「整然とした労働」は影を潜め、そこには無造作に積み上げられた奴隷たちの遺体と、それを「処理」する者たちの姿があった。
「あれを見て……」
ポコが指差す先。
昼間の事故現場に、数人の人影があった。
その中心に立つ男は、異常だった。
身長は優に二メートル半を超え、着ている制服が今にも弾け飛ばんばかりに、筋肉が不自然に隆起している。
腕の一本一本がマサヨシの胴体ほどもあり、肌は血色の悪い灰色。血管が紫色のミミズのように全身を這い回っている。
「……あれは、人間か?」
マサヨシが戦慄する。その反応マリアナが大剣を空間から引き抜き、その瞳を細めた。
「……魂が、継ぎ接ぎだわ。一つじゃない。何十人分もの『強い魂の破片』が、無理やり一つの肉体に縫い付けられている」
「継ぎ接ぎ……?」
「つまり、あれも『再資源化』の成果物ということね。……来るわよ」
その瞬間、巨漢の「奴隷警戒員」が、ゆっくりと首をこちらへ向けた。
感情の消えた瞳。だが、その奥には底知れない暴力の衝動が渦巻いている。
「侵入者……発見。個体番号、不要。……廃棄処分を執行する」
地を這うような重低音は、巨漢が地面を蹴ったがゆえだ。その巨体からは想像もつかない速度だった。
「ポコ!」
「任せて!」
ポコが別空間から、自身の身長を遥かに超える巨大な斧を取り出す。
「――『マサカリ』!!」
ポコの身体では到底支えることはできないであろう、巨大な光の斧を、巨漢の警戒員へと振り下ろされた。
ガギィィィン!!
凄まじい金属音が響き渡る。
驚くべきことに、巨漢はそれを右腕一本で受け止めていた。厚い筋肉の装甲が、光の斧の刃を食い止めている。
「な……!? 私の『マサカリ』を片手で!?」
「……脆弱。出力不足」
巨漢が腕を払うだけで、ポコの小さな身体が木の葉のように吹き飛ばされた。
すかさずアヤメが前に出る。
「やらせない! ……火よ!」
アヤメの手のひらから、業火が放たれる。コントロールを失ったその炎は、現場の木材や足場を飲み込み、一瞬で辺りを火の海に変えた。
「あ……魔力が……」
膝をつくアヤメ。全魔力を使い切った彼女の攻撃は、巨漢の視界を炎で遮ることに成功した。
「マサヨシ、行くわよ」
マリアナが炎の中を突き抜ける。そして巨大な剣が、巨漢の胴体を目掛けて横一文字に振られた。巨漢はそれを左拳で殴りつけ、強引に軌道を逸らす。
「(今だ!)」
マサヨシは意識を集中させた。
「ターゲット確認。座標固定。……転移!」
マサヨシが指を振るう。巨漢の首の「空間」そのものを、別の場所へと転移させる。本来なら、これで首が落ちるはずだった。
だが。
「……ッ!? 弾かれた!?」
マサヨシの感覚に、嫌な抵抗感が走る。巨漢の周囲に、薄緑色の歪な力場が発生していた。
「……魔法妨害か!」
「……主様より、転送技術への対策を……付与されている」
巨漢の背後に控えていた数人の部下――彼らもまた、異様に痩せ細り、機械的な動作をする魔導士の成り果てだった。
彼らが発動させている「妨害魔法」が、マサヨシのスキルを無力化していたのだ。
「くそ……なら、物理的に叩き潰すまでだ!」
マサヨシは懐から、一振りの「鍵」を取り出した。
それは彼が別空間に封印している、最悪の攻撃手段へのパスポート。
「マリアナ、ポコ! 下がれ!!」
仲間の退避を確認し、マサヨシは空間の「裂け目」を眼前に作り出した。
そこから漏れ出すのは、神々しいまでの黄金の光。
かつて「最速」と呼ばれた英雄が放った、長距離レーザー。
その一部を「停止した時間」と共に封印した、一撃必殺の光条。
「――解放、『黄金道』!!」
裂け目から、黄金の光が奔流となって溢れ出した。
その光は生き物のようにうねり、ホーミング性能を持って巨漢へと牙を向く。
巨漢の警戒員も、これには危機を感じたのか、両腕を交差させ、全身の筋肉を硬化させた。
「……防御、最大出力……!!」
光と熱が現場を埋め尽くした。石材は蒸発し、足場は粉々に砕け散る。
黄金の光は巨漢を飲み込み、背後の部下たちをもろとも消し飛ばした。
沈黙が訪れる。
煙が晴れたそこには、片腕を失い、全身の皮膚を焼かれながらも、なお立ち尽くす巨漢の姿があった。
「……これでも、倒れないのか……」
マサヨシは息を切らしていた。黄金道の反動は大きい。巨漢の傷口からは、血ではなく、緑色の薬品が混ざった粘液が溢れ出していた。
マリアナが静かに歩み寄り、大剣を巨漢の首元に突きつけた。
「……魂の繋ぎ目が、切れたわ。もう、動けないはずよ」
巨漢は最後に一度だけ、マサヨシを見た。その瞳に、一瞬だけ、機械的ではない「人間」としての哀しみが宿ったように見えた。
「……再資源……化……完了……」
巨漢の巨体が、崩れるように地面に沈んだ。
「……終わった、の?」
アヤメがポコに支えられながら惨状を眺め、マサヨシは巨漢が守っていた背後の扉を見た。
そこからは、昼間の比ではない、猛烈な「生臭さ」が漂ってきている。地下へと続く、暗い階段。
「陽動の時間は長く持たない。……行くぞ。アキラが、この下にいる」
マサヨシを先頭に、一行は地獄の深淵へと足を踏み入れた。
美しきガンニバルの、本当の「食事の時間」は、ここから始まるのだ。




