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EP 4

兵站無くして勝利無し。大人は黙って環境を整える

 ポポロ村に滞在して二日目の朝。

 坂上真一は、あてがわれた客室のベッドで、いつもの時間に正確に目を覚ました。

 腕の【Sinn】が示す時刻は午前五時。自衛隊時代から染み付いた体内時計は、異世界に来てなお狂うことはない。簡単なストレッチと、部屋の中で白雪を用いた素振り(北辰一刀流の型)を無音で数十回こなし、精神を整える。

 身支度を終えて外に出ると、冷涼で澄んだ空気が肺を満たした。

 村の広場へ向かうと、既にマンミアが待機していた。彼女の栗毛の馬体は朝露に濡れ、真面目な性格を反映するように、装備の鎖やクロスボウはピカピカに磨き上げられている。

「おはようございます、坂上様。本日はご要望の通り、当村の防衛設備と自警団の視察をご案内いたします」

「ああ、頼む。防衛の要を把握しておくのは、居候としての最低限の礼儀だからな」

 二人は並んで村の境界線へと向かった。

 ポポロ村の周囲には、侵入者を防ぐための「柵」が張り巡らされている。しかし、それを見た坂上の眉は、微かに、しかし決定的にひそめられた。

(……丸太を紐で縛っただけの、簡素な木柵か。これではファングボアの突進を一度防ぐのが限界だ。いや、防ぐというより、ただの『目隠し』に過ぎん)

 防衛線の前には、十数人の男たちが集まっていた。

 彼らがポポロ村の「自警団」だ。しかし、その顔ぶれを見て、坂上はさらに現状の厳しさを悟った。彼らは屈強な兵士などではない。日に焼けた肌、節くれだった手。少しばかり体格が良いだけの、三十代から五十代の「農家のおっさんたち」だった。

 武器も、使い古された槍や、農具を改造したようななたばかりである。

「自警団副リーダーのガンツだ。アンタがマンミアを助けてくれたっていう剣士殿かい」

 自警団をまとめる大柄な初老の男、ガンツが前に出た。彼の目には、感謝の念と共に、スーツ姿の坂上に対する明確な「値踏み」の色があった。

 よそ者、それも戦いには不向きに見える奇妙な衣服を着た初老の男に、自分たちの村を任せられるのかという、村人として当然の警戒心だ。

「坂上だ。昨日はマンミア殿に村まで案内してもらった。立派な自警団だな」

「へっ、お世辞はいいさ。俺たちはただの農民の集まりだ。強力な魔獣が出りゃ、結局はマンミアの機動力と弓の腕に頼るしかねぇのが現状でね」

 ガンツは自嘲気味に笑った。

 マンミアが悔しそうに俯く。彼女が一人で「ノブリス・オブリージュ」を背負い込み、二十五歳という若さで無理を重ねている原因は、この圧倒的な防衛力の脆弱さにあった。

『孫子』は言う。

「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」

 勝つ軍隊は、戦う前に勝利の条件(環境)を整えている。負ける軍隊は、何の準備もせずに戦場へ赴き、個人の勇気や偶然の勝利にすがる。

「……ガンツさん。あんたたちの村を護ろうとする勇気と覚悟は本物だ。だが、この防衛線は頂けない。個人の勇猛さや、マンミア殿の力に依存しすぎている」

「なんだと?」

 ガンツの顔色が変わった。自警団の男たちも、むっとした表情で坂上を睨む。

 しかし、坂上は全く怯むことなく、穏やかだが絶対的な威厳を持つ声で続けた。

「怒らないで聞いてくれ。勇気と無謀は違う。戦いにおいて最も優先すべきは、敵を倒すことじゃない。味方の『死傷率を下げる環境』を作ることだ。この木柵では、魔獣の足は止まらない。俺に一時間、時間をくれないか」

 坂上はそう言うと、村の死角になる納屋の裏手へと歩き出した。

 彼が背中を向けた瞬間、脳内の【PX】スクリーンが展開される。現在の保有ポイントを確認し、必要な物資を検索、購入ボタンを迷わず押下した。

 ――ズシン、と。

 納屋の裏手に、複数の重い段ボール箱と、木箱が実体化した。

 坂上がそれらを抱えて広場に戻ってくると、マンミアやガンツたちは目を丸くした。

「さ、坂上様!? その奇妙な箱は一体どこから……!?」

「俺の故郷の道具でね。少し『取り寄せ』させてもらった。ガンツさん、これを使ってみてくれ」

 坂上が箱を開け、ガンツに手渡したのは、黒く鈍い光を放つ金属の塊――NATO軍が採用している最新型の『折りたたみ式携行円匙スコップ』だった。

 さらに別の箱からは、鋭利な刃が等間隔に仕込まれた鉄のワイヤー、『コンサーティーナ・ワイヤー(有刺鉄線)』のロールがゴロゴロと転がり出る。

「な、なんだこの鉄の縄は! 触っただけで手が切れそうだぞ!」

「こっちの農具スコップも、信じられねぇくらい軽くて頑丈だ……!」

 ざわめく農民たちを前に、坂上は自身のスーツのジャケットを脱ぎ、近くの丸太に掛けた。

 ネクタイを緩め、ワイシャツの袖を肘まで捲り上げる。そして、PXで購入した厚手の革手袋をはめると、自ら携行スコップを手に取った。

「有刺鉄線と、塹壕ざんごうだ」

 ザクッ、と。

 坂上がスコップを土に突き立てる。体重の乗せ方、土の掘り起こし方、全てが洗練された無駄のない動きだった。自衛隊時代、新隊員と共に泥まみれになりながら何百個もの蛸壺(個人用壕)を掘ってきた、実戦的な技術。

「この刃のついた鉄線を、木柵の前に何重にも展開する。そして手前に深い溝(塹壕)を掘るんだ。そうすれば、魔獣は鉄線に絡まって身動きが取れなくなるか、溝に落ちて勢いを殺される」

 坂上は黙々と土を掘り続けた。

 五十歳という年齢を感じさせない、精密機械のようなペース。十分、二十分と経つうちに、彼のワイシャツは汗で背中に張り付き、その下から、若き日の象徴である『仁王の刺青』の輪郭が、うっすらと凄みのある影となって透けて見え始めた。

 男たちは、言葉を失ってその背中を見つめていた。

 どこからどう見ても、高貴な身分か、あるいは恐ろしい組織の長。そんな得体の知れない大男が、自分たちの村のために、見返りも求めず、誰よりも率先して泥だらけになって土を掘っているのだ。

「口で指示を出すだけの指揮官は、三流だ」

 汗を拭いながら、坂上が振り返って笑う。

 その笑顔は、どこまでも気さくで、面倒見の良い『近所の頼れる親父』のそれだった。

「どうした、あんたら。自分の村を護るんだろ? 大人は黙って環境を整えるもんじゃ。……さあ、一緒に汗を流そうや」

 不意に漏れた、親しみを込めた広島弁。

 その言葉が、ガンツたち自警団の心に火をつけた。

「……っ! ぼんやりすんな、お前ら! 余所者の客人にばかり泥を被せるな! 俺たちも手伝うぞ!!」

 ガンツの怒号と共に、おっさんたちが一斉にスコップや鍬を手に駆け寄ってきた。

 坂上が掘り方と有刺鉄線の張り方を指導し、村の男たちがそれに従って必死に手を動かす。マンミアも手伝おうとしたが、四本足の彼女では塹壕掘りは難しく、坂上の指示で全体の指揮と警戒に回ることになった。

 夕暮れ時。

 ポポロ村の境界線には、見違えるような強固な防衛ラインが完成していた。

 深く掘られた塹壕と、幾重にも張り巡らされた凶悪な有刺鉄線の壁。これならば、ファングボアの群れが突撃してきても、完全に足を止めることができる。

「す、すげぇ……。たった半日で、村の守りがここまで変わるなんて……」

 泥だらけになったガンツが、息を弾ませながら完成した塹壕を見下ろしていた。

 彼の顔には、疲労よりも達成感と、確かな「安心感」が満ちていた。他の男たちも、坂上を囲んで水筒を回し飲みしながら、爽やかな笑い声を上げている。

 すっかり彼らの心は、この見知らぬ五十歳の男に鷲掴みにされていた。

「見事な統率力です、坂上様……」

 マンミアは、夕日に照らされる坂上の背中を、尊敬と、ほんの少しの熱を帯びた瞳で見つめていた。

 強大な力で敵をねじ伏せるだけではない。味方の弱点を補い、共に泥にまみれ、最後には全員を笑顔にしてしまう。彼女が理想とする「上に立つ者」の姿が、そこにあった。

「ふぅ……」

 坂上は男たちの輪から少し離れ、一人で内ポケットからハイライトを取り出した。

 銀のオイルライターで火をつけ、紫煙を夕空へと吐き出す。疲労した体にニコチンが染み渡る、至福の瞬間だ。

『――防衛施設の構築、および集団の士気向上を確認。善行ポイントが加算されました』

 脳内で鳴る【PX】の無機質な通知音。

 坂上は煙草を咥えたまま、自身の泥だらけの靴を見て、小さく笑った。

(まだまだ、俺も現場でやれるな)

 金曜日のカレーを心置きなく楽しむためには、まず安全な食卓が必要だ。五十歳の元海将による、規格外の「村の要塞化」が、ここに本格的に幕を開けた。

読んでいただきありがとうございます。

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