第三章『絶海の人魚姫と、大人のスポンサー』
『深海からのポイ活サバイバー、ポポロ村に土下座す』
ポポロ村の朝は、澄み切った冷たい空気と、長閑な静寂に包まれている。
……はずだった。
「――お、お願いですの! 今月のお家賃、あと三日! いえ、一週間だけ待ってほしいんですの! 次のライブで絶対にドカンと稼いでお支払いしますからぁッ!」
村長であるキャルルの家の玄関前。
朝の定例報告に訪れた坂上真一とフェイト・ラックは、思わず立ち止まり、その奇妙な光景に目を丸くした。
「おい、総司令。……あそこに転がってるの、新種の魔獣か?」
フェイトが目を細めて指差す。
玄関の土下座スタイルで平伏しているのは、魔獣ではない。一人の少女だった。
透き通るような真珠の肌に、陽光を受けてキラキラと輝くアクアマリンのような青い髪。その顔立ちは、絶世の美少女と言って差し支えないほどの芸術的な造形をしている。
だが、その服装がすべてを台無しにしていた。
彼女が着ているのは、どこからどう見てもルナミスデパートのワゴンセールで叩き売りされているような『ダサいサツマイモ色のジャージ』。おまけに、足元には足ツボを刺激するイボイボのついた『健康サンダル』を履いている。
ガチャリ、と扉が開き、いつも通り赤ジャージに安全靴という出で立ちのキャルルが、ゴミを見るような冷ややかな視線で少女を見下ろした。
「あんた、先月も全く同じこと言ってたわよね? 毎日毎日ルナミス帝国の公園でハトとパン屑の奪い合いしてる地下アイドルに、どうやって家賃を払うアテがあるって言うのよ」
「うぅっ……! そ、それは……ッ!」
「それに、あんた昨日、私が冷蔵庫に取っておいた高級プリン食べたでしょ。もう許さない。今日という今日は、荷物まとめて出ていきなさい」
「ああっ! キャルルちゃん、ごめんなさい! 見捨てないでぇぇっ!」
少女がキャルルの足首にすがりつき、わんわんと泣き喚く。
坂上は、青い箱からハイライトを一本抜き出し、カチャリと銀のライターで火をつけながら、やれやれと息を吐いた。
「朝から随分と賑やかだな、キャルル。……知り合いか?」
「あっ! サカガミ!」
坂上の姿を認めた瞬間、キャルルの冷酷な表情が一変し、花が咲いたような満面のヤンデレ・スマイルへと切り替わった。彼女はすがりつく少女を容赦なく安全靴で蹴り飛ばし、マッハの速度で坂上の左腕にコアラのようにしがみつく。
「おはようサカガミ! 今日もいい匂いがするわね、くんくんっ。……ああ、この粗大ゴミ? 私がルナミス帝国で冒険者やってた時の、シェアハウスの元ルームメイトよ。名前はリーザ」
「リーザですの! 痛い、痛いですのキャルルちゃん!」
蹴り飛ばされた少女――リーザは、涙目で頭を押さえながら立ち上がった。
坂上は、ハイライトの煙を細く吐き出しながら、彼女の素性を尋ねた。
「元ルームメイトね。……随分と、逞しい生活をしているようだが」
「逞しいなんてもんじゃないわよ」
キャルルは呆れたように鼻を鳴らした。
「こいつ、こう見えても海中国家シーランの第一王女、正真正銘の『人魚姫』なんだから」
「……は?」
隣で聞いていたフェイトが、素っ頓狂な声を上げた。
「お、王女!? しかも人魚姫!? 嘘だろ、人魚姫って言ったら、もっとこう、優雅にサンゴ礁のベッドでハープとか弾いてるもんじゃねえのか!? なんで芋ジャージ着て土下座してんだよ!」
キャルルの説明によれば、こうだ。
親善大使としてルナミス帝国に派遣されたリーザは、現地の『アイドル文化』に触れ、人前で歌いチヤホヤされる快感に完全に脳を焼かれてしまった。
ブームが去り、公式な支援が打ち切られた後も、彼女は『私はアイドルとして大成功してるの!』と本国の母親(女王リヴァイアサン)に嘘の手紙を書き続け、自らみかん箱の上に立って歌う『地下アイドル』へと転落したのだという。
そして家賃が払えなくなり、ポポロ村の村長として出世したキャルルの元へ転がり込んできた、というわけだ。
「……なるほど。見栄と夢を拗らせた結果、というわけか。自衛隊にもたまにこういう奴がいたな」
坂上は、どこか懐かしむような目でリーザを見つめた。
*
「とりあえず、中で朝飯にするわよ。サカガミ、一緒に食べてって!」
キャルルに手を引かれ、坂上とフェイトは村長宅のリビングへと招き入れられた。
テーブルの上には、キャルルが自身の権限(と財力)を遺憾なく発揮した、厚切りのベーコンと新鮮なレタスを挟んだ豪華な『BLTサンドイッチ』と、栄養満点の野菜ジュースが並べられている。
「いただきまーす! んんっ、美味しい!」
キャルルが優雅にサンドイッチを頬張る。
その向かいの席。居候のリーザの前に置かれていたのは、あまりにも悲惨な『朝食』だった。
「……いただきますの」
リーザは、スーパーのビニール袋から、パン屋でタダで貰ってきたと思われる『パンの耳』の束を取り出し、傍らに『茹で卵』を一つ、そして公園で摘んできたであろう『食べられる雑草』を盛り付けた皿を置いた。
彼女は、パンの耳をウサギのように齧り、雑草をモシャモシャと無表情で咀嚼している。
その姿には、王族としての品格など微塵もない。圧倒的な『貧困』と、過酷な『サバイバル(ポイ活)』の果てに行き着いた、究極の生存戦略の姿があった。
「……うわぁ」
フェイトが、自身の朝食の手を止めてドン引きしている。
「なんか、見てるこっちが辛くなってくるな……。おい、村長。いくらなんでも、同じテーブルでその格差はエグすぎねぇか?」
「自業自得よ。私は何度も『村の仕事を手伝えばお給料を出す』って言ってるのに、こいつが『アイドルは泥臭い仕事はしませんの!』って意地張ってんだから」
キャルルは冷酷に言い放ち、野菜ジュースをストローですする。
「……食べる? リーザちゃん。サンドイッチの端っこ」
キャルルが少し意地悪な笑みを浮かべてサンドイッチを差し出す。
ピクッ、とリーザの青い髪が跳ねた。
「い、要りませんの! 私はファンたちの『愛』と『お金』で生きていく絶対無敵のスパチャアイドル! 施しなんて受けませ――」
ギュルルルルルゥゥゥゥッ!!
リーザの薄っぺらいお腹から、雷鳴のような轟音が鳴り響いた。
リーザは顔を真っ赤にしてお腹を押さえるが、その目はベーコンの脂に釘付けになっている。
その光景を黙って見ていた坂上は、小さく息を吐いた。
(……五十歳の男として、部下と同じ年頃の小娘が、腹を空かせて強がっているのを見過ごすわけにはいかんな)
坂上は、誰にも気づかれないよう机の下で左手を動かし、脳内の【PX】スクリーンを操作した。
善行ポイントを消費し、日本の冬の定番である『濃厚コーンポタージュ(粉末タイプ)』と、お湯の入った保温ポットを召喚する。
マグカップに粉末を入れ、お湯を注いで手早くかき混ぜる。甘く、豊かなトウモロコシの香りがリビングに広がった。
コトリ。
坂上は、その温かいマグカップを、パンの耳を齧っているリーザの目の前にそっと置いた。
「……え?」
リーザが目を瞬かせる。
「パンの耳だけじゃ、喉に詰まるだろう。スープだ。飲め」
坂上は、イージス艦長としての威厳を保ちつつも、父親のような温かい声音で言った。
「あ、あの……! 私は、さっきも言った通り、施しは――」
「施しじゃない。これは、俺からの『先行投資』だ」
坂上は、ニヤリと大人の余裕を見せて笑った。
「お前、アイドルなんだろう? 腹の底から声を出して世界を幸せにするには、まずは自分の腹を温めることから始めんとな。……ええから食いんさい。冷めるぞ」
広島弁の混じった、その圧倒的な包容力。
リーザの瞳から、大粒の涙がボロリとこぼれ落ちた。
連日の極貧生活、鳩との餌の奪い合い、タローソンの廃棄弁当争奪戦。強がってはいたが、彼女の心身は限界に達していたのだ。
「うぅっ……! ぐすっ……! あ、ありがとうございますの……っ!」
リーザは、マグカップを両手で包み込むように持ち上げると、火傷しそうな熱さのコーンポタージュを、ズズズゥゥッ! と物凄い勢いで飲み干し始めた。
「あぁぁぁ……っ! あったかい……! 甘い……! 宇宙一美味しいですのぉぉぉっ!」
鼻水を垂らしながら、パンの耳をポタージュに浸して狂ったように貪り食う絶世の人魚姫。
「……おいおい、落ち着いて食え。おかわりはある」
坂上が苦笑しながらティッシュを差し出すと、リーザはそれをひったくるように受け取り、ズビッ! と豪快に鼻をかんだ。
「サカガミィィィ! ありがとうございますの! 私、決めましたの!」
リーザは、涙と鼻水でグシャグシャになった顔を上げ、坂上の手を両手でガシッと握りしめた。
「私、貴方の専属アイドルになりますの! 私の人生、全部サカガミにあげますから、毎朝この黄色いスープを飲ませてくださいのぉぉぉっ!」
「……ちょっ、ちょっと待ちなさいよこの泥棒ネコ魚ッ!!」
事態の急変に、キャルルが机をバンッと叩いて立ち上がった。
「サカガミの左腕も、右腕も、お財布も、全部私とマンミアの管轄なんだからね! あんたみたいな図々しいポイ活女に、サカガミのスープを一滴たりとも譲るもんですかッ!」
「うるさいですの! アイドルはパトロン(スポンサー)を見つけるのも才能の実力のうちですの! サカガミ、あーんして!」
朝の食卓で、赤ジャージのウサギと芋ジャージの人魚が、五十歳のおっさんを巡ってギャーギャーと取っ組み合いの喧嘩を始める。
「ハハハッ! なんか知らねぇが、さらに賑やかになりそうだな、総司令!」
フェイトが呑気に笑いながら、残りのサンドイッチを頬張っている。
「……やれやれ。俺はいつから、託児所の所長になったんだ」
坂上は、青い箱からハイライトをもう一本抜き出しながら、深くため息をついた。
深海からやってきた、逞しくも強欲なポイ活サバイバー。
ポポロ村愚連隊に、また一人、個性的すぎる(そして手のかかる)仲間が加わった、騒がしい朝の幕開けであった。
読んでいただきありがとうございます。
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