EP 9
『勝率100%の盤面と、運命のコイン』
ポポロ村の夜空は、死蟲王の眷属たちが放つ悍ましい羽音と、それを迎撃する自動魔導砲『マジック・ファランクス』の閃光によって、この世の地獄絵図と化していた。
「チィッ……! 斬っても斬ってもキリがねぇ! なんなんだよこのハエの群れは!」
ミリタリー・ガスマスクを装着したフェイト・ラックが、ミスリルソードを振り回して死蝿機を叩き落としながら毒づく。
彼の周囲には、死蛾機が撒き散らした猛毒の鱗粉が濃密な霧となって漂っていた。通常の冒険者であれば、数秒呼吸をしただけで神経を破壊され死に至る劇毒である。
だが、坂上が【PX】で召喚した現代軍用ガスマスクの特殊フィルターは、異世界の未知の毒素すらも完璧に物理遮断していた。
「泣き言を言うな、フェイト! 貴方が空の敵を落としてくれないと、私が前線に集中できません!」
地上では、マンミアが盾『アグニ』を構え、死蟻機の強酸液を弾き返している。
「ハハハッ! 面白いように落ちるわね! サカガミの防空システム、最高ォ!」
キャルルは、村の屋根から屋根へとマッハで跳躍しながら、防空網をすり抜けてきた死蟲機を的確に蹴り砕いていた。
三人の連携と、坂上の構築したポポロ・ディフェンス・グリッドは完璧に機能していた。
だが、その強固な防衛線を、力任せに引き裂く者が現れた。
『――OBSTACLE・DETECTED。INITIATING・FRONTAL・BREAKTHROUGH(障害物ヲ検知。正面突破ヲ開始スル)』
ズドォォォォンッ!!
小型の群れを掻き分け、空から三百トンを超える鋼鉄の塊が降ってきた。
合成死蟲将軍機である。
着地の衝撃だけで地雷原のトラップが吹き飛び、マンミアの構えるイージス・フィールドに巨大な亀裂が走る。
「くぅぅっ……! な、なんという重圧……っ!」
マンミアが四肢を震わせて耐えるが、死蟲将軍機は死蟷螂の巨大な鎌を振り上げ、フィールドの亀裂へと容赦なく叩き込んだ。
ガキンッ! という硬質な音と共に、光の盾が粉砕される。
「マンミア! さぁせるかぁッ!!」
上空からキャルルが『流星脚』の姿勢で急降下し、死蟲将軍機の頭部へとマッハの蹴りを叩き込む。第一章で機装狂竜の絶対装甲を粉砕した、必殺の一撃。
だが。
ギィィィィンッ!!
「なっ……!?」
キャルルの蹴りは、死蟲将軍機を覆う漆黒の甲殻――死甲虫機の特性を極限まで圧縮した『超複合装甲』に弾き返され、彼女自身が大きく後方へと弾き飛ばされた。
「キャルル! くそっ、硬すぎる! 全く刃が通らねぇ!」
フェイトが大剣で側面から斬りかかるが、火花が散るだけで傷一つ付かない。
『――EXTERMINATION(殲滅)』
死蟲将軍機が、複眼を赤く発光させ、胸部の魔導コアから極太の熱線を放とうとエネルギーを圧縮し始めた。
装甲を破る手段がなく、絶対的な火力が迫る絶体絶命の窮地。
だが、ポポロ村の広場に立つ坂上真一は、ガスマスクの奥で極めて冷静に戦況を分析していた。
(……機動性のキャルルと、防御力のマンミアでは、あの絶対装甲は抜けん。物理的な『特大の質量』で装甲をこじ開ける鍵が必要だ)
坂上は、通信機越しに低く落ち着いた声を飛ばした。
「フェイト。前へ出ろ」
「そ、総司令!?」
「今だ。コイントスをしろ。お前の全力で、あのふざけた甲虫の装甲を叩き割れ」
フェイトの身体が、ビクッと震えた。
右手に握りしめた一枚の銀貨。だが、彼の手はカタカタと震え、コインを弾くことができない。
「む、無理だ総司令……っ! こんな状況で、もし俺が『裏』を出して倒れちまったら……前衛が崩壊して、村が……キャルルやマンミアが死んじまうッ!」
フェイトは、仲間を想うが故に、己の不確定なスキルを使うことを恐れていた。ギャンブラーとしてのプライドよりも、ポポロ村という居場所を失うことの恐怖が勝っていたのだ。
そんなフェイトの背中に、大きな手が置かれた。
坂上が、静かに彼の手を包み込んだ。
「周りをよく見てみろ、フェイト」
「え……?」
坂上に促され、フェイトはガスマスクのバイザー越しに戦場を見渡した。
死蟲将軍機の足元には、坂上が密かに起動を遅らせていた『高圧縮魔導地雷』がまだ十数個も無傷で残っている。
そして、弾き飛ばされたキャルルとマンミアは、すでに次の陣形――死蟲将軍機を誘導し、落とし穴へと嵌めるための『第二の罠』の座標へと、無言のまま移動を完了していたのだ。
「俺が、お前たちを運任せの戦場に放り込むと思うか?」
坂上の声は、どこまでも力強く、そして温かかった。
「お前が外して寝込んでも、勝てる盤面は俺が既に作ってある。少し持久戦になって泥臭くなるがな。……だが、俺は『早く帰って酒が飲みたい』。お前のその力は、俺たちの仕事を早く終わらせてくれる、最高の切り札なんだよ」
――お前が外しても、絶対に護り抜いてやる。
その絶対的な上司の言葉が、フェイトの心から一切の迷いと恐怖を拭い去った。
「……っ。総司令、アンタって人は、本当に……っ」
フェイトは、ガスマスクの下でニヤリと笑った。
ギャンブラーにとって、負けても死なない、絶対に勝てるテーブルを用意されたのなら。やるべきことは一つしかない。
「――見ててくれよ、総司令。俺たちポポロ村愚連隊の、大穴の引き方をなァァッ!!」
フェイトは、親指に全闘気を込め、銀貨を冬の夜空へと高々と弾き飛ばした。
キィィィィィィンッ……!!
澄んだ音が、戦場に響き渡る。
死蟲将軍機の熱線が臨界点に達しようとする中、宙を舞った銀貨が、フェイトの手の甲へと落ちた。
表か。裏か。
否。
チャリン……ピタッ。
フェイトの手の甲に落ちた銀貨は、表でも裏でもなく――信じられないバランスで、『縁(縦)』で直立していた。
「……マジ、かよ」
天文学的な確率。何万回に一回の奇跡。
次の瞬間、フェイト・ラックの全身から、これまでの二倍バフとは次元の違う、神々しいほどの黄金の光柱が天を貫いて吹き上がった。
ステータス、百倍。
A級冒険者の基礎能力が百倍に膨れ上がったその姿は、もはや地を歩く破壊神に等しかった。
「うおおおおおおおおおおッ!! 俺の運命は、俺たちが切り拓くッ!!」
フェイトは、ミスリルソードを上段に構え、大気を爆発させて跳躍した。
死蟲将軍機が放った極太の熱線。それを、フェイトは正面から大剣で『真っ二つに叩き割り』ながら、一直線に突撃する。
『――IMPOSSIBLE(計算不能)』
死蟲将軍機の魔導脳がエラーを吐き出す。
「これが人間の、ギャンブラーの意地だァァァッ!!」
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
フェイトの振り下ろしたミスリルソードが、死蟲将軍機の『超複合装甲』に激突した。
百倍の闘気が乗った一撃は、鉄を叩き割るハンマーのように、強固な漆黒の甲殻を粉々に砕き散らした。
キャルルの蹴りすら弾いた絶対防御が、ガラス細工のように崩壊し、その奥に隠されていた脈打つ心臓――魔導コアが完全に露出する。
「やった! 装甲破壊、成功です!」
「ナイスよフェイト! 初めて役に立ったわね!」
マンミアとキャルルが歓声を上げる。
百倍バフの反動で空中で気を失い、パラパラと落ちていくフェイトを、マンミアが鎖で優しく受け止めた。
「よくやった、フェイト。お前は最高のジョーカーだ」
装甲が剥がれ、機能不全に陥って痙攣する死蟲将軍機。
その目の前に、いつの間にか黒いコートの男が立っていた。
坂上真一である。
彼は、青い箱からハイライトを抜き出し、静かに口に咥えたまま、腰の愛刀『白雪』の柄に手をかけた。
(敵の防御は消えた。だが、あのコアを放っておけば自爆の危険がある。……一瞬で、細胞の活動ごと断ち切る)
坂上は、深く腰を沈め、呼吸を止めた。
『五輪の書』の神髄。一切の無駄を省いた、ただ敵を斬るためだけの静かなる殺意。
「――北辰一刀流」
空気が凍りつく。
死蟲将軍機の複眼が、目の前の男の異常な覇気を捉え、恐怖に似た信号を発した。
「抜刀術――『白凪』」
ヒュンッ。
音が消えた。
抜かれた白雪の刃が、月光を反射して一条の美しい白線を描く。
それは、魔力も闘気も宿していない、ただ極限まで研ぎ澄まされた『物理的な斬撃』。だが、その一閃は、露出した死蟲将軍機の魔導コアを、抵抗すら許さずに寸分の狂いもなく真っ二つに両断していた。
チャキッ。
坂上が刀を鞘に納めた瞬間。
『――――――』
音のない絶叫と共に、合成死蟲将軍機の巨体が左右にズレて崩落し、ドロドロの黒い灰となって雪原に溶けていった。
主を失った上空の死蜂機たちも、統制を失って次々と墜落し、動かなくなる。
完全なる、勝利。
圧倒的な個人の武力で無双するのではなく、それぞれの長所を完璧な盤面で噛み合わせた、ポポロ村愚連隊の『組織としての勝利』であった。
「……作戦完了だ。撤収するぞ」
坂上は、口に咥えていたハイライトに、銀のライターで火をつけた。
紫煙を燻らせながら振り返る五十歳の背中は、世界中のどんな英雄よりも、途方もなく大きく、頼もしかった。
読んでいただきありがとうございます。
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