EP 7
金曜日カレーと、逃げ惑う人参マンドラ
その日の朝、ポポロ村の広場に集められた自警団の面々と村長キャルルは、ただならぬ覇気を放つ坂上真一の姿に息を呑んだ。
いつものスーツ姿ではない。ワイシャツの上に、黒い『エプロン』をキリリと身につけているのだ。さらに腕まくりをしたその前腕の筋肉は、これから魔王でも討伐しに行くかのように引き締まっていた。
「……坂上様。その、見慣れぬ戦闘服は一体? ついに帝国軍が攻めてきたのですか?」
「いや。今日は金曜日だからな」
生真面目に尋ねるマンミアに対し、坂上は大真面目な顔で答えた。
「俺がいた海上自衛隊という組織では、長く海の上にいると曜日感覚が狂っちまう。だから、毎週金曜日の昼には必ず『カレー』という決まった料理を食べて、体内の時計をリセットするんだ。……約束しただろ、とびきり美味いカレーを食わせてやるってな」
「あッ……!」
その言葉に、マンミアの顔がパッと明るくなる。
一方、キャルルはジャージのポケットに両手を突っ込んだまま、ウサギの耳をピコピコと動かしていた。昨日の事件以来、彼女は露骨に坂上の半径一メートル以内をキープするようになっている。
「ふーん。アンタがそこまで言うんだから、よっぽど美味しいんでしょうね。でも、材料はどうするの? この村には芋と野菜と、あとはファングボアの肉くらいしかないわよ」
「基本のルーとスパイスは【PX】で俺の故郷から取り寄せた。肉もボアの肉で十分だ。だが、野菜ばかりは採れたての地のモノを使いたい。マンミア殿、昨日言っていた『人参マンドラ』と『太陽芋』の収穫を手伝ってくれないか」
「は、はいッ! 喜んで!」
こうして、五十歳の元海将率いる「金曜日カレー食材調達部隊」が結成された。
*
村の裏手にある広大な畑。
そこは、農地というよりは「戦場」であった。
「キシャアアアアアッ!!」
奇声を上げながら、土の中からスポーンと飛び出した赤い根菜――『人参マンドラ』が、二本の足(のような根)を猛烈に回転させ、時速六十キロの猛スピードで畑を爆走し始めた。
「出ました! 坂上様、あれが人参マンドラです! 非常にすばしっこく、自警団が五人がかりで網を張っても逃げられることが――」
マンミアがクロスボウを構えようとした、その瞬間だった。
「――遅い」
ドンッ!! と、空気を破裂させるような踏み込みの音が響いた。
安全靴を履いたキャルルが、マッハに迫る速度で地を蹴り、瞬きする間に人参マンドラの進行方向へと回り込んでいたのだ。
普段なら「疲れるからヤダ」と絶対に動かない彼女だが、坂上のためとなれば話は別である。
「サカガミのカレーの具になりなさい」
ドゴォッ!!
一切の容赦がない安全靴の蹴りが、人参マンドラの脳天(葉っぱの付け根)にクリーンヒット。マンドラは白目を剥いて気絶し、キャルルの足元にポトリと落ちた。
「……相変わらず、理不尽な身体能力だな」
「えへへ。サカガミ、私頑張ったわよ? 褒めて褒めて」
坂上の元へ瞬動で戻ってきたキャルルが、自慢げにマンドラを差し出し、頭をぐりぐりと坂上の胸に押し付けてくる。坂上は苦笑しながら、「よしよし、手柄第一号だ」とその銀色の髪を撫でてやった。
その様子を見て、マンミアの栗毛の尻尾がピーンと逆立った。
「む、村長! ずるいです! 坂上様、次は太陽芋ですね! 私にお任せください!」
マンミアは対抗心を燃やし、四本足でダダダッと畑の奥へ疾走した。
太陽芋は非常に大きく甘みが強いが、根が岩盤のように深く張っており、並の男が数人がかりで引っ張っても抜けない代物だ。
「はぁぁぁッ!!」
マンミアは腰の鎖を解き放つと、器用に太陽芋の太い茎にぐるぐると巻き付けた。そして、ケンタウロスの強靭な下半身の馬力をフル稼働させ、前傾姿勢で一気に引く。
メビウス・インパクトの原理を応用した、完璧な牽引技術。
ズゴゴゴゴォォッ!!
大地が割れ、大人の頭ほどもある黄金色の巨大な芋が、見事に土を跳ね上げて宙を舞った。マンミアはそれを両手でガシッと受け止め、ドヤ顔で坂上を振り返る。
「見事だ、マンミア殿。君たちの協力があれば、百人前のカレーでもあっという間に作れそうだな」
「えへへ……光栄、です……っ」
褒められたマンミアは顔を真っ赤にしてモジモジと身をよじらせた。
二十五歳の生真面目な騎士と、二十歳のヤンデレ村長が、五十歳のおっさんに褒められたくて畑で大暴れする。平和で、少しカオスな収穫祭だった。
*
村の共同調理場。
坂上は手際よくファングボアの肉を炒め、乱切りにした人参マンドラと太陽芋を巨大な寸胴鍋に放り込んでいた。
そこに、PXで購入した数十種類のスパイスと、飴色になるまで炒めた玉ねぎを投入し、水を注いで煮込んでいく。やがて、ポポロ村の住人が今まで嗅いだことのない、食欲を暴力的に刺激する芳醇な香りが広がり始めた。
「……すんごい匂い。よだれが出そう……」
「これが、カレー……。香辛料の複雑な陣形が、鼻腔を包囲してきます……!」
鍋の周りで、キャルルとマンミアがソワソワと落ち着きなく動き回っている。
坂上はエプロン姿のまま、腕を組んで鍋を睨みつけていた。その顔は、作戦室で海図を睨む時と同じくらい真剣そのものだ。
不意に、坂上は左腕を顔の前に掲げた。
漆黒の文字盤が特徴的な、ゴツいダイバーズウォッチ【Sinn UX.SDR】である。
「よし、あと三分だ」
「……ねぇサカガミ。さっきからその腕の魔導具を睨みつけてるけど、それ何?」
「ああ、これは腕時計といってな。時間を測る道具だ。こいつは特別製で、ドイツの対テロ特殊部隊も使っているモデルだ。特殊オイルが封入されていて、水深五千メートルの水圧にも耐えられる」
「ご、五千メートル!? そんな伝説級のアーティファクトで、何をされているのですか!?」
「カレーの煮込み時間を測っている」
キリッとした顔で答える坂上に、キャルルとマンミアは同時にズッコケた。
「馬鹿じゃないの!? なんでそんな凄い魔導具を、料理のタイマー代わりにしてるのよ!」
「宝の持ち腐れにも程があります! もし鍋に落としたらどうするんですか!」
「ハハハ。五千メートル防水だから、カレー鍋に落としたくらいじゃ壊れんよ。それに、美味い飯を作るための完璧な時間管理は、対テロ作戦と同じくらい重要だからな」
大真面目に天然ボケをかます五十歳に、二人の少女は顔を見合わせてため息をついた。
普段はあんなに頼りになって、絶対的な安心感があるのに、こういう日常のちょっとしたところで「抜けている」。そのギャップが、二人の心をさらに強く惹きつけていることに、坂上本人は全く気づいていなかった。
「よし、時間だ。完成だぞ」
*
広場に設けられた長机。
坂上は、これまたPX経由でこっそり取り寄せた、故郷の『萩焼』の渋い陶器の皿に、熱々のカレーと白いご飯(これもPXで購入した地球の米)をたっぷりと盛り付けた。
「さあ、食ってくれ。出雲艦隊打撃軍、総司令官特製の金曜日カレーだ」
キャルルとマンミアは、スプーンを握りしめ、ゴクリと唾を飲み込んでからカレーを口に運んだ。
次の瞬間。
「ッ~~~~~~!!??」
キャルルの銀色のウサギ耳が、まるでヘリコプターのプロペラのようにバッサバッサと超高速で回転を始めた。
目を見開き、スプーンを持つ手が止まらない。
「な、なにこれ! 美味しい! 辛いのに、太陽芋の甘みがすんごくトロトロで、お肉がホロホロで……っ! 味が、味が口の中で爆発してるぅぅ!」
「ふむ! こちらも報告します!」
マンミアはなぜか立ち上がり、騎士の敬礼をしながら真剣な顔で食レポを始めた。
「未知のスパイスによる波状攻撃が舌の側背を突いてきますが、太陽芋の濃厚な甘みが本陣を強固に守り抜き、ファングボアの旨味が遊撃部隊として完璧な連携を見せています! これは……味覚の戦略的完全勝利です、坂上様!!」
「ははっ、そりゃ重畳だ。おかわりは山ほどあるから、腹いっぱい食いんさい」
美味そうにカレーを頬張る二人を見つめながら、坂上も自分の皿にスプーンを入れた。
故郷の味と、異世界の食材が見事に調和した、深く優しい味がした。
(……千姫や信長にも、食わせてやりたかったな)
ふと、遠い地球にいる家族の顔が脳裏をよぎるが、不思議と悲壮感はなかった。
この狂っていて、不器用で、愛おしい異世界の住人たちも、少しずつ彼の中で「護るべき家族」になりつつあったからだ。
食後、坂上が満足げにハイライトの煙を燻らせていると、キャルルが当然のように彼の膝の上に乗り込んできて丸まり、マンミアがお茶を淹れて隣にスッと腰を下ろした。
五十歳の迷子のおっさんが見つけた、奇妙で温かい、ポポロ村の金曜日の昼下がりであった。
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