EP 15
『宴のち、新たな火種』
機装狂竜という古代の厄災がただの鉄くずへと変わり、ポポロ村に再び平穏な夜が訪れた。
村の中心にある温泉宿『極楽おでん庵』の広間は、今夜ばかりは中立の法も忘れ、村人や自警団、駐留兵たちが入り乱れての盛大な祝勝会場と化していた。
「さあ、遠慮せずに食いんさい。出汁はたっぷり染み込んどるぞ」
厨房のカウンターに立ち、割烹着姿で巨大な鍋をかき混ぜているのは、本作戦の最高司令官にして、この村の実質的な大黒柱――坂上真一(五十歳)である。
鍋の中でグツグツと煮込まれているのは、地球の鰹と昆布の合わせ出汁(【PX】で調達)と、ポポロ村特産の『月見大根』やファングボアのすじ肉を融合させた、坂上特製の『煮込みおでん』だ。
満月のように丸い月見大根は、琥珀色の出汁を限界まで吸い込み、箸を入れただけでホロリと崩れるほど柔らかく煮上がっている。
「んんん~~~っ! 美味しいぃぃぃっ!」
真っ先にカウンター陣取り、特等席でおでんを頬張っているのは、村長であるキャルルだ。
彼女は赤ジャージの袖をまくり上げ、和辛子を少しつけた大根を口に入れるなり、ウサギの耳を幸せそうにパタパタと揺らした。
「サカガミのおでん、最高! カレーも美味しかったけど、この優しい味……いくらでも食べられちゃうわ! ねえ、私の一生分のご飯、ずっとサカガミが作ってよ。……っていうか、作らないと許さないからね?」
無邪気な笑顔の裏に、確かなヤンデレ特有の重たい執着を滲ませながら、キャルルは坂上の左腕の袖をギュッと握りしめた。彼女の赤い瞳は、「もし断ったらどうなるか分かってるよね?」とでも言いたげに、トロンと熱を帯びている。
「ははっ。善処しよう。だが、俺よりお前の方が先に料理を覚えるべきかもしれんぞ、村長さん」
坂上は大人の余裕で彼女の重すぎる愛情をいなしつつ、空いた手で『イモッカ(芋焼酎とウォッカの合いの子のような大衆酒)』の瓶を傾け、氷を入れたグラスに注いだ。度数四十度の強い酒だが、極限の緊張を解きほぐすにはちょうどいい。
グラスを煽り、深く息を吐き出す。
(……部下たちに死者を出さず、美味い飯と酒を食わせる。指揮官として、これ以上の夜はないな)
『論語』が説く仁義と、『失敗の本質』が説く兵站の重要性。それらを完璧に遂行し、坂上は五十歳の大人としての責任を果たした。
そんな充足感に浸っていた時だった。
「……あの、坂上様」
カツッ、カツッ。
控えめな蹄の音を響かせながら、生真面目なケンタウロスの騎士、マンミアがカウンターへと近づいてきた。
いつもは隙のない武装姿の彼女だが、今夜はラフなシャツ姿で、顔はイモッカの酔いと別の何かで茹でダコのように真っ赤に染まっている。
その大きな手には、半分ほど空になったグラスが握られていた。
「どうした、マンミア。おでんの追加か? 太陽芋の煮っ転がしもあるぞ」
「い、いえっ。食事はもう、十二分にいただきました。……その、お話ししたいことがありまして」
マンミアは、チラリとキャルルの方を見た。キャルルは「むっ」と警戒心を露わにして坂上の袖を強く引いたが、マンミアは意を決したように、坂上を真っ直ぐに見つめた。
「今日……坂上様は、私の張った『メビウス』の陣を、最高の舞台だと言ってくださいました」
「ああ。お前が竜の四肢を完璧にロックしたからこそ、俺の刀が届いたんだ。立派な働きだった」
「……私、ずっと悩んでいたんです」
マンミアは、潤んだ瞳を伏せた。
「二十五歳にもなって、殿方の手を握ったこともない、可愛げのない女だと。……ケンタウロス種にとって、背中に人を乗せるということは、一生を共にする『伴侶』を決めるのと同じ意味を持ちます。私は、この背中を預けられるほど尊敬できる方に、生涯出会えないのではないかと……半額のケーキを見ながら、絶望していました」
彼女の栗毛の尻尾が、不安げに左右に揺れる。
だが、再び顔を上げた彼女の瞳には、かつてないほどの強い光が宿っていた。
激しい戦場の中、炎を恐れず、自分たちの作った道を信じて歩を進めた、あの広くて頼もしい背中。
彼女の『若きウェルテルの悩み』のようなこじらせた乙女心が、今、一つの確固たる答えへと辿り着いていた。
「坂上、様……っ」
マンミアは、勇気を振り絞り、限界まで顔を赤くして、震える声で紡いだ。
「私……まだ、誰も背に乗せたことがありません。だから、その……もし、貴方がよろしければ……」
息を呑むような静寂が、カウンターの周囲にだけ落ちた。
「私……私の背中に、乗りますか……っ?」
決定的な、プロポーズにも等しいその一言。
横で聞いていたキャルルの耳がピンと逆立ち、「なっ……抜け駆け!? ちょっとマンミア、あんた何言って――」と食って掛かろうとした、その瞬間だった。
『ピピピッ! ピピピッ! ピピピッ!』
甘い余韻と修羅場の予感を容赦なく切り裂くように、坂上の懐の【戦術情報端末】が、鼓膜を劈く警告音を鳴らした。
「……っ!」
坂上の顔から、面倒見の良い近所のおじさんの顔が消え去った。
即座にタブレットを引き抜き、空中にホログラムスクリーンを展開する。
「サカガミ!? な、何事!?」
「坂上様、まさか機装狂竜の残骸が……!?」
「いや。古代の鉄くずより、ずっとタチの悪い連中だ」
スクリーンに映し出されたのは、ポポロ村の南方――ルナミス帝国との国境付近に現れた、無数の赤い光点だった。その数は、百や二百ではない。数千という単位で、整然と陣形を組みながら村へと迫りつつある。
坂上の目が、その部隊の『識別信号』を冷徹に読み取った。
「……ルナミス帝国、正規軍」
「せ、正規軍ですって!? バカな……! ここは緩衝地帯ですよ! 帝国の本隊が進軍してくるなど、大国間の条約違反――」
「連中には『大義名分』ができたのさ」
坂上は、テーブルに広げた地図を睨みながら、事態の裏側を即座に看破した。
「ゲラードとかいう三下の徴税官が、古代遺跡の怪物を暴走させて死んだ。連中の上層部は、これを『ポポロ村のテロリストによる帝国の役人暗殺、および魔獣使役による国境侵犯』とでっち上げたんだろう。……自国の役人が殺されたとなれば、治安維持を名目に軍を動かす口実になる。村の利権とドワーフの技術、その両方を総取りにするための、見え透いた強硬策だ」
なんという理不尽。
せっかく村人たちが協力し、巨大な厄災から村を護り抜いたというのに、その英雄的行動すらも、大国にとっては村を侵略するための『駒』に過ぎないというのか。
「ふざけるな……ッ! あんなにみんなで頑張ったのに!」
キャルルがギリッと歯を食いしばり、瞳に怒りの紅蓮を宿した。
「坂上様……! どうしますか! 相手は国家の正規軍……一国の軍隊です! いかにポポロ・ディフェンス・グリッドがあろうと、物量で押し潰されます!」
マンミアの生真面目な顔に、かつてない悲壮感が浮かぶ。
先ほどの甘い雰囲気は完全に吹き飛び、極限の死地へと引き戻された二人の少女。
だが。
ただ一人、坂上真一だけは、焦ることも、怒りに震えることもなかった。
彼はゆっくりと割烹着の紐を解き、それをカウンターに置いた。そして、傍らのハンガーから黒いタクティカル・コートを手に取り、バサリと羽織る。
懐から、青いパッケージのタバコ――『ハイライト』を一本抜き出し、唇に咥えた。
カチャリ、と。
使い込まれた銀のオイルライターが、小気味良い音を立てて火を灯す。
深く吸い込み、紫煙を天井へと吐き出す。その横顔は、イージス艦の艦橋で数え切れないほどの修羅場をくぐり抜けてきた、生粋の『軍人』のそれだった。
「……マンミア、キャルル。良い村には、美味い飯と酒、そして可愛い女がいる。そこを土足で踏み荒らそうって連中は……大人のルールってもんを、骨の髄まで教えてやらんといかんな」
五十歳の元海将は、不敵な笑みを浮かべ、自身のルーツである広島の言葉を静かに紡いだ。
「さて、残業じゃ」
国家という理不尽な巨悪を前にしても、己の生き様を絶対に曲げない男の、威風堂々たる立ち姿。
ポポロ村の夜明けはまだ遠い。だが、彼女たちの心には、絶対的な安心感と勝利への確信が燃え上がっていた。
大人の悪知恵と現代兵器が異世界を無双する、坂上真一の戦いは、ここからが本番である。
読んでいただきありがとうございます。
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