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EP 10

聖夜の半額ケーキと、特注のショートケーキ

 ポポロ村に、本格的な冬が到来していた。

 分厚い雪雲が空を覆い、白い結晶が静かに村を包み込んでいく。しかし、ドワーフの技術と坂上の現代知識によって要塞化されたこの村には、魔導による地域暖房システムが張り巡らされており、村人たちは厳しい寒さに凍えることなく、穏やかな日々を過ごしていた。

 十二月二十五日。

 アナステシア世界における『聖星祭せいせいさい』――地球でいうところのクリスマスに相当する、家族や恋人と星の瞬きを祝う特別な夜である。

 カオスな文化が入り混じるポポロ村の広場には、色とりどりの魔導ランプで飾られた巨大なモミの木がそびえ立ち、出店が立ち並んで賑わいを見せていた。

 そんな華やかな喧騒から少し離れた場所。

 青と白の縞模様の看板を掲げた村の万屋よろずや――通称『タローソン』の軒先で、生真面目なケンタウロスの騎士マンミアは、一人、深いため息をついていた。

「はぁ……」

 彼女の視線の先にあるのは、タローソンの店先に並べられた木箱。

 そこには、売れ残ったホールケーキがいくつか置かれており、その上に容赦なく『半額』と書かれた赤い札が貼られていた。

 聖星祭の夜、恋人たちのイベントがピークを過ぎた後に投げ売りされる、半額のケーキ。それは、この世界において『婚期を逃した女性』を揶揄する、残酷な暗喩メタファーでもあった。

「二十五歳の、半額ケーキ……。まるで、今の私のようですね……」

 マンミアは栗毛の耳をぺたんと伏せ、寂しげに呟いた。

 村は強固な要塞となり、防衛の重圧からは解放された。坂上という圧倒的な存在のおかげで、村人たちの笑顔も増えた。

 だが、平和になればなるほど、周囲の同年代の娘たちが恋人と腕を組んで歩く姿が目につき、自身の「行き遅れ」というコンプレックスが鋭く胸を刺すのだ。

(坂上様は『焦る必要はない』と仰ってくださったけれど……やはり、私は戦うことしか能のない、可愛げのない女なのでしょうか……)

 冷たい雪が、彼女の肩に降り積もる。

 タローソンの店主が気まずそうに目を逸らす中、マンミアは半額のケーキを一つ購入し、重い足取りで坂上とキャルルが待つ役場へと向かった。

 せめて、このケーキを三人で食べて、聖なる夜を静かにやり過ごそう。そう自分に言い聞かせながら。

     *

 一方、その頃。

 役場の奥にある共同調理場は、さながら『戦場』と化していた。

「キャルル! スポンジの焼き上がりまであと十秒だ! オーブンの魔力出力を切れ!」

「了解よ、サカガミ! ……ふんすっ!」

「よし! 次は生クリームのホイップだ。ボウルを氷水で冷やしながら、俺が指定した秒数だけ正確に攪拌かくはんしろ。洋菓子作りは科学だ、一秒の狂いも許されんぞ!」

「もう、軍隊みたいで厳しいんだからぁ! でもサカガミとの共同作業、すんごい楽しい……っ!」

 黒いエプロン姿の坂上が、軍事作戦さながらの鋭い眼光で指示を飛ばし、赤ジャージ姿のキャルルが嬉々としてそれに従っている。

 調理台の上に並んでいるのは、ポポロ村の食材ではない。

 坂上が【PX】のポイントを惜しみなく注ぎ込み、地球から取り寄せた『最高級の薄力粉』『北海道産純生クリーム』、そして宝石のように輝く『あまおう(苺)』である。

「……サカガミ。これ、本当にマンミアのためだけに作ってるの?」

 生クリームを泡立てながら、キャルルが少しだけ唇を尖らせて上目遣いになった。彼女のウサギの耳が、不満げにパタパタと動いている。

 彼女の異常な独占欲ヤンデレは、坂上が他の女のために労力を使うことを本能的に嫌がっていた。

「やきもちを焼くな、村長さん」

 坂上は苦笑しながら、ホイップクリームのついた指先で、キャルルの鼻の頭をチョンと突いた。

「あいつは、お前と同じで不器用だ。村のために泥を被り続けて、自分の幸せを後回しにしてきた。そういう真面目な奴が、聖なる夜に自分の年齢を気にして、タローソンの前で半額ケーキを見て泣きそうな顔をしている。……大人の男として、そんな哀しい背中を見過ごせるわけがないだろう?」

「……っ。もう、サカガミは本当に、そういうとこ……ずるいんだから」

 鼻についたクリームをペロリと舐め取りながら、キャルルは顔を真っ赤にして俯いた。

 彼が誰にでも優しいわけではないことを、彼女は知っている。彼が優しさを向けるのは、不器用でも必死に生きようとする「家族」だけだ。

 マンミアも、彼にとっては護るべき家族なのだ。そう理解すると、キャルルの胸の奥にあった黒い独占欲は、不思議と温かいものへと変わっていった。

「よし、クリームのツノが立ったな。デコレーションの最終フェーズに移行するぞ」

 坂上はパレットナイフを手に取ると、熟練の左官職人のような、いや、精密機械のような手つきでスポンジにクリームを塗り広げ、真っ赤な苺を芸術的な配置で並べていった。

     *

 ガチャリ。

 役場の扉が開き、雪を払ってマンミアが中に入ってきた。

 手には、タローソンで買った『半額』のシールが貼られた小さなケーキ箱が提げられている。

「……坂上様、村長。戻りました。あの、少し遅くなってしまいましたが、ケーキを――」

 言いかけたマンミアの言葉は、途中でピタリと止まった。

 村長室の照明が落とされ、暖炉の柔らかい火影だけが揺れている。

 そして、部屋の中央のテーブルには、見たこともないほど白く輝く巨大なケーキが置かれ、その頂点では、甘い香りを放つ真っ赤な果実が宝石のように輝いていた。

「遅かったな、マンミア殿。待ちくたびれたぞ」

 暗がりの中から、坂上が静かに歩み寄ってきた。

 手には、いつものようにハイライトではなく、シャンパンの入ったグラスが握られている。その後ろでは、キャルルが「はやく食べようよー」と、よだれを拭いながら待ち構えていた。

「こ、これは……一体……?」

「聖星祭の特注ケーキだ。俺の故郷の『苺のショートケーキ』という。お前がタローソンの前で、しょぼくれた顔をしているという斥候(村人)からの報告があってな。急遽、最高司令官の権限で作戦を発動した」

 坂上は、マンミアの手にあった半額ケーキの箱をそっと受け取ると、代わりに温かい紅茶の入ったカップを握らせた。

「あのな、マンミアさん」

 坂上は、普段の威厳ある声から、父親のような柔らかい広島弁へと口調を変えた。

「二十五歳なんて、地球じゃあまだまだ遊び盛りの小娘じゃ。行き遅れだの、半額だの、くだらん数字に縛られて自分を安売りするんじゃない。お前は、誰よりも気高く、美しい自慢の騎士むすめだ。……だから今日は、この甘いケーキを食って、思い切り笑いんさい」

 その言葉が、マンミアの胸の奥底で凍りついていたコンプレックスを、春の陽光のように溶かしていった。

 自分は、孤独ではなかった。

 こんなにも温かく、不器用な自分を全肯定してくれる、大きな背中を持つ人がいる。生意気だけど頼りになる、妹のような村長もいる。

「……っ、うぅ……っ」

 マンミアの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 それは悲しみの涙ではない。自身の存在が許され、深く愛されていることへの、圧倒的な安心感からくる涙だった。

「もー、泣かないの。せっかくのケーキがしょっぱくなっちゃうでしょ。ほら、サカガミの傑作なんだから、早く食べよ!」

「は、はい……っ! いただきます、坂上様、村長……っ!」

 キャルルに促され、マンミアは涙を拭い、大きく切り分けられたショートケーキを一口頬張った。

 途端に、雪のように軽い純生クリームの甘さと、あまおうの鮮烈な酸味が口の中で爆発し、彼女の栗毛の尻尾が狂ったように左右に揺れ始めた。

「お、おいひぃです……っ! なんですかこれ、雲を食べているみたい……っ!」

「だろ!? サカガミ、私にももっと大きいの切って! 苺二個のせて!」

「こらこら、慌てるな。配給は平等だ」

 暖炉の火が爆ぜる音と、二人の少女の無邪気な笑い声が、部屋の中に響き渡る。

 坂上は、その光景を満足げに見つめながら、一人静かに役場のベランダへと出た。

 冷たい夜風が火照った顔を撫でる。

 ハイライトを取り出し、銀のオイルライターで火をつける。紫煙が雪空へと吸い込まれていく。

(……悪くない聖夜だ。だが、静かすぎるな)

 長年の軍隊生活で培われた『第六感』が、坂上の脳裏で警鐘を鳴らしていた。

 平和の絶頂は、常に破滅の予兆である。

 ポポロ村の北、深い森の奥にある古代遺跡の方向。そこから、ただならぬ瘴気が微かに漏れ出し始めていることに、坂上の「観の目」は既に気づいていた。

「……年越し前に、もう一仕事ありそうだな」

 五十歳の元海将は、静かに紫煙を吐き出しながら、迫り来る理不尽な暴力に向けて、冷徹にその牙を研ぎ始めていた。

読んでいただきありがとうございます。

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