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骨の髄まで  作者: 國生さゆり


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シーン3 サイレント


ペラリ。


頭を下げて。


高橋が。


かん子の部屋へ入ってきた。


黒檀のデスク前にある椅子から。


かん子は。


悠然と立ち上がる。


「急なことで。ご足労いただきまして」


おっとりとした口調だった。


高橋は。


当たり前のように。


三人掛けソファの中央へ腰を下ろした。


そして。


部屋の一角へ目をやる。


鬼子母神が。


鬼を踏みつけている像。


「鬼子母神が鬼を踏みつけてる前に座って。平然としている代行が。またまた」


意味ありげに笑った。


かん子は。


像へ。


チラリと視線を配った。


一人掛けソファへ腰を下ろす。


「これくらいのもんがないと。うちの男どもは、よう言うことを聞きませんのや」


微笑む。


「お恥ずかしい話です」


高橋を見る。


まんじりと。


眺める。


「一月に書いてもろた記事で。先生も息を吹き返しました」


かん子は。


深々と頭を下げた。


「ありがとうございました」


高橋の顔に。


万人受けする笑みが浮かぶ。


俳優上がりの。


よく出来た顔だった。


「そのお下げになった深さの分だけ。今回も封筒が厚けりゃ」


爽やかに。


言う。


「私は代行の信奉者になれますよ」


染矢は。


かん子の後ろに控えながら。


思った。


馬鹿か。


その三文芝居。


蹴り倒してやろうか。


     *


高橋は。


かつて。


芸能界のご意見番を気取る番組のMCだった。


そこそこ。


売れた。


ある芸能プロダクションの秘蔵っ子が。


交通事故を起こすまでは。


高橋は。


加害者を庇うような。


時代遅れのコメントをした。


頼まれて。


言った。


プロダクション社長から。


金をもらって。


言った。


収め切れると。


踏んでいた。


だが。


火は。


秘蔵っ子へ向かった。


炎上した。


大炎上だった。


それから。


高橋は。


燻り続けている。


番組進行に。


考えがない。


芸もない。


味もない。


笑えもしない。


そのくせ。


他人の金で。


酒だけは飲み過ぎた。


そんな腐臭が。


顔から漂っていた。


川上から。


汗をかかない金をもらい。


自分で。


ドル箱を潰した。


結果が伴わなければ。


川下へ流される。


どこの世界も。


同じだ。


     *


「信奉者とは」


かん子が言った。


「大胆なことを言いはりますな」


高橋の笑みが。


僅かに止まる。


「わては。うちの稼業なんぞ」


ゆっくり。


紅茶へ口をつける。


「落ちて割れたら。使い道がのおなる陶器と同じやと思っとります」


高橋が。


目を細めた。


「いつ落とされるか。いつ落ちるか。分かりません」


カップを戻す。


「せやから」


微笑んだ。


「今を必死に生きとるだけです」


高橋は。


黙っている。


「わてらの道を。たまに覗き込みはるから」


かん子は。


おっとりと続けた。


「ええもんみたいに見えとるんと違いますか」


一拍。


「高橋はん」


豹の目が。


笑った。


「あんさんには。俗世がよう似合っておいでです」


高橋が。


目を瞬いた。


「どうも私は。言葉遊びが過ぎたようです」


笑みを戻す。


「そう尖らんでください」


かん子は。


ニコリとした。


「染矢」


「はい」


「二つや」


染矢は。


黒檀机の上に置かれた。


黒革のアタッシュケースへ手を伸ばした。


ワザと。


高橋から中身が見える位置へ。


ずらす。


開ける。


ぎっしりと。


長四封筒が並んでいた。


その中から。


二つ。


抜く。


かん子の前へ置いた。


高橋の喉仏が。


ゴクリ。


上下した。


染矢は。


見逃さなかった。


     *


「確か」


かん子が言う。


「週刊真実さんでしたでしょうか」


高橋の目は。


まだ。


アタッシュケースに残っていた。


「ええ。先週発売の合併号です。巻頭四ページ」


即答。


かん子は。


世間話を始めるように。


紅茶へ口をつけた。


「長いこと療養生活を送っとった主人は」


少し。


間を置く。


「自分が死ぬとは。思ってなかったんでしょうね」


高橋が。


かん子を見る。


「遺言書は」


静かに。


言った。


「残しておりませんでした」


「えっ」


高橋の顔から。


笑みが消えた。


「……え?」


今度は。


はっきりと。


かん子を見る。


豹の目と。


ぶつかった。


「代行」


声が。


上擦った。


「それはないでしょう!」


かん子は。


黙っている。


「私に飛ばし記事を書けと仰ったじゃないですか!」


立ち上がりかけた。


「次の定例会で弁護士立ち会いのもと、遺言書を開封する!」


高橋の舌が。


回り始める。


「五代目は亮治さんで決まりだと言ったのは!」


かん子を。


指差しかけて。


止める。


「あなたでしょう!」


染矢の背中に。


冷たいものが走った。


――クソ。


先週の記事。


ニュースソースは。


代行だったのか。


だから。


妙に。


核心を突いていた。


俺には。


何も言わず。


なぜだ。


なぜ。


俺を外した。


     *


かん子が。


笑った。


幼女のように。


無邪気に。


「その記事」


肩を揺らす。


「わても読みました」


高橋は。


口を開けたまま。


止まっている。


「よう考えてみてください」


笑みを収める。


「赤松んとこは」


豹の目だけが。


冷えた。


「いつ誰が暴発しても。おかしない組でっせ」


高橋が。


黙る。


「そんなとこへ」


かん子は。


背もたれへ。


ゆっくりと体を預けた。


「大河原の代紋を任せて。どないするんですか」


染矢も。


かん子を見る。


「他に喰われて」


柔らかな声だった。


「鼻先引きずり回されるだけですわ」


そして。


「主人の遺書は。無かったことですし」


高橋の眉が。


動く。


かん子は。


微笑んだ。


「五代目は」


一拍。


「四代目代行のわてが」


もう一拍。


「よう考えて」


最後に。


「決めさしてもらいます」


厳する外貌に。


ほのかな笑みが薫った。


「しかし代行!」


高橋が。


身を乗り出す。


「それでは分裂が起きます!」


「そうなったら」


かん子は。


眉一つ動かさない。


「そうなったで構いません」


「代行!」


「赤松は器量不足です」


言い切った。


「遅いか早いかの話ですがな」


高橋が。


息を呑む。


かん子は。


続ける。


「わてについて来る男だけで」


口元が。


わずかに笑う。


「うちは成り立ってゆきます」


染矢は。


かん子の横顔を見る。


強がりではない。


この女は。


本気で言っている。


     *


かん子の。


白魚の右手が。


二つの封筒へ伸びた。


スッ。


高橋の目の前へ。


押し出す。


「高橋はん」


「……はい」


「反証記事を書いてくださる記者さんを」


笑う。


「ご紹介願えませんでしょうか」


高橋の目が。


封筒へ落ちる。


「これは。手付けとして」


「……」


「お受け取りください」


かん子は。


封筒から手を離した。


膝の上で。


両手を揃える。


「それと」


高橋が。


顔を上げる。


「フリーの方ではなく」


微笑む。


「他社の編集部に所属している方で。お願いします」


「裏切れと仰るんですか!」


高橋の声が。


裏返った。


「お恥ずかしくも今や! 週刊真実は私の食い扶持です!」


かん子は。


黙って聞いている。


「ご存知でしょう!?」


高橋は。


今にも泣きそうだった。


「それを失えと! 私に言うんですか!」


かん子が。


聖母のように笑った。


「わてがいますがな」


染矢は。


思った。


怖え女だ。


今。


この男の命に。


値段をつけた。


命の重さが。


札束になるだけ。


二十一グラムよりは。


遥かに重い。


だが。


これから高橋は。


ドブを攫うように。


少しずつ。


少しずつ。


その命を。


削ってゆく。


それでも。


高橋の手は。


封筒へ伸びた。


     *


二つ。


スーツの内ポケットへ。


仕舞う。


高橋は。


立ち上がった。


珍しく。


きちんと。


頭を下げた。


「連絡は。代行でよろしいでしょうか?」


染矢が。


すかさず入った。


「私でお願いします」


かん子が。


染矢を見上げる。


「そやな」


頷く。


「染矢。あんたが窓口になった方がええな」


そこで。


いとも簡単に。


言った。


「高橋はんに記事書いてもろてたこと。黙っとってすまんかった」


高橋の目が。


光った。


「えっ!」


染矢を見る。


「染さんも知らなかったんですか?」


余計なことを。


染矢は。


高橋を殺したくなった。


かん子は。


笑う。


「わての独断ですわ」


高橋の顔から。


さっきまでの狼狽が。


少しずつ。


消えていった。


「代行」


かん子を見る。


「どういうおつもりなんですか」


返事はない。


「遺書があると言った時の。あなたの目に偽りはなかった」


染矢が。


高橋を見る。


「なのに今度は」


高橋の視線が。


泳ぐ。


「反証記事を……」


止まった。


「あっ」


口が。


開いた。


そのまま。


黙り込む。


数秒。


「ああ……」


高橋の顔へ。


笑みが戻った。


泣いたカラスが。


もう笑った。


「そうか」


売れていた頃の。


僅かな冴えが。


目へ戻る。


「もしかして」


高橋が。


身を乗り出す。


「組を畳むおつもりですか?」


染矢の目が。


かん子へ向いた。


かん子は。


ただ。


微笑んだ。


「わてが」


静かに。


言った。


「そうしたくても」


一拍。


「皆が」


豹の目が。


細くなる。


「許しまへん」



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