シーン2 押し通る
定例会は。
散会となった。
本家の長い廊下を。
赤松が歩いてゆく。
二人の男を従えていた。
染矢は。
そのうちの一人を呼び止める。
「水沢」
赤松は。
聞こえなかったを貫くように。
歩を緩めない。
そのまま。
角を曲がった。
染矢は。
ガッチリとした背中が消えるまで。
睨めつけていた。
――どこまで俺をシカトする気だ。
クソったれが。
今じゃないだろう。
簡単に考えを口に出すんじゃねえよ。
毒づく染矢へ。
水沢が。
重たげに振り返った。
「ご心配なく」
呼び止められた理由を。
尋ねもしない。
「ションベン行くにも、ボディーガードが付いて行ってますよ」
間髪入れず。
染矢が聞いた。
「女は?」
「いませんよ。そんなもん」
それがどうした。
そう言いたげな顔だった。
染矢は。
白けた目で水沢を刺した。
「そんなはずはない」
水沢の目が。
急速冷凍された。
「あなたには関係ないことです」
言葉遣いだけは。
丁寧だった。
「こっちはこっちでやってますんで」
声は。
冷たい。
受付不可。
それだけ言って。
染矢を置き去りにした。
「チッ」
*
染矢は。
上着の内ポケットからスマホを取り出した。
女へ電話をかける。
二コール。
「赤松とは切れたのか?」
前置きはない。
『アンタから小遣いもらってるってバレたのよ』
女の声が。
一気に跳ね上がる。
『アンタのせいよ! このクソバカ野郎!!』
染矢の目が。
笑った。
「お前が軽いからだろう」
『あら』
女は。
怒りもしない。
腐りもしない。
声だけを。
甘くした。
『今の女は私の連れよ』
染矢の笑みが。
止まる。
『どんな男が好きなのか。どこに住んでるのか。どんな性格なのか』
間を置く。
『知りたいんだったら、あなた。私にお行儀よくしなきゃ』
染矢は。
また笑った。
「ああ。そうだな」
あっさり。
降参した。
「悪かった。何が食べたい?」
『碑文谷にね。オープンしてから全然予約が取れない、“人参”っていうイタリアンがあるんだけど』
「へえ」
『明日。十四時くらいからでどうかしら』
「分かった」
答えを聞くなり。
女は電話を切った。
ツー。
ツー。
ツー。
染矢は。
スマホを耳に当てたまま。
笑っていた。
万智子。
超一流のコールガール。
今も現役だが。
ここ数年。
客は取っていない。
染矢が。
ケツ持ちの元締めだった。
人あしらいが上手い。
間違いを犯さない。
客を逃がさない。
何より。
人が何を欲しがっているのかを。
嗅ぎ分ける。
だから。
染矢も万智子を切らない。
使える女だ。
そして。
面白い女でもある。
それにしても。
戦争しながら。
新しい女なんか囲いやがって。
染矢は。
いつの間にか。
スマホを握り締めていた。
その掌の中で。
着信が鳴った。
*
画面を見る。
一瞬で。
染矢の顔から笑みが消えた。
「代行」
電話に出る。
「今から戻ります」
聞く。
「はい」
また聞く。
染矢の眉が。
僅かに寄った。
「……承知しました」
電話が切れた。
なぜ。
代行は。
あの男。
高橋を呼べと言ったのだろう。
珍しく。
かん子の考えが読めない。
嫌な感じがした。
厄介事が起きる。
染矢の勘が。
そう告げていた。
「クソ」
小さく。
吐き捨てる。
記憶の底から。
番号を掘り返した。
電話をかける。
数コール。
『掛かってくると思ってましたよ』
寝起きの。
濁った声だった。
『今ごろ遺書があったなんて。代行も業が深いなあ』
染矢は。
黙って聞く。
『ゴタついてる時に気が休まらないでしょう。大変ですね』
「ご無沙汰して申し訳ありません。高橋さん」
染矢は。
わざと。
ハキハキとした声を出した。
「ええ。前回いい記事を書いていただいたこと。我々が忘れるわけがないでしょう」
『へえ』
「分かってます」
染矢の目から。
笑みが消える。
「それで急で申し訳ないのですが、本日、お時間をいただけないでしょうか」
『謝礼は?』
即答かよ。
「もちろんです」
染矢は答えた。
「迎えをやります。一時間後でどうでしょうか」
話しながら。
自分の声に。
自分で呆れていた。
やはり。
この男。
前回。
埋めておくべきだった。
相変わらず。
上から目線。
態度がデカい。
その上。
金に汚い。
だからこそ。
染矢は確信していた。
高橋は。
何かを持っている。
こちらの何かを。
保険として。
どこかへ隠している。
代行が何を考えているのか。
探るダシに使う。
そのあと――。
いや。
どうせ今回も。
外道仕事だ。
やらせてからでも。
遅くはない。
*
かん子の部屋へ向かいながら。
染矢は。
スマホで検索した。
リストランテ。
人参。
あった。
電話をかける。
すぐに繋がった。
『リストランテ、人参でございます』
「明日の十四時に予約をお願いしたいんですけど」
『申し訳あ――』
「八万」
男の言葉を。
ブッチ切った。
沈黙。
染矢は。
歩き続ける。
「八万。あんたに手渡す」
電話の向こうが。
静かになった。
「あぶれた客には、新人がオーバーブッキングしたとでも言えばいい」
まだ。
返事はない。
「あんた。名前は?」
ためらう。
吐息。
『……戸上と申します』
染矢は。
笑った。
「戸上さん」
歩みを止める。
「俺は中村」
一拍。
「中村染矢だ」
廊下の窓から。
秋の日が差し込んでいた。
庭では。
赤くなった葉が。
風に揺れている。
「いい女を連れてゆく」
染矢は言った。
「眺めのいい席を頼む」
沈黙。
そして。
『かしこまりました。中村様』
もう。
声に迷いはなかった。
『では、明日の十四時にお待ちしております』
電話が切れた。
染矢は。
画面を見た。
最後まで。
徹せられなかった。
愚かな奴め。
八万。
たった。
八万。
これで。
お前は一生。
俺の言いなりだ。
*
ふと。
染矢は。
窓の外を見た。
一枚。
葉が。
枝を離れた。
風に弄ばれ。
落ちてゆく。
この世で。
金で押し倒せないものは。
何だろう。
考えてみる。
……無いか。
そんなもの。
この世には。
存在しない。
愛でさえ。
金で買えるのだから。




