EP 8
理不尽には実力を。緩衝地帯のルール
ポポロ村の広場の一角にある、異様な存在感を放つ謎のファミリーレストラン『ルナキン』。
そのテラス席で、坂上真一は食後のコーヒーを楽しんでいた。隣には、ハンバーグランチ(大盛り)を平らげて満足げな顔をしているマンミアの姿がある。
「いやはや、この『ルナキン』のコーヒー、中々どうして悪くない。酸味と苦味のバランスが絶妙だ。それにしても、異世界に来てまでドリンクバーの恩恵にあずかるとは思わなかったがな」
「はいっ! 私はこの『めろんそーだ』という緑色の甘い飲み物が大変気に入りました! 喉の中でシュワシュワと弾けて、魔力が回復するような気がします!」
ストローを咥えて目を輝かせる二十五歳の生真面目な騎士を見ながら、坂上は目を細めた。
村の防衛力も上がり、カレーという楽しみもできた。この村での生活は、思いのほか悪くない。
だが、平和な昼下がりは、広場に響き渡った下品な怒声によって唐突に破られた。
「ええい、どけ! 薄汚い亜人どもめ! 帝国からの尊い使者であるこの私に、気安く近づくでないわ!」
土煙を上げて広場に乗り込んできたのは、過剰なほどに金銀の装飾が施された豪奢な馬車だった。
そこから降り立ったのは、高価なシルクの服をだらしなく着崩した、肥満体の男。背後には、ルナミス帝国の紋章が入った鎧を着た、十名ほどの重武装の兵士たちが控えている。
「あれは……帝国の徴税官、ゲラード! なぜこんな時期に……!」
マンミアの顔色が変わった。彼女の栗毛の尻尾が、警戒と怒りでピンと逆立つ。
騒ぎを聞きつけ、役場から村長であるキャルルも駆けつけてきた。いつもの赤ジャージ姿だが、その赤い瞳には明らかな敵意が宿っている。
「……何の用よ、ゲラード。今年の年貢は先月、規定通りに耳を揃えて帝国に納めたはずだけど?」
「ふんっ。生意気な小娘が。今日は年貢の取り立てではない」
ゲラードは豚のように鼻を鳴らすと、懐から仰々しい羊皮紙を取り出して広げた。
「我が帝国の偉大なる調査により、このポポロ村に『タローマン』なる謎の物資集積所と、『ルナキン』なる不当な利益を生む飲食店が存在することが発覚した。よって、帝国通商法第七十二条に基づき、これらの施設の全権利を帝国が没収する! 文句はないな!」
広場がどよめいた。
タローマンもルナキンも、村人たちにとって生活を豊かにし、心を休める大切な「憩いの場」だ。それを、帝国という強大な武力を背景に、一切の対価なしに奪い取ろうというのだ。
「ふざけないで! この村は『緩衝地帯』よ! 帝国の国内法を勝手に適用して、村の財産を奪う権利なんて――」
「だーまっれ!!」
ゲラードが肥え太った腕を振り上げると、背後の兵士たちが一斉に槍を構え、キャルルたちに向けた。
「権利だと? 笑わせるな! 帝国が『よこせ』と言えば、貴様らのような虫ケラは地べたに這いつくばって差し出せばいいのだ! 逆らうなら、反逆罪として今すぐこの村を火の海にしてくれるわ!」
兵士たちの殺気が村人たちを萎縮させる。
キャルルは唇を噛みちぎらんばかりに食いしばった。彼女の圧倒的な身体能力と治癒魔法があれば、この十人を皆殺しにすることは造作もない。だが、それをすれば「帝国の役人を殺した」という完璧な大義名分を与え、正規軍数万の侵攻を招くことになる。
村を護るために、ここは血の涙を流してでも屈するしかないのか。
キャルルが絶望に目を伏せかけた、その時だった。
「――おいおい。大の大人が寄ってたかって、いたいけな少女を恫喝とは。ルナミス帝国とやらの軍規は、随分と弛んでいるらしいな」
静かだが、広場の喧騒を完全に制圧する、恐ろしくよく通るバリトンボイス。
人々が道をあけると、そこにはルナキンのテラス席から立ち上がった、スーツ姿の坂上真一が立っていた。
彼はゆっくりと歩み寄り、ゲラードの目の前で立ち止まると、その手にある羊皮紙をスッと抜き取った。
「な、貴様! 何者だ!」
「通りすがりの、迷子のおっさんだよ。……ふむ、なるほど」
坂上は羊皮紙に素早く目を通すと、鼻で笑ってそれをゲラードの顔に投げ返した。
「帝国通商法第七十二条の適用を謳っているが、全くの無効だな。ポポロ村は大陸間不可侵条約に基づく『緩衝地帯』に属している。国際法の基本原則である『特別法は一般法に優先する』というルールに則れば、帝国の国内法などこの土地では紙切れ以下の価値しかない。どうしても権利を主張したいなら、まずは大国間で結ばれた条約の改定から始めるんだな」
スラスラと、現代地球の国際法とアナステシア世界のパワーバランスを巧みに織り交ぜた、非の打ち所のない論破。
ゲラードは顔を真っ赤にして激昂した。法律の抜け穴を突いて不当な利益を得ようとした底の浅さを、完璧に見透かされたからだ。
「こ、こしゃくな! どこの馬の骨とも知れん分際で、この私に説教を垂れるか! ええい、やっちまえ! そいつの首を刎ねろ!!」
ゲラードの号令と共に、十名の重武装兵が一斉に坂上へと襲いかかった。
マンミアが悲鳴を上げ、キャルルが飛び出そうとする。
だが、坂上は一歩も動かず、ただ大きくため息をついた。
「……やれやれ。俺たちの憩いの場を奪おうとする理不尽には、相応の『実力』で応えるのが、大人のルールってもんだ」
坂上は、自身のスーツのジャケットをゆっくりと脱ぎ捨てた。
さらに、ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを上から乱暴に引きちぎるように外し、上半身をはだけさせた。
その瞬間。広場の空気が、凍りついた。
「ヒッ……!?」
槍を突き出そうとしていた兵士の動きが、完全に止まった。
坂上の、五十歳とは思えないほど分厚く鍛え上げられた背中から肩にかけて。そこには、圧倒的な威圧感を放つ『仁王(金剛力士)』の刺青が、まるで生きているかのように凄まじい眼光を放って彫り込まれていたのだ。
若き日、とある理由から背負ったその「護法善神」の姿は、怒りで筋肉が隆起するたびに、今にも皮膚を破って飛び出してきそうなほどの迫力を持っていた。
だが、真に恐ろしいのは刺青そのものではない。
坂上の全身から立ち昇る、濃密で、冷徹な『殺気』のオーラだった。
イージス艦のCIC(戦闘指揮所)で、幾度となく国家の存亡と部下の命を天秤にかけ、極限の決断を下し続けてきた男。その五十年の重みと修羅場が、実体を持った「覇気」となって、広場を制圧していた。
「血で汚れるとクリーニングが面倒でな。……さあ、かかってこい。一人残らず、ルナキンの裏の土の肥やしにしてやる」
ゴッ!! と。
坂上が一歩、地を踏み鳴らしただけで、空気が悲鳴を上げた。
兵士たちは、自分たちが「人間」ではなく、「絶対に触れてはならない逆鱗を持つ古竜」に喧嘩を売ってしまったのだと、本能で理解した。
「ひ、ひぃぃぃぃッ!!」
「ば、化け物だァァッ!!」
戦意を完全にへし折られた兵士たちは、武器を投げ捨てて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
一人残されたゲラードは、恐怖で股間を濡らしながら、腰を抜かして地面を這いずっている。
「て、帝国に、この恨みは必ず……っ!」
「二度と来るな。次来たら、その豚のような腹をかっさばいてマンドラゴラの肥料にするぞ」
坂上が低くドスの効いた声で睨みつけると、ゲラードは情けない悲鳴を上げながら、馬車にも乗らずに森の方へと転がっていくように逃げ去っていった。
血の一滴も流すことなく、完全な無血制圧。
圧倒的な『格の違い』を見せつけた坂上は、ふぅと息を吐き、静かにワイシャツのボタンを掛け直した。
「……まったく。せっかくの食後のコーヒーが冷めてしまったじゃないか」
ぼやきながら振り返った坂上の視線の先には。
顔を真っ赤にして目を潤ませ、息を荒げているキャルルとマンミアの姿があった。
「サ、サカガミ……っ! あんたの背中、すんごい、大きくて……っ。私、もう、ダメかも……」
「さ、坂上様……! ああ、なんという雄々しさ、なんという威風堂々たるお姿! 私、坂上様の背中になら、一生お仕えできます……っ!」
理不尽を暴力ではなく、知識と圧倒的な「個の力」でねじ伏せた大人の男。
二人のヒロインの好感度と執着心は、この瞬間、完全に限界突破を果たしていた。
『――重大な政治的危機を無血で解決しました。善行ポイントを大幅に加算します』
脳内で鳴り響く【PX】の陽気なシステム音を聞きながら、坂上は「ボタン、ちぎらなきゃよかったな」と、少しだけ後悔の混じった苦笑いを浮かべるのだった。
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