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骨の髄まで  作者: 國生さゆり
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シーン5 行き交う


 シーン5 行き交う


 眉間に深いシワをよせ「素人⁈万智子、お前が紹介したのか!」と“気遣いの人”染矢が周りはばからず険のある声を立てた。鼻先に人差し指をかざし「シーっ」と言いつつ、キョロキョロと周りを見渡した万智子が「声落としてよ、まだアンティパストも来てないんだよ。まずは久し振りなんだから食事しながら旧交を温めようよ、染矢」とフェミニンにしかるが、一直線の眼差しを万智子にえ、聞かない染矢は「どうしてそうなったか!経緯を聞かせろ!」とゆずらない。しかもその目には“うるせえ“と書いてあった。



 万智子は若頭と組員の葬式が終わったばかりの赤松組と、二人を闇討ちした野中組は一触即発で、大河原組は遺書の件で誰もが浮き足立っている今、染矢の苛立ちも無理はないと思いつつも「ねぇ、私の事、信用してる?」と聞く。「当たり前だろうが」と即答した染矢に、万智子はなおも「無理なミッションも成功させて、あなたの人脈づくりに貢献こうけんしてきたよね、お金にも汚くはないし、黒皮の手帳なんて物も作っていない」と言った。染矢が“何が言いたい“と目でう。



 そこへ戸上が「失礼致します。イワシのトロンケッティ・フルーツトマトのマリネ添えでございます」と言いながら、テーブル中央に大皿を置く。そして「白ワインに変えますか?」と小脇にかかえたワインリストを染矢に手渡した。万智子から目を離さず、リストを受け取った染矢は「俺はこのまま炭酸水でいい」と答え、ワインリストを開いて万智子へと渡す。



 慣れた様子でリストを眺め「ルイ・ジャドムルソーをボトルでお願いします」と言って、万智子はリストに素晴らしい微笑をえて戸上に返した。目を見開いた戸上はさりげなくうつむいたが、染矢にはわかった。万智子は戸上をサクっと陥落かんらくさせてみせたのだ。「承知しました」と言った戸上が頬を染めて去ってゆく。



 戸上はこれから万智子にも使われる羽目になった。そう考えながら「フルボトル飲めるのか?」と聞いた染矢に、「あなたのお財布を考えて1本にしておいたのよ。ねぇ、まだ断酒してるの?」と万智子が聞き返す。




 「ああ、一生分の酒はもう飲んだ。それにもう記憶を無くしたくないんだ」と染矢が笑う。酒の選り好みはなく、酒のチョイスは人にまかせきりで、なんでも浴びるように呑んでいた。それでも染矢はすさまず、口をすべらせず、だからと言って寡黙かもくな訳じゃなく、女好きのだらしない男にも変身しない。三日四夜呑み続けても、2時間ほどの睡眠で完全復活するほどに酒が強かった。記憶がないと言っても、誰もが信用しないほどの平和なのんべいだった。




 笑う染矢を目の当たりにして万智子は、なんか寂しそうと思う。元々、染矢の笑顔にはうれいがあったが、このところそのかげが一層濃くなったと気付いている万智子は「そうか、まだ断酒中なんだ」と言いつつ、フルーツトマトにフォークを突き立て、「つまんないな」と心底呟き、「あんなに楽しかったのに」と言ってトマトを口の中に放り込んだ。



 「呑んでも呑まなくても変わらないんだから、いつでも付き合ってやるよ。連絡入れろ」と言った染矢に、「あんたわかってない。呑むとよく笑うのよ、あんた。その顔が見たいの」と万智子。




 それからの万智子は細身のプロポーションからは、想像出来ないほどの健啖けんたんぶりを見せ、ワインを水を飲むかのように飲み続け、季節野菜のズッパ、ジャガイモのニョッキのクリームサーモンソース、ミラノ風カツレツを平らげ、その間も染矢を退屈させない話題を持ち出しては、会話の波紋を広げてゆく、2本目のワインに投入して、時に「マヌケよねー」と笑い転げ、まれに「染矢に会えなくて寂しかった」と少女のような健気けなげさで言い、普通に「アパレルからこっちの世界に女の子が流れてきてるの、コロナと気候変動で洋服が売れないんだって」とティラミスを食べながら言った。少食の染矢は子牛のボロネーゼパスタで付き合いながら、間違いなく万智子はテーブルの支配者で、その辺の女優よりもえる女で、頭が良いのにたまにドジで、だからこそ超一流になれたのだなぁーと考えていた。



 モカラテに口を付けた万智子が「中山可穂の、“白い薔薇の淵まで”を電子書籍で読んだんだけど、どうしても紙でも読みたくなって、赤松とTSUTAYAに行ったの。そしたら赤松が手に取ろうとした“心臓の王国”って題名の本に、同時に手を出したのが、今、赤松が夢中になってるノエルだったってわけ」と言った。



 染矢が「なんだ、その運命的な感じ」とあきれ声で言うと、万智子はめずらしく目をせ「でしょ。赤松、ノエルの顔見て固まっちゃって、まばたきも忘れちゃってた。賢い私はノエルを誘って3人でお茶したの、そっからよ」万智子の長い睫毛まつげから寂しさが香る。万智子の目を覗き込んだ染矢は「お前は、それでよかったのか?」とえて聞く。



 顔を上げ、束の間、表情を曇らせて染矢を見ていた万智子は、ひらりとちり一つなく微笑み「喧嘩するの簡単でしょ。それにノエルを近くに置いといた方が私の価値上がるし、と、言いつつもノエルっていい子なのよ、天使みたいなの。今じゃ一番好きな子よ」と言った。「そうか」とこぼした染矢が「写真見せろよ、ノエルの。あるんだろう」スマホを渡せとでも言うかのように左手を差し出す。



 万智子は染矢の左薬指の付け根にある星柄のホクロを何となくながめ「ないわ」と即答した。嘘だった。咄嗟に“ない“と出たのだ。万智子は見せてはいけない気がしたからだと今になって気づく。「だよな」と言った染矢は万智子に餌をく。「お前、マンションのオーナーやらないか?」と。



 万智子は魅力的に「ご褒美?」と聞き返す。「そう、ご褒美。競売で落としたマンションがある。リノベーションしてやかたにしてさ、裏カジノ作って商売を拡大しないか?経費出してやるから」と染矢が言った。万智子は背筋を伸ばし「表の会社で正規で手に入れた物件?」と確認する。



 「ああ、なんの手垢てあかもついてないよ」と歯並びの美しい白い歯を見せて美しく笑った染矢に、うなずいた万智子はこの笑顔に弱いんだよね、私と思いつつ「お小遣いは今まで通りで、6、4なら」とスルリと交渉に入る。「お前が4な」と染矢が言うと、万智子は「ヤクザにしては優しいか」と屈託くったくなく言い、口を開きかけた染矢の先回りをする。「その代わり、ノエルをちゃんと管理しろでしょ」と。



 万智子の答えに満足した染矢は「愛してるよ、万智子」と口にする。万智子は染矢の口元を見つめ「嘘つき」と言った。




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