EP 6
『紫煙とコイントス。漢たちの喫煙所』
深夜。
静寂に包まれたポポロ村の北門へ向かって、一人の男が重い足取りで歩いていた。
背中には巨大なミスリルソードを背負い、全身をミスリルアーマーで固めたA級冒険者、フェイト・ラックである。
彼の右手には、一枚の銀貨が握られていた。
(……俺は、ただの道化だ)
フェイトは、自嘲気味に吐き捨てた。
今日の昼間、ルナミス帝国の監査官が村に乗り込んできた時。彼はキャルルやマンミアと共に、ただ部屋の外へ追い出されることしかできなかった。
そして、坂上真一という五十歳の男は、たった一人で、一切の暴力を使わず、圧倒的な知略と覇気だけで、大国の貴族を社会的に抹殺し、村と仲間を護り抜いてみせたのだ。
フェイトは、その一部始終を扉の向こうで聞きながら、己の『空っぽさ』を痛感していた。
(A級冒険者? 笑わせるぜ。この剣も鎧も、新聞の懸賞で『運良く』当たっただけの借り物だ。俺自身には、何の信念も、仲間を護るための知恵もねぇ。……ただ、コインの裏表に自分の人生を丸投げしているだけの、ガキじゃないか)
フェイトは銀貨を親指で弾いた。
キィン、と冷たい音が鳴り、手の甲に落ちる。
「……裏、か。やっぱりな。俺にはこの村にいる資格はねぇよ」
荷物をまとめ、夜逃げのように村を去ろうとした、その時だった。
「――どこへ行く、フェイト」
ビクッとして顔を上げると、北門の脇に積まれた木箱の上に、黒いコートを着た坂上真一が座っていた。
「そ、総司令……? なんで、こんな夜中に……」
「優秀な指揮官ってのはな、部下が思い悩んで徘徊するルートくらい、あらかじめ把握しているもんだ」
坂上は立ち上がり、フェイトの前に歩み寄った。
引き止められる、あるいは怒鳴られるとフェイトは身構えたが、坂上は彼を責めるようなことは一切言わなかった。
代わりに、自身の懐から細長い箱を取り出し、一本の煙草をフェイトの胸元へ放り投げた。
「おっと……こ、これは、ポポロ・シガレット?」
「座れ。夜風が冷たい」
促されるまま、フェイトは木箱に腰を下ろした。
隣に座った坂上は、自身の口にも青い箱から『ハイライト』を咥えさせると、使い込まれた銀色のオイルライターを取り出した。
カチャリ。
オレンジ色の小さな炎が、冬の夜の闇を照らす。
坂上は自分の煙草に火をつけると、そのままライターをフェイトの口元へと差し出した。
(息子の信長にも言ったが……男同士の込み入った話ってのは、会議室じゃなく、喫煙所の隅っこでするもんだ。煙草は、部下の本音を引き出す最高の『マスターキー』だからな)
「あ、あざっす……」
フェイトは恐縮しながらポポロ・シガレットに火をもらい、深く吸い込んだ。極上の煙草の香りが、肺の奥まで染み渡り、彼の中の強張っていた緊張が少しだけ解けていく。
「……総司令。俺、やっぱりこの村の自警団、辞めようと思うんです」
紫煙を吐き出しながら、フェイトはぽつりとこぼした。
「今日のアンタを見て、思い知ったんすよ。本物の『強さ』ってやつを。キャルル村長やマンミアは、自分の命を懸けてこの村を護ろうとしてる。アンタは、完璧な頭脳と覚悟で全員を導いてる。……でも、俺は違う」
フェイトは、自らの手にある銀貨を見つめた。
「俺は、こいつが『裏』を出せば、ただの役立たずのクズになる。仲間が死にそうな時でも、コイントスが外れれば身体が動かなくなる。……そんな不確定な爆弾、アンタの完璧な部隊には邪魔なだけだ。いつか必ず、俺のせいでみんなを死なせちまう」
震える声で告白するフェイト。
それは、いつも陽気に振る舞っていたポンコツギャンブラーが、初めて見せた『二十五歳の青年』としての弱音だった。
坂上は、夜空を見上げながら、静かに煙を燻らせていた。
そして、不意に、優しく、しかし確かな重みを持った『広島弁』で語り始めた。
「ええか、フェイト。俺は長年、海の上で何千人という部下の命を預かってきた。軍隊ってのはな、個人の『運』や『魔法』なんかに頼っちゃいけんのよ。補給線の確保、地形の把握、敵の戦力分析。……九十九パーセントの『勝つための準備』を泥臭く積み上げるのが、俺たち指揮官の仕事じゃ」
「……はい」
「じゃがな。どれだけ完璧に準備をしても、戦場には必ず『計算外の理不尽』が起こる。俺たちの力が及ばない、最後の一パーセントの壁。……そこで必要になるのが、『運』なんよ」
坂上は、ハイライトを指に挟み、フェイトの目を真っ直ぐに見据えた。
「運ってのはな、何もせずに空から降ってくるもんじゃない。俺たちが血反吐を吐いて『準備』を完璧に終えた時、その背中を、最後に少しだけ押してくれる風のことなんじゃ」
フェイトの目が、大きく見開かれた。
「フェイト。お前が『裏』を出して寝込むなら、それでいい。お前が寝ていても勝てる盤面は、俺が作る」
「総司令……」
「だが、絶体絶命の窮地で、俺たちの力が及ばなくなった時。お前は必ず『表』を引け。お前のその規格外の運は、俺たちが九十九パーセントまで作り上げた勝利を、二百パーセントに引き上げるための『最後の切り札』だ」
坂上は、フェイトの肩を、大きな手でガシッと掴んだ。
「お前はもう、ただのギャンブラーじゃない。俺が背中を預けると決めた、ポポロ村愚連隊の立派な一員だ。……俺の部下なら、下を向いて逃げるな。勝つために、前を向いてコインを弾け」
――ドクン、と。
フェイトの胸の奥で、何かが熱く弾けた。
今まで、誰も彼の『コイントス』を正面から肯定してくれた人間はいなかった。運任せのクズだと罵られ、あるいはその力だけを利用されようとしてきた。
だが、目の前にいる五十歳の男は違う。
彼の弱さ(裏)をすべて背負い込む覚悟を持った上で、彼の強さ(表)を心の底から信頼してくれているのだ。
「っ……うぅ……っ」
フェイトの目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
彼は子供のようにしゃくり上げながら、ポポロ・シガレットを持つ手で必死に涙を拭った。
「すん、ません……っ! 俺、俺……逃げようとして……っ! 恥ずかしい……っ!」
「泣きたい時は泣け。男の涙は、明日から強くなるための通過儀礼だ」
坂上は優しく笑い、自分のハイライトを灰皿に押し当てた。
数分後。
涙を拭い終えたフェイトは、手元にあった銀貨を、自らの胸当ての内側――心臓の最も近い場所へとしまった。
「……総司令。俺、もう逃げません」
その顔つきは、先ほどまでの迷える青年のものではない。
覚悟を決めた、一人の『戦士』の顔だった。
「俺の運は、俺自身のためじゃない。アンタが作った戦場を、仲間を護るために使います。……たとえ裏が出ようが、根性で剣を振って、アンタの背中を護る男になってみせますよ!」
「ははっ、いい面構えになったじゃないか。だが、裏が出たら大人しく寝てろよ、陣形が崩れるからな」
「ちょっ、そこは『頼むぞ』って言ってくださいよ!」
フェイトがツッコミを入れ、二人の間にくすくすとした笑い声が響いた。
「さて、夜風が冷えてきたな。もう戻れ。明日のパトロールのシフトは遅番にしておいてやる」
「あざっす! ……総司令!」
駆け出そうとしたフェイトが、振り返って敬礼をした。
「煙草、美味かったです! 一生ついていきます!」
「……調子のいい奴め」
フェイトの背中が見えなくなるまで見送り、坂上はもう一本、ハイライトに火をつけた。
(……これで、ようやく役者が揃ったな)
紫煙を夜空に吐き出しながら、坂上は静かに目を細める。
ヒロインたちの愛と、漢の誓い。五十歳の元海将の元に集った『ポポロ村愚連隊』の絆は、いかなる理不尽をも打ち砕く、真のパーティーへと完成の時を迎えていた。
読んでいただきありがとうございます。
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