シーン6 局面
染矢が。
万智子の棲家。
麻布十番へ向かっていると。
携帯電話が振動した。
万智子が。
染矢のスーツの胸元へ。
チラリと視線を送る。
染矢と。
目が合った。
万智子は。
微笑んだ。
そして。
ドア側に置いていた。
セリーヌのバッグへ手を伸ばす。
Boseのイヤホンを取り出した。
右。
左。
耳へ。
優雅な所作で差し込む。
Apple Watchを操作して。
音楽を流す。
一流の女が。
ここにいる。
それだけで。
染矢には。
分かった。
――聞いてない。
――知らない。
万智子は。
そう言ったのだ。
口ではなく。
動作で。
そういう気遣いのできる女だった。
行動には。
人柄が出る。
柄は。
人となりを。
雄弁に語る。
そして。
それを見る側は。
勝手に選択する。
好ましいか。
否か。
人間とは。
勝手なものだ。
逆を言えば。
人の心象など。
コントロールできる。
万智子が。
そうだ。
いくらでも。
どうにでも。
一皮では。
足りない世界で生きてきた。
染矢と。
万智子は。
それを。
熟知している。
そして。
染矢が育った環境は。
第六感ともいえる。
染矢の嗅覚をも。
育てた。
*
助手席の。
椎田が。
振り返っていた。
まなじりの涼やかな目で。
染矢を見ている。
一方。
運転席の若竹は。
大好きなマイケル・ジャクソンに合わせ。
いつものように。
首を振っている。
染矢が乗車している時。
若竹には。
ヘッドフォンをつけさせていた。
情報漏れを。
防ぐためだ。
耳には。
心がある。
聞けば。
考える。
考えれば。
そこに。
欲が混じる。
律することのできない人間なら。
なおさらだ。
染矢は。
若竹を信用していない。
どう見ても。
至誠心がない。
椎田を見る。
まなじりの。
涼やかな目。
そして。
気づく。
こいつ。
携帯の振動音の違いに。
気づいてやがる。
舌打ちしそうになった。
腹心。
誰よりも。
使える。
それは。
分かっている。
だからこそ。
嫌だった。
椎田だろうが。
代行だろうが。
誰であろうが。
自分の行動パターン。
癖。
好み。
それらを。
知られるのが。
何より嫌いだった。
知るということは。
読むということだ。
読めるということは。
次の行動を。
予測できるということだ。
染矢は。
人を読む側でいたかった。
読まれる側には。
なりたくなかった。
振動音を。
変える。
そう。
頭へ刻んで。
通話へと入った。
「はい」
『わてや』
かん子だった。
『今井にフダが出た』
染矢の目が。
変わる。
『罪状は脱税や。機動隊が自宅囲んどるらしい』
「……」
『行って。事を納めてくれるか』
声が。
やけに。
冷静だった。
それが。
気になった。
「承知しました」
あえて、一拍おく。
「代行」
『なんや』
「事と次第によっては。どうなるか分かりません」
低く。
言った。
「私が帰るまで。本家から出ないでいただきたい」
電話の向こうで。
かん子が笑った。
『分かってる』
「……」
『心配せんでも大丈夫や。わてはここから動かん』
それでも。
染矢は。
言わずにはいられなかった。
本部長の難が。
代行へ。
飛ばない保証はない。
「約束ですよ。代行」
僅かな。
間。
『はいはい』
電話が。
切れた。
*
染矢の顔から。
血の気が引いていた。
その顔を。
万智子は見ていた。
イヤホンを外す。
何も。
聞かない。
「ねえ」
若竹の左肩を。
トントンと。
叩いた。
「ここで降ろして。パン買って帰るから」
「あっ! はい!」
若竹が。
ブレーキを踏んだ。
急だった。
身体が。
前へ持っていかれる。
次の瞬間。
染矢の足が。
運転席の背を蹴っていた。
ドンッ。
座席ごと。
若竹がつんのめる。
「すみません!」
「染さん」
椎田が。
すぐに割って入る。
「私からの言い聞かせが足りませんでした。すみません」
若竹は。
車を降りた。
万智子側へと回り。
後部ドアを開ける。
こんな時だけ。
迅速。
染矢は。
それを見て。
「あべこべな奴」
呟いた。
万智子が。
車を降りる。
窓越しに。
手を振った。
「染矢。またねー」
染矢も。
電話する。
そういう意味で。
右手を耳へ持っていこうとした。
車が走り出す。
右手だけが。
中途半端に。
宙へ残った。
染矢は。
若竹の後頭部を見た。
――こいつ。
本当に。
持ってねえーーー。
*
事のタイミングを。
ずらす。
持っていない奴は。
そういうことをする。
そして。
厄介事を。
招き入れる。
私は悪くありません。
と。
平気で言う。
誰々さんが。
と。
他人の名前を出して。
言い訳もする。
結局。
向いていないのだ。
最下層の末端へ。
飛ばすか。
汚れ仕事の。
道具にするか。
……いや。
それすら。
危ない。
中途半端な始末をして。
露見させるのが。
関の山だ。
不良品でしかない甥を。
引き取った代行も。
そのケツを拭おうとする。
椎田も。
古い。
無作法と。
分かっているから。
だから。
下には預けられない。
目の届くところに。
置いておく。
代行の気持ちも。
分からなくはない。
だが。
気持ちと。
適性は。
別だ。
若竹は。
本家の器ではない。
主線だからこそ。
阿修羅道を歩く覚悟と。
運を。
両方。
持っていなければならない。
覚悟だけでも。
足りない。
才覚だけでも。
足りない。
運のない奴は。
周りまで。
道連れにする。
染矢は。
若竹の後頭部を。
睨んで、憎んで、蔑んで
「今井本部長の本宅に向かえ」と言った。
★
段ボールを抱えた捜査員が。
次々と。
玄関を出入りしていた。
何人。
出張ってる。
うんざりと。
思う。
その間を。
通り抜けて。
応接間へと続く廊下を。
進んだ。
「染矢」
呼び止められた。
四課の。
内藤だった。
「どこが出てるんだ?」
染矢が聞く。
内藤が。
答えかけた。
その時。
廊下の向こうに。
男が現れた。
赤松。
駆けつけたらしい。
赤松は。
染矢を見ない。
一瞥すら。
しない。
そのまま。
ガン無視で。
すれ違った。
染矢の鼻先へ。
香水が香る。
DIOR。
染矢は。
顔をしかめた。
――お前は。
兎かよ。
その顔を見た。
内藤が笑う。
「もう三、四年になるか?」
「何が」
「お前ら。仲違いして」
「ああ」
短く。
答えた。
内藤の顔から。
笑みが消える。
染矢へ。
少し近づいた。
「今回の件」
声を落とす。
「タレコミがあった」
染矢が。
内藤を見る。
「どの話だ」
「今井が管理してる。マネーロンダリングの裏帳簿」
さらに。
声を潜める。
「コピーが。警視庁に送られてきた」
「なんだって」
思わず声が出た。
内藤が。
周囲へ。
鋭い視線を走らせる。
「声落とせ」
「……すまない」
「本物かどうかは。これからだ」
一拍。
「経済班主導のガサだ」
染矢の。
眉間に。
皺が寄った。
「どうなってる」と
こぼす。
そして。
顔を上げた。
「どの裏帳簿か。分かってるのか?」
「不動産屋」
短かった。
染矢の眉間の皺が。
ことさらに。
深くなる。
*
コロナ以降。
都内の不動産は。
高騰していた。
取引件数も。
増えた。
当然。
組のフロントと。
不動産屋との取引も。
増えた。
今では。
屋台骨となっている。
そして。
今井本部長は。
大河原組本家の。
金庫番。
コピーが。
本物なら。
害は。
今井だけでは。
終わらない。
本家まで。
来る。
ふと。
高橋の言葉が。
蘇った。
――組を畳むおつもりですか?
染矢の心臓が。
嫌な打ち方をした。
まさか。
代行が――。
使用者責任で。
懲役を打たれる覚悟か。
…、…、
……違う。
違う。
代行じゃない。
あの人は。
狭いところが。
苦手だ。
誰だ。
誰が刺した。
*
「うちの上が」
内藤が言った。
染矢が。
顔を上げる。
「赤松と繋がるか。この件を調べろって言い出した」
「赤松?」
「だから俺がここにいる」
染矢の目が。
廊下の先へ向いた。
さっき。
赤松が消えた方向。
「今井は今日中に引っ張られる」
内藤が続ける。
「経済班は。保釈させないつもりでいる」
そして。
「準備しとけ」と言った。
染矢が。
半歩、前へ出た。
スゥー。
目を細めた。
中庭には。
ソメイヨシノが
咲き誇っていた。
「どうして」
桜を見たまま。
染矢が聞いた。
「おたくの上は。赤松の名前を出したんだ?」
内藤も。
庭を見る。
「知らねえよ」
二人で。
ソメイヨシノを。
眺めた。
意味なく。
染矢も。
内藤も。
しばらく。
黙っていた。
「調べてくれないか」
内藤の目が。
そう言った染矢の横顔へ向いた。
意味ありげだった。
「なんだ?」
「俺も」
内藤が言う。
「そろそろ昇進したいんだ」
一拍。
「手柄をな」
染矢は。
桜から目を離して。
内藤を見る。
頷いた。
「分かった」
*
内藤と別れ。
染矢は。
椎田へ電話を入れた。
今井の家に。
椎田を残す。
そして。
本家へ向かった。
車へ乗り込む直前。
もう一度。
中庭を見る。
ソメイヨシノが。
満開だった。
散るには。
まだ早い。
そう思える。
桜だった。




