シーン1 制する
大河原組の会議室は。
静まり返っていた。
執行部メンバー十二人が。
長いテーブルを挟んで居並んでいる。
その最上席に。
かん子は座っていた。
息子である。
赤松組組長の赤松を。
豹の目で一瞥する。
黒檀の卓に置かれた茶を。
手元へ引き寄せ。
ゆっくりと口をつけた。
凛とした旨みが。
舌の上に広がる。
危うく。
絆されそうになる。
こんな甘さが。
この身にまだ残っていたか。
そう思うと。
かん子の口元が。
ニヤリと歪んだ。
*
赤松が。
椅子から立ち上がった。
脚が。
畳を擦る。
その音だけで。
会議室の空気が張り詰めた。
「クソババ。ええ加減にせえよ!」
闇夜から。
湧いて出たかのような声だった。
「自重せえやと? こっちは野中組に若頭とボディーガードの組員一人、獲られとんぞ」
誰も。
口を挟まない。
赤松の怒声を。
止められる者はいなかった。
いや。
止めようとする者が。
いなかった。
かん子は。
茶碗を置いた。
コトリ。
小さな音だった。
それでも。
赤松の怒声より。
よく響いた。
「あんたのその勘気が、この事態を引き起こしたんが。まだわからんのか」
端正な面差しに。
冷笑を浮かべる。
赤松の眉が。
跳ねた。
「勘気やと?」
「そうや」
かん子は。
退けた。
だが。
かん子には分かっていた。
勘気ではない。
血だ。
この子の。
この男が受け継いだ。
血。
道理が通らぬ。
そう言わせている。
そんなことは。
千も承知していた。
だからこそ。
敢えて。
“勘気”と言い切った。
かん子が愛した男の血を。
受け継いだ息子。
その赤松が。
「女のあんたが口挟まんかったら、事はこんだけ複雑にならんかったんや!」
吐き捨てるように言った。
女の。
あんたが。
その言葉が。
会議室の中央へ落ちた。
誰も。
拾わない。
かん子は。
赤松を見た。
「せやな」
あっさり。
認めた。
赤松の目が。
僅かに動いた。
「うちが口挟んだ」
かん子は続ける。
「ほんで、こうなった」
茶碗へ。
もう一度。
口をつける。
「それが何や」
赤松が。
黙った。
「うちが決めたことや。尻拭いもうちがする」
そして。
茶碗を置いた。
「女が口挟んだんが気に入らんのやったら」
豹の目が。
細くなる。
「今ここで、うちを退かしてみいや」
会議室の空気が。
止まった。
下部組織とフロント企業を合わせれば。
かん子は。
134789人の。
食物連鎖の頂点にいる。
そこへ。
女だから座っているわけではない。
誰かに。
座らせてもらっているわけでもない。
座っている。
それだけだ。
*
かん子は。
ゆるく顔を上げた。
「よう、考えてから物言いや」
安楽な口調だった。
「今、あんたが口聞いてんのんは、あんたの母親やないで」
一拍。
「四代目代行や」
赤松の目が。
細くなる。
「親子や思うて甘えた口きいとったら」
かん子は。
笑った。
「殺すで」
声は。
穏やかだった。
だからこそ。
脅しではなく。
決定に聞こえた。
赤松の口元が。
僅かに吊り上がった。
「おお。あんたのその度胸だけは買うたる」
笑っている。
だが。
目は笑っていない。
「せやけどな。あんたがどう足掻いてみても、所詮は女や」
赤松は。
会議室を見回した。
そこにいる全員へ。
自分の言葉を聞かせるように。
「代行って持ち上げられとっても、親父の遺言が開くまでの話や」
そして。
かん子へ視線を戻す。
「あんたこそ。五代目の俺に対して、気ぃつけてもの言いや」
かん子が。
鼻で笑った。
「五代目?」
赤松を見る。
「誰が決めたんや」
赤松の笑みが。
消えた。
「遺言も開いてへんのに、もう襲名した気でおるんか」
かん子は。
執行部十二人を。
ゆっくりと見渡した。
そして。
赤松へ戻る。
「笑わせんな」
声を。
荒らげることすらなかった。
「五代目名乗りたかったら、まず四代目代行のうちを越えてからにせえ」
返す刀どころか。
刀ごと。
叩き落とした。
*
「亮治」
かん子の後ろから。
薄ら寒い声がした。
染矢だった。
赤松の目だけが。
スルリと動く。
「染」
低い声だった。
「亮治やないぞ」
染矢を見る。
「赤松や」
その名を。
わざと。
言い聞かせるように。
赤松は続けた。
「お前は俺が拾ってきた」
染矢の眉が。
僅かに動く。
「それでもお前は俺側やなくて。今や代行とやらの側近や」
赤松は。
かん子目掛けて顎をしゃくった。
「今頃なんや」
声が。
さらに低くなる。
「お前が俺になんか言えた義理か!」
ギラギラと。
黒光りする言葉だった。
染矢の顔が。
朱に染まった。
かん子は。
二人を見比べた。
止めない。
まだ。
止める必要がない。
*
染矢は。
一家心中の生き残りだった。
焼け残った家の前で。
ぐったりとした。
伽藍堂の妹を抱いたまま。
離そうとしなかった。
「何があったの?」
婦人警官が聞いても。
一切。
口を開かなかった。
七歳だった。
染矢と。
妹の明子には。
戸籍すらなかった。
そこへ。
赤松が来た。
幼い染矢を見下ろし。
「行く所ないんやったら」
と言った。
「うち来るか」
染矢を拾ったのは。
赤松だった。
だが。
両親と明子の葬式を出し。
一切合切の始末をつけ。
染矢を養子に迎えたのは。
かん子だった。
そして今。
染矢は。
執行部に四人いる若頭補佐の一人。
影の如く。
かん子に付き従っている。
*
「赤松さん」
染矢が言った。
顔から。
朱は消えていた。
「あなたが五代目と決まったわけじゃない」
冴え返った声だった。
赤松が。
ゆっくりと染矢へ向き直る。
染矢は。
一歩も退かなかった。
「その発言は、ここに集っているご一同様方にも失礼ですよ」
静まり返った会議室を。
染矢の声が。
制した。
赤松は。
何も言わなかった。
ただ。
染矢を見ていた。
その視線の奥で。
何かが。
ゆっくりと煮え立っていた。
かん子は。
それを見ていた。
見ていながら。
口を挟まなかった。
止められないのではない。
止めないのだ。
*
赤松亮治が。
狂花なのか。
愚かなのか。
何が。
それほど面白くなかったのか。
二十歳になった。
その日。
自ら。
親権を父方の叔母へ移した。
そして。
名まで。
『赤松』に変えた。
亮治が。
そんな狂に出た理由。
それは。
染矢が。
大河原の家に居たからだった。




