EP 5
『インテリ貴族の流儀と、練馬の流儀』
サウナ施設の完成によって村全体の士気が最高潮に達し、かつてない結束力を見せていたポポロ村。
だが、平和な空気は、一台の豪奢な馬車が村の広場に乗り込んできたことで唐突に破られた。
「……やれやれ。土と獣の臭いが鼻をつく。辺境の緩衝地帯とはいえ、なんとも野蛮で不衛生な場所だ」
馬車から降り立ったのは、仕立ての良い純白のフロックコートに身を包み、片眼鏡を光らせた細身の男だった。
第一章で村を襲った徴税官・ゲラードのような脂ぎった武力馬鹿ではない。神経質そうに口元をハンカチで覆うその所作からは、冷酷で計算高い『インテリ』特有の嫌らしさが漂っていた。
「私はルナミス帝国特命監査官、エルロイ子爵である。この村の長であるウサギの娘を呼べ。急ぎの『通達』がある」
数名の護衛と書記官を従えたエルロイの登場に、村人たちは警戒の色を強めた。
*
役場の村長室。
執務机を挟んで、エルロイ子爵とキャルルが対峙していた。
その後方には、腕を組んで目を細める坂上真一と、険しい顔で控えるマンミア、そして壁に寄りかかって不機嫌そうに舌打ちをするフェイトがいる。
「単刀直入に言おう。先日、我が帝国の徴税官ゲラードが、この村の近郊で魔獣に襲われ命を落とした。我が国はこれを、ポポロ村の警備怠慢、あるいは意図的な暗殺であると重く見ている」
「言いがかりよ! あの豚が勝手に古代遺跡の封印を解いて、自滅しただけじゃない!」
キャルルが机を叩いて反論するが、エルロイは薄く笑ったまま、分厚い書類の束を机に投げ出した。
「真実などどうでもいいのだよ、小娘。帝国が『そう判断した』という事実だけが重要なのだ。よって、賠償としてこの村の自治権、特産品の専売権、およびドワーフとの取引ルートの全権を帝国が接収する。……この書類にサインしたまえ」
「ふざけないで! 緩衝地帯の不可侵条約を無視する気!?」
「不可侵条約?」
エルロイは、嘲るように鼻で笑った。
「それは『国家間』や『正当な自治体』に対して適用されるものだ。……さて、君の身元を調査させてもらったよ、キャルル・ムーンハート。いや、元レオンハート獣人王国の第三姫君、と言うべきかな?」
ビクッ、と。キャルルの肩が大きく跳ねた。
「自らの王族としての義務から逃げ出し、国を捨てた薄汚い野良ウサギ。お前は法的に言えば、どこの国にも属さない無国籍の『浮浪者』に過ぎない。そんな小娘が名乗る村長など、国際法上何の効力も持たないのだよ。お前が結んだ条約など、便所紙以下の価値しかない」
「っ……! 私は……っ」
言葉の刃が、キャルルの胸の最も柔らかいトラウマを容赦なく抉っていく。
王族の籠の鳥であることを嫌い、自由を求めて逃げ出した過去。それは彼女の『自助論』の源でもあったが、同時に「無責任な逃亡者」という消えない負い目でもあった。
「さあ、サインしろ野良ウサギ。逆らえば、帝国軍の一個師団がこの村を火の海にする。お前のようなはぐれ者のせいで、この村の無知な農民たちが皆殺しになるんだぞ? 責任を取れ」
ギリッ……と、キャルルが血が滲むほど唇を噛み締めた。
身体能力なら、目の前の男の首をマッハでへし折ることは造作もない。だが、自分が暴力を振るえば、それが村を滅ぼす大義名分になってしまう。
知力と権力による、完璧な盤面制圧。
理不尽な重圧の前に、キャルルの赤い瞳から、ポロポロと悔し涙が溢れ落ちそうになった。
その、瞬間だった。
「――マンミア、フェイト」
ずっと背後で沈黙を保っていた坂上真一が、静かに口を開いた。
「子爵殿の護衛たちを、外に案内して冷たいお茶でもご馳走してやれ。……少し、俺と子爵殿で『大人の事務手続き』をする」
「……はい。承知いたしました」
「オウ。外でコイントスでもして遊んでようぜ、お付きの兄ちゃんたちよォ」
マンミアとフェイトが、エルロイの護衛たちを半ば強引に(圧倒的な闘気で威圧しながら)部屋の外へと連れ出していく。
部屋には、キャルル、エルロイ、そして坂上の三人だけが残された。
「なんだね、君は。傭兵の分際で、この私の交渉に口を挟む気か? 虫ケラが」
エルロイが不快そうに片眼鏡を歪める。
坂上は、机の前に進み出ると、懐から黒くて四角い、消しゴムサイズの小さな機械を取り出し、机の上にコトリと置いた。
「俺の故郷にはな、『コンプライアンス』という厳しいルールがあってね。交渉の場では、必ず言質を取るようにしているんだ」
坂上が、その機械――【PX】で召喚した『高性能ICレコーダー』の再生ボタンを押した。
『――真実などどうでもいいのだよ、小娘。帝国がそう判断したという事実だけが重要なのだ』
『――自らの王族としての義務から逃げ出し、国を捨てた薄汚い野良ウサギ』
『――逆らえば、帝国軍の一個師団がこの村を火の海にする』
先ほどエルロイが吐き捨てた暴言と恐喝の数々が、一切のノイズもなく、完璧なクリア音声で部屋中に響き渡った。
「な、なんだその魔導具は!? 貴様、私の言葉を録音していたのか!」
エルロイの顔色が変わる。
「『孫子』は説いている。『百戦百勝は善の善なる者に非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』と」
坂上は、冷徹なイージス艦長の顔つきで、エルロイを見下ろした。
「いいか、インテリ気取りの三下。お前は今、絶対に踏んではならない二つの地雷を踏んだ」
坂上は指を一本立てる。
「一つ。キャルルを『野良ウサギ』と侮辱したことだ。……彼女が国を捨てた? だから何だ。親ってのはな、どれだけ不器用で反発する娘でも、他人にコケにされたら本気で殺しに行く生き物なんだよ。……この音声がレオンハートの獣王の耳に入れば、帝国は獣人族との全面戦争を覚悟することになるぞ。自分の愛娘を薄汚い野良ウサギと呼ばれて、黙っている父親がいると思うか?」
「ひっ……!」
坂上は、さらに二本目の指を立てる。
「二つ。ドワーフとの取引ルートの強奪を口にしたことだ。ドンガン地下帝国の長老たちは、義理と面子を何より重んじる。この村への恐喝の音声が彼らに渡れば、ドワーフは激怒し、帝国への魔導金属の輸出を完全にストップするだろう。……帝国の経済と軍備は、三日で完全に麻痺する」
エルロイの顔から、完全に血の気が引いた。
法律の抜け穴を突いて小さな村を脅すつもりが、気づけば「大国同士の全面戦争」と「帝国の経済崩壊」という、国家存亡のトリガーを引かされていたのだ。
この録音機一つで、エルロイは『帝国の国益を損なった大罪人』として、一族もろとも処刑台に送られることが確定してしまう。
「ば、馬鹿な……! そんな脅しに屈する私では……っ!」
エルロイが、ガタガタと震えながら強がろうとした、その時。
ゴッ……!!
村長室の空気が、急激に重く、冷たくなった。
坂上真一の背中から立ち昇る、濃密で絶対的な『殺気』。暴走族の総長として練馬の夜を支配し、海将として国家の命運を背負ってきた男の、本物の『仁王の覇気』が、エルロイの全身を押し潰した。
「俺は脅しなんかじゃ動かん。完璧な『準備』をしてから、確実に息の根を止めるんだよ」
坂上は、氷のように冷たい声で、広島弁を交えて静かに言い放った。
「インテリぶって法律を振りかざすのは勝手じゃがな……。俺の家族を泣かせた落とし前は、きっちりつけてもらうぞ。……この場でこの非合法な書類を破り捨てて二度と村に近づかないか、それとも、この音声を世界中にバラ撒かれて一族もろとも破滅するか。三秒で選べ」
「ひぃぃぃぃぃぃッ!!」
極限の恐怖に精神を完全に破壊されたエルロイは、白目を剥き、自身の持ち込んだ接収書類をビリビリと狂ったように破り捨てた。
「わ、私が悪かった! 許してくれぇ! 二度と、二度とこの村には近づかないぃぃぃッ!」
失禁しながら土下座を繰り返し、エルロイは逃げるように村長室から転がり出ていった。外で待機していた護衛たちも、主人の発狂ぶりに慌てふためき、馬車に飛び乗って村から逃げ去っていく。
完全なる、悪知恵と気迫による盤面制圧(無血勝利)。
「……ふぅ。やれやれ、録音のスイッチを入れっぱなしで助かった」
坂上はICレコーダーの録音を停止し、大きく息を吐き出した。そして、青い箱からハイライトを取り出し、銀のライターで火をつけようとした。
「サカガミィィィィィィッ!!」
ドスッ!!
猛烈な勢いで、キャルルが坂上の胸に飛び込んできた。
タバコを落としそうになりながら、坂上は彼女を抱き留める。
「おっと。どうした、まだ怖いか?」
「違う! 違ぅっ……! うぅっ、ぐすっ……!」
キャルルは、坂上の胸に顔を埋め、大粒の涙をポロポロと流しながら、彼のワイシャツをギュッと力強く握りしめた。
今まで、王族の威光や武力ではなく、彼女の『存在そのもの』を肯定し、彼女のために本気で怒ってくれた大人など、一人もいなかった。
『俺の家族を泣かせた落とし前』。
その言葉が、キャルルの心の奥底にあった孤独を、完璧に満たし、そして溶かしてしまったのだ。
「サカガミ、サカガミ……っ! 私のために怒ってくれた! 私のこと、家族だって言ってくれた……っ!」
「当たり前だ。お前はこの村の立派な村長で、俺の可愛い娘みたいなもんだからな。……よく泣かずに耐えた。偉かったぞ」
坂上が大きな手で銀色の髪を優しく撫でると、キャルルの目からさらに涙が溢れ出した。
だが、その涙は悲しみのそれではなかった。
(あぁ……もう、ダメ。私、この人なしじゃ生きていけない。……サカガミの匂い、サカガミの温度。私だけのものにしたい。誰にも渡したくない……っ!)
キャルルの赤い瞳の奥で、ヤンデレ特有の重く暗い愛情が、ついに『絶対的な崇拝』の域へと限界突破を果たした瞬間だった。
「ねえ、サカガミ……。私、サカガミのためなら世界中を敵に回してもいい。……だから、一生私のそばにいてね? もし逃げたら、マッハで追いかけて足の骨折ってでも監禁するからね……フフッ」
「……冗談でも怖いからやめなさい」
頬をすりすりしながら恐ろしい愛の告白をするキャルルに、坂上は苦笑しながらため息をついた。
小悪党の知略を、さらに上をいく現代の悪知恵で完封した五十歳。
ポポロ村の鉄の結束は、外部からの理不尽な精神攻撃を跳ね返し、より一層強固なもの(と、重すぎる愛情)へと進化していくのであった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




