EP 5
25歳の焦燥と、50歳の包容力
ポポロ村の境界線近くに設けられた修練場。
乾いた土煙が舞う中、金属が空気を切り裂く鋭い風切り音が連続して響き渡っていた。
「はぁぁぁッ!!」
マンミアの凛とした裂帛の気合いと共に、彼女の腰から放たれた分銅付きの鎖が、まるで生き物のように宙を舞う。
四本足による圧倒的な機動力で相手の周囲を円を描くように疾走しながら、遠心力を極限まで乗せた鎖の連撃を放つ。無限軌道を描くその軌跡は、まさに回避不能の檻。彼女の編み出した必殺の捕縛術『メビウス・インパクト』である。
「……なるほど。いい拍子だ」
しかし、その鎖の檻の中心で、坂上真一は涼しい顔をして立っていた。
彼の手には、PXで購入した硬質な樫の木刀が握られている。名刀『白雪』を使えば鎖ごと両断してしまうため、あえて木刀を選んだのだ。
坂上は『五輪の書』に記された空間把握能力――「観の目つよく、見の目よわく」を体現し、分銅が迫るコンマ一秒のタイミングで木刀を添え、その軌道をわずかに逸らし続けていた。
ガキンッ! という重い衝突音が響く。
軌道を逸らしたとはいえ、木刀を通して伝わってくる衝撃は凄まじい。坂上の鍛え上げられた腕ですら、微かに痺れを感じるほどの重さだった。
(人馬一体とはよく言ったものだ。下半身の強靭な馬力を、上半身の捻りで完璧に鎖へと伝達している。並の魔獣なら一撃で骨が砕けるだろうな)
坂上は内心で深く感心しながら、スッと木刀を下段に下げた。
「そこまで。見事な技だ、マンミア殿」
「……っ! ありがとうございました!」
坂上の声に、マンミアは即座に脚を止め、鎖を素早く巻き取って深く一礼した。
栗毛の馬体は汗で艶やかに光り、彼女の豊かな胸が激しい呼吸に合わせて上下している。
「『メビウス・インパクト』……素晴らしい戦術的価値だ。君のその機動力と鎖の制圧範囲は、現代戦における『重機関銃を搭載した高機動装甲車』に等しい。個の武力でありながら、面を完全に制圧できる。大局的な防衛において、君の存在は我々にとって最大の要になるだろう」
「そ、装甲車……? よく分かりませんが、お褒めいただき光栄です。ですが、私の渾身の連撃を、坂上様は一歩も動かずに全て捌き切ってしまわれました。私の力など、まだまだ……」
生真面目に反省を口にするマンミアを見て、坂上は苦笑した。
上に立つ者としての責任感が強すぎるのだ。彼女の『ノブリス・オブリージュ』の精神は尊いが、常に気を張り詰めていては、いつか心が折れてしまう。
「そう自分を卑下するな。俺が捌けたのは、これでも剣の道に数十年を費やしてきた年長者だからだ。ほら、少し休憩にしよう」
坂上は木刀を傍らに立てかけると、自身の背後に回していた手から、冷水滴る青いペットボトルを差し出した。
先ほど、マンミアから死角になった瞬間に【PX】で購入した、地球のスポーツドリンクである。
「これは……?」
「俺の故郷の飲み物だ。激しい運動の後に飲むと、失われた水分と塩分を素早く補給できる。飲んでみなさい」
マンミアは恐る恐るペットボトルを受け取り、キャップを開けて口をつけた。
「……っ!? 冷たっ! それに、甘いのに少ししょっぱくて……すーっと体に染み込んでいきます。美味しい……!」
目を丸くしてスポーツドリンクを喉に流し込む彼女の姿は、普段の凛々しい騎士の顔ではなく、年相応の素直な女性のものだった。
坂上は内ポケットからハイライトを取り出し、銀のオイルライターで火をつける。紫煙を吐き出しながら、丸太に腰掛けた。
「昨日の防衛線の構築から、今日の訓練まで、よく付き合ってくれた。ガンツさんたち自警団の練度も、君の背中を見ていればすぐに上がるだろう。……だが、少し無理をしていないか?」
「えっ……」
マンミアの動きが止まった。
坂上の穏やかだが、全てを見透かすような黒い瞳。その視線を向けられ、マンミアはなぜか急に、胸の奥に隠していた「弱音」が溢れ出しそうになるのを感じた。
「……坂上様には、隠し事はできませんね」
マンミアはペットボトルを両手で包み込むように持ち、馬体の脚を少しだけ所在なさげに動かした。
視線を落とし、自嘲するような小さな声でぽつりとこぼす。
「昨日、防衛線を作り終えた後……ガンツたちにからかわれたのです。『マンミアも、たまには鎧じゃなくてウェディングドレスでも着る準備をしろ』と」
「……ほう」
「ケンタウロス族の寿命は、人間とさほど変わりません。そして私たちの部族において……二十五歳という年齢は、とうに婚期を逃した『行き遅れ』なのです」
マンミアの栗色の耳が、しゅんと力なく垂れ下がった。
「私は、戦うことしかできません。村を護るために武術を磨き、自警団を率いることだけが私の存在意義でした。ですが……同年代の娘たちが次々と家庭を持ち、母になっていくのを見るたびに、焦るのです。女としての幸せを諦め、血生臭い戦いに身を置き続ける私は……本当にこれでいいのかと。私は、誰にも選ばれないまま老いていくのではないかと……」
それは、誇り高き騎士として生きる彼女が、誰にも言えなかった二十五歳の等身大の「焦燥」だった。
沈黙が落ちる。マンミアは言ってしまってから、「異世界から来た大恩人に、なんてつまらない愚痴をこぼしてしまったのだ」と激しく後悔した。
しかし。
坂上の口からこぼれたのは、呆れ声でも、形式的な慰めでもなく――低く、温かい笑い声だった。
「ふっ……はははっ。なんだ、そんなことを気にしていたのか」
「さ、坂上様……? 笑うなんて、ひどいです……っ」
「すまんすまん、馬鹿にしているわけじゃないんだ。ただ、あまりにもうちの馬鹿息子と状況が似ていてな」
坂上は咥えていた煙草を携帯灰皿で揉み消し、マンミアの目を真っ直ぐに見つめた。
「俺には、故郷に信長という息子がいる。年齢はちょうど君と同じ、二十五歳だ」
「ご子息が……私と同い年、ですか」
「ああ。陸上自衛隊……まあ、こっちでいう王国の近衛騎士団みたいな組織で、『レンジャー』という最も過酷な部隊の隊長をやっている。あいつが毎日何をしているか分かるか?」
坂上は懐かしそうに目を細めた。
「顔に泥を塗りたくり、重い荷物を背負って、雨の中で『うおおおおッ!』と叫びながら泥水をすすっている。明けても暮れても泥と汗と怒号にまみれた生活だ。浮いた話の一つもありゃせん。あいつに『お前は行き遅れだ』なんて言ったら、多分泣きながら腕立て伏せを始めるだろうな」
「泥水を……っ、ふふっ」
想像もつかないほど過酷で、どこか滑稽な息子の姿を語る坂上の口調に、マンミアは思わず吹き出してしまった。
「マンミアさん。人生は、数字で区切られるもんじゃない」
坂上は、普段の「指揮官」としての冷徹な顔を完全に消し去り、一人の「父親」あるいは「人生の先輩」としての優しい顔で語りかけた。
思わず、素の広島弁のイントネーションが混じる。
「二十五歳なんて、まだまだヒヨッコの若造じゃ。焦って誰かに選ばれようとする必要なんかない。君が村のために泥にまみれ、誰かのために戦おうとするその『覚悟』……俺は、この世のどんな着飾った娘よりも、美しくて気高いと思っているよ」
「――――っ!」
マンミアの心臓が、早鐘のように激しく鳴り始めた。
美しい、と言われた。
五十年間、過酷な修羅場をくぐり抜けてきたであろう、この圧倒的な強さと包容力を持つ大人の男に。
自分の不器用な生き方を、これ以上ないほど肯定し、真っ向から讃えてくれたのだ。
「だから、周りの雑音なんか気にせず、今は胸を張って生きなさい。疲れたら、俺がいつでも美味い飯を作ってやる。お互い、焦らんと美味いカレーでも食いんさい」
「か、かれー……ですか」
「ああ。金曜日に食うと、格別に美味い魔法の料理だ。今度、君とキャルル村長に特製のやつを振る舞ってやろう」
坂上がニッと少年のような笑みを浮かべた瞬間。
マンミアの顔は、耳の先まで茹でダコのように真っ赤に染め上がっていた。
「は、はいッ! いただきます! 私、坂上様の作られたものなら、なんだって食べますからッ!!」
バッサバッサと、彼女の栗毛の尻尾が、これまでにないほど激しく左右に揺れ動いている。
自身の中で燻っていた焦燥感が嘘のように消え去り、代わりに、目の前の男に対する強烈な憧憬と、甘い熱が胸の奥で渦巻くのを感じていた。
(ああ……このお方は、ずるい……)
マンミアはスポーツドリンクのボトルを胸に抱きしめながら、熱を持った瞳で坂上の広い背中を見つめ続けていた。
この日を境に、ポポロ村の生真面目な騎士は、異世界から来た五十歳の総司令官に対して、絶対的な忠誠と……淡い恋心にも似た「特別な感情」を抱くことになるのだった。
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