EP 8
『愚者の逆恨みと、死蟲の羽音』
ルナミス帝国の帝都から遠く離れた、光の届かぬ地下遺跡。
かつて神蟲魔大戦において、死蟲王サルバロスが遺したとされる封印の地――『天魔窟』の最下層に、ひどく落ちぶれた男の姿があった。
数日前まで、特命監査官として純白のフロックコートを着こなしていたエルロイ子爵である。
「許さん……。許さんぞ、あの野良ウサギめ……。そして、あの刺青の男ぉぉっ!」
エルロイの落ち窪んだ眼窩には、狂気と憎悪だけがギラギラと濁っていた。
ポポロ村で坂上真一の圧倒的な知略と覇気の前に屈服し、恐喝の証拠音声まで握られた彼は、帝国へ逃げ帰った後、即座にその地位を剥奪された。
ドワーフとの外交関係悪化を恐れた帝国上層部によって、彼はすべての責任を押し付けられ、全財産を没収された上で『国家反逆罪』の指名手配犯へと転落したのだ。
地位も、名誉も、輝かしい未来も。すべてを失ったインテリ貴族の頭には、もはや『復讐』という二文字しか残っていなかった。
「ふふふ……私を破滅させた報いは、必ず受けさせる。ポポロ村の連中もろとも、あの忌々しい村をこの世から消し去ってくれるわ……!」
エルロイは、闇市で全財産をはたいて購入した『古代の呪符』を、遺跡の最奥に鎮座する巨大な鋼鉄の棺へと貼り付けた。
彼が狙ったのは、第一章でゲラードが呼び起こしたような旧式の機装狂竜ではない。
かつて世界を絶望に陥れた死蟲王サルバロスの直属――複数の死蟲機を悪魔合体させて生み出された、殺戮の権化である。
「目覚めよ……! そして私の命に従い、ポポロ村を蹂躙せよ!」
エルロイが呪文を詠唱すると、棺を縛っていた鎖がドロドロと溶け落ち、重々しい扉が内側から弾け飛んだ。
ブゥゥゥゥゥゥンッ……!!
地下空間を震わせる、吐き気を催すような巨大な羽音。
闇の中から姿を現したのは、身の毛もよだつ異形の怪物だった。
死蟷螂機の何でも切り裂く鋼鉄の鎌。死甲虫機の砲弾すら弾き返す漆黒の装甲。そして、背中には死蛾機の巨大な毒の羽が生え揃っている。
複数の蟲の特性を機械的に繋ぎ合わせた、悪夢のキメラ――『合成死蟲将軍機』である。
「ひははははっ! 素晴らしい! これぞ圧倒的な力! さあ、私の声を聞け! 南へ向かい、ポポロ村の人間を一人残らず喰らい尽くすのだ!」
エルロイは、高揚感に酔いしれながら、手に持った支配のタクトを振るった。
だが。
合成死蟲将軍機の、複眼で構成された無機質なレンズが、足元でわめくエルロイをギロリと見下ろした。
『――TARGET・RECOGNIZED。NUTRITION・VALUE・LOW。HOWEVER……ACCEPTABLE(目標確認。栄養価低シ。然レドモ……許容範囲)』
「……え?」
エルロイが間抜けな声を上げた、次の瞬間。
死蟷螂機の巨大な鎌が、エルロイの胴体を一切の抵抗なく『両断』した。
「あ、が……。私の……完璧な、復しゅ……」
血を吐きながら上半身だけが床に落ちる。死蟲将軍機は、昆虫特有の無機質な顎を開き、エルロイの上半身を無造作に口に放り込んで噛み砕いた。
自身の器を弁えず、強大な暴力を私怨でコントロールできると勘違いしたインテリの、あまりにも呆気なく、惨めな最期であった。
『――ENERGY・RECHARGED。COMMENCING・INVASION(魔力充填完了。侵攻ヲ開始スル)』
バリバリと骨を噛み砕く音を響かせながら、合成死蟲将軍機は背中の巨大な羽を広げた。
その背後にある無数の卵型のカプセルから、小型の死蜂機や死蝿機が次々と羽化し、黒い雲となって群れを成していく。
死蟲王の眷属たちは、最も強い魔力と生命力の匂いを放つ南方――ポポロ村へと向けて、漆黒の空へと飛び立った。
*
同じ頃、ポポロ村。
休日のポーカー大会から数日が過ぎ、村はいつもの平和な日常を取り戻していた。
自警団の兵舎の裏手では、ポーカーの罰ゲームとして、フェイト・ラックがブツブツと文句を言いながら馬小屋の掃除をさせられている。
「くそっ! なんでA級冒険者の俺が、馬のフンを片付けてんだよ! 総司令の野郎、あのポーカーフェイスは絶対にイカサマだぜ……!」
「フェイト! 手が止まっていますよ! その後は北門の便所掃除が待っているんですからね!」
書類の束を抱えたマンミアが、通りすがりに容赦ないゲキを飛ばす。
役場の屋上では、坂上真一が青い箱からハイライトを抜き出し、冬の澄んだ空気を味わいながら紫煙を燻らせていた。
彼の左腕には、今日も今日とてキャルルが張り付き、「サカガミ、今日の夜ご飯はおでんの残り汁で作るカレーうどんがいいなー」とのんきな声を出している。
(……少し冷え込んできたな。村の防寒設備の稼働率を上げておくか)
坂上が【PX】の戦術情報端末を取り出そうとした、その時だった。
『ウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!! ウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!』
突如として、ポポロ村全体に、空気を引き裂くような甲高いサイレンが鳴り響いた。
第一章で機装狂竜が襲来した時の重低音のアラートではない。
それは、ドワーフの地下帝国が規定した警戒レベルのうち、最高危険度を示す『ブラック・アラート』であった。
「な、なんだ!? このけたたましい音は!」
馬小屋の掃除をしていたフェイトが、箒を放り投げて兵舎から飛び出してきた。
マンミアも即座に書類を放り出し、自身の盾『アグニ』と鎖『メビウス』を装備して役場の前へと駆けつける。
「サカガミ! これは……!」
キャルルの顔から甘えた表情が消え去り、野生の勘が極限の危険を察知してウサギの耳をピンと立てた。
坂上は、吸いかけのハイライトを携帯灰皿に押し込み、タブレットの画面を空間にホログラム投影した。
そこに映し出されていたのは、村の北方の空を真っ黒に染め上げながら接近してくる、無数の光点。
そして、その群れの中心に存在する、機装狂竜すら上回るほどに濃密で邪悪な『魔力反応』だった。
「……空からの強襲か。しかも、ただの魔獣じゃない。統率された『軍隊』だ」
坂上の目が、イージス艦長の冷徹なそれへと切り替わる。
「目標、ポポロ村北方五キロの上空。多数の小型飛行目標に加え、巨大な『合成獣』の反応あり。……死蟲王サルバロスの眷属、ネクロバグの群れだ」
「し、死蟲王の眷属ですって!? なぜそんな伝説級の化け物が、突然この村へ……っ!」
マンミアが絶望的な声を上げた。
死蟲機は、単体でも厄介だが、群れを成した時の脅威度は竜の比ではない。強力な毒、酸、そして爆発といった予測不能の攻撃を仕掛けてくる、最悪の生物兵器だからだ。
「理由は後だ。今は迎撃の陣を敷くのが先決だ。マンミア!」
「は、はいッ!」
「非戦闘員を直ちに地下シェルターへ誘導しろ。……だが今回は、敵に『死蜘蛛機』や『死寄生蟲機』のような、地中や機械に侵入するタイプが混ざっている可能性がある。シェルターの物理隔壁だけでなく、魔力遮断フィールドも最大出力で展開させろ」
「了解いたしました! 自警団各員に伝達します!」
坂上は、続いて黒いタクティカル・コートを羽織り、腰に愛刀『白雪』を帯びた。
そして、傍らで震えているフェイトを一瞥した。
「フェイト。便所掃除は一時中断だ。剣を持て」
「そ、総司令……っ。相手は、空を飛ぶ蟲の大群だぞ。俺の大剣じゃ、届かなくねぇか……?」
A級冒険者とはいえ、近接戦闘特化のフェイトにとって、飛行する蟲の群れは最も相性の悪い敵である。彼の顔には、明確な恐怖が浮かんでいた。
だが、坂上は【PX】の画面を操作し、光と共に『ある物』をフェイトの胸に押し付けた。
「俺が『準備』なしで戦場に立つと思うか?」
フェイトが受け取ったのは、現代軍が使用する『ミリタリー・ガスマスク』と、太ももに装着する『解毒剤オートインジェクター(自動注射器)』のセットだった。
「蟲の最大の武器は『毒』と『鱗粉』だ。これを装着していれば、致死性の神経毒でも十時間は完全にシャットアウトできる。……お前は、俺の指示した座標で、地上に降りてきた大物だけを斬ればいい。空のハエは俺たちが叩き落とす」
坂上の、一切の揺らぎもない絶対的な自信。
その言葉を聞いた瞬間、フェイトの中の恐怖がスッと引いていくのが分かった。
(……そうだ。俺の上司は、絶対に勝てない戦いなんてさせない。俺はただ、信じて剣を振ればいいんだ)
「……了解っす! 総司令がそう言うなら、地獄の底でも斬り開いてやりますよ!」
フェイトはガスマスクを首から提げ、背中のミスリルソードを力強く引き抜いた。
「キャルル。お前は俺のそばを離れるな。今回はお前の機動力が、防空網の要になる」
「ふふっ、任せてよサカガミ。あのうるさいハエども、私が一匹残らず叩き落としてあげる!」
キャルルがダブルトンファーを構え、闘気を爆発させる。
ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ……!!!
空気を不快に震わせる、巨大な羽音の重奏が、ポポロ村の上空へと迫ってきた。
吹雪雲を引き裂き、黒い霧のように押し寄せる死蜂機と死蝿機の大群。
そして、その中央に悠然と浮かぶ、悪夢のような姿をした巨大なキメラ――合成死蟲将軍機の姿が、村人たちの目に飛び込んできた。
『――TARGET・CONFIRMED。COMMENCING・EXTERMINATION(目標確認。殲滅ヲ開始スル)』
無機質な機械音声と共に、死蜂機の群れが、村の防壁に向かって一斉に急降下を開始する。
「『マジック・ファランクス』、全基起動。対空弾幕、展開せよ!」
坂上の号令と共に、村の要所に配置された自動魔導砲が火を噴き、夜空に無数の光の軌跡が描き出された。
弾幕が小型の蟲どもを次々と撃ち落としていくが、敵の数は文字通り『雲霞の如く』であり、撃ち落とした端から次なる群れが村の防衛線へと突っ込んでくる。
「……さて。前回の竜の時よりも、骨が折れそうだな」
坂上は、ガスマスクを装着する代わりに、静かに青い箱からハイライトを一本抜き出し、唇に咥えた。
カチャリと銀のライターで火をつける。
理不尽な暴力を前にしても、五十歳の指揮官の瞳には、一切の焦りはない。
「いくぞ、お前たち。大人の害虫駆除の始まりだ」
愛刀『白雪』の鯉口を切り、坂上真一はポポロ村愚連隊を率いて、絶望の羽音が響く戦場へと歩みを進めた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




