(1)
レイヤに拒絶されたサルナは埋まっていた壁から弾き出されていた。
光を失い空洞となった民族仮面の眼。叫び終わったむき出しの歯。硬度を取り戻した喫茶店にウェイターは戻ってこない。
伸張を途中で止めた照明のコード。下がった蛍光灯がかろうじてジジッ、ジジッと音を点てながら辺りを照らす。
なにやら遠いところから気体の噴出する音がする。
「や・ば・い」
トルクとサルナは目を見合わせると急いで外に転がり出た。
手を取りながら全速力でアーケードから路地を一つ曲がると呼吸を整えるまもなく爆音が響き渡った。
硝子の震える音、割れて飛び散る音。遅れて風が吹き抜けて筒状のアーケードを揺らす音。
「ふう。やってくれるわね」大きなため息を漏らすサルナ。
「でも何とかなったな」
「お金払わなくてよかったかしら」
「お金を払いたくても、払う相手がいないんじゃしょうがない」
「この服どうにかならないのかしら。ほんっと動きづらいわ。いくら長官の指示だからって露出ばっかり多くて。重要任務にはエキセントリックな衣装が良いって言うもんだから。つい」
胸ばかりをしきりに気にするサルナだった。死線を一本越えたばかりだというのに。
「まあ一部のマニアには需要はあるぜ」
フォローしたつもりのトルクだがフォローになっていない。
「マニア?・・・それって何マニア?」サルナは急にシラフに戻ったような冷ややかな顔をした。
「こりゃ大変だな。無銭飲食だ。走って逃げるか」
気にしない振りで目と話をそらすトルク。
「そうでもないみたいよ」
今度は本当に冷静さを取り戻してサルナが小さなビルの屋上に視線をやる。
「なぜ銃を持っている。おかげで死にかけたぞ」
地の底から喋る低さで屋上の男が話す。小さな声だが何かを投げられたかのように鮮明に地上に届いた。
サルナは鳥肌が手から足の方へ伝わっていくのを感じる。
「ここまで集金に来そうな勢いだな。よく見えないけど人相も悪そうな感じだ」
「ん-よく見えないわね」目を細めるサルナ。
大きな月を背景に大男がビルの屋上に立っていた。おまけに頭にはヘラ鹿のような幅広の角を生やしている。
つま先から角の先まで3mを優に越えているだろうか。
ビルは5階ほどの高さがありそうだ。その大男は屋上から飛び降りアスファルトに着地した。
舗装の砕ける音が響き渡り、亀裂が走る。
「生物の限界超えてやがる」
そしてこちらに突進してくる。腰を若干落し、熊のような長い両腕を広げ、恐ろしい速さで。
その顔は目を血走らせた鹿の顔をしていた。体は薄金色の体毛を生やしている。
サルナが銃を両手に構えて撃つが左右にかわす。
サルナが狙いを絞って引き付けて撃とうとした瞬間、そのことを察したのか野鹿のジャンプ力で飲食店の塀を乗り越えその気配が途絶えた。
「なにあれ、完全にリミッター外しのルール違反ね」
トルクとサルナは路駐トラックを背に顔を見合わせた。
「ルール?・・・どんなスポーツだよ」
「ごめん、今のは聞かなかったことにして。でっ、どうする。まだ来るわよ」サルナは自分の口走った言葉にヒヤリとした。
「エルメルだ。三千世界の殺人マニアさ。自分自身を原始データに置き換えレイヤに寄生するタイプの」
「名前は聞いたことがあるわ。でも全身毛が生えてて角まであるなんて聞いてないわね」
サルナは何故か心躍っているように見えるのは気のせいか。何か解った気がする。そうだ、こんなときにアドレナリンが出るような人じゃなきゃ内務省捜査官は務まらないってことか。
それともサルナが特殊なのか。
しばしの沈黙が月明かりに照らされた辺りを支配する。
だがそれもつかの間。




