第8話 二人で初めての冒険者依頼
【冒険者の少年ガイア十六歳視点】
大通りのにぎわいから薄暗い裏路地へ足を踏み入れると、酸っぱい安酒と汗、それから錆びた鉄の匂いが鼻をついた。
男たちの下品な笑い声が響く『冒険者&傭兵ギルド』の重い扉。その前に立っているのは、今日は僕一人じゃない。
「緊張する……」
「大丈夫だって。ただの仕事探しだよ」
「でも、みんなこっち見てる気がするし……。あたしなんかが、本当に冒険者としてやっていけるのかな」
「気のせい、気のせい。僕なんていつも子供扱いされて笑われてるからね」
少し後ろにいるリリアは、真新しい革のブーツを履き、胸の前で両手をぎゅっと握っていた。
「それに、もうちゃんと登録証を持ってるんだから大丈夫だよ」
「う、うん……」
昨日、城壁の裏で初めて魔法を使ったあと、僕たちはそのままギルドへ向かった。
リリアはそこで冒険者登録を済ませ、今ではちゃんと自分の登録証を持っている。
植物を元気にする珍しい魔法を見せたところ、例の赤い髪の受付のお姉さんには、
「あんたみたいな常識外れの坊やより、よっぽどギルドの役に立ちそうね!」
なんて言われた。
なんか納得いかない。
「ほら、行くよ」
「うん!」
僕は重い扉を押し開けた。
ムワッとした熱気が顔へぶつかる。酒と煙草と汗の匂いに混じって、木のジョッキがぶつかる音や、冒険者たちの大きな笑い声が飛び込んできた。
僕たちが入ると、何人かの男がちらりとこちらを見る。
僕はいつものことなので気にしない。
リリアは僕の服の裾をちょっとつかんだ。
「ガイアくん。やっぱり見られてる」
「新人だからだよ。すぐ慣れるって」
「ほんと?」
「僕なんて物干し竿を持ってるだけで笑われるよ」
「それは笑われると思う」
「ひどいな」
僕たちはざわめくホールを抜け、壁一面に依頼書が貼られた掲示板の前へ向かった。
ゴブリン討伐。
商人の護衛。
毒沼の調査。
行方不明になった冒険者の捜索。
報酬が高い仕事ほど、書いてある内容も物騒になっていく。
「これは駄目。これも駄目。これなんて絶対駄目」
「ガイアくん、さっきから駄目しか言ってないよ?」
「初仕事なんだから安全第一」
昨日、冒険者になると言い出したリリアをあれだけ止めたのだ。
登録した途端に魔物討伐へ連れていったら、何のために反対したのか分からない。
もっと平和で。
死ぬ危険がなくて。
できれば昼飯代も稼げる仕事。
「あ」
一枚の依頼書が目に留まった。
「これなんてどう?」
「どれどれ……」
リリアが僕の横から羊皮紙をのぞき込む。
「『街外れの農家にて、魔物に荒らされた畑の修繕と農作業の手伝い』……」
「これなら魔物とは戦わないよ」
「畑仕事! あたし、お母さんの手伝いで少しやったことある!」
「じゃあ決まりだね」
依頼書を外して受付へ持っていく。
そこには今日も、赤い髪のお姉さんがいた。
「あら、ガイア。それとリリアだったわね」
「はい!」
「今日は二人で仕事を探しに来たよ」
「まさか、いきなり魔物討伐じゃないでしょうね?」
疑いの目を向けられた。
「違うって。これ」
「どれどれ……」
お姉さんが依頼書を見る。
そして、明らかにホッとした顔になった。
「畑仕事」
「畑仕事」
「よかった……。登録した翌日に二人で森へ特攻するんじゃないかとヒヤヒヤしたわ」
「僕たちをなんだと思ってるの?」
「特にあなたが言わないで」
「なんで!?」
お姉さんは僕を無視して依頼書を確認した。
「依頼主は南門を出た先の農家。柵の修理と畑の手入れね。報酬は二人合わせて銅貨八枚」
「八枚!」
「食いつくところ、そこなのね……」
当然だ。
銅貨八枚あれば、仕事が終わったあとに美味しいものを食べられる。
「じゃあ行こう、リリア!」
「うんっ!」
「二人とも、気をつけてね」
「はーい!」
僕たちは初めての二人仕事へ向けて、意気揚々とギルドを飛び出した。
◇◆◇
クーデを囲む巨大な白骨の城壁を抜けると、その先にはのどかな田園風景が広がっていた。
畑の土は普通よりも赤黒い。大地の奥深くに眠る神の血や肉が、長い年月をかけて混じり込んでいるからだ。
それでも、陽射しを浴びた作物は青々と育っている。冷たい冬の風が吹くたび、葉がサラサラと心地よい音を立てて揺れた。
「ガイアくん、あそこじゃない?」
「たぶんそうだね」
畑の一角だけ、ひどい有様になっていた。
木の柵は真ん中から折れ、土には大きな足跡がいくつも残っている。踏み荒らされた作物は泥まみれになり、あちこちの茎が折れていた。
その前で、一人の男が腕を組み、深いため息をついている。
「こんにちは! ギルドから来ました!」
「おお、来てくれたか!」
依頼主のゴズさんは、僕たちを見るとホッとした顔になった。
「いやあ、助かったよ。昨日の夜、はぐれの魔猪が柵をぶち破って入ってきやがってね。見ての通りさ」
「ずいぶん派手にやられてますね」
「柵は直せばいいんだが、畑の方はなあ……」
ゴズさんが踏み荒らされた作物を見る。
「せっかくここまで育ったんだが、あれじゃ枯れるのを待つしかねえ」
リリアも畑を見つめた。
僕たちは顔を見合わせる。
どうやら同じことを考えたらしい。
「じゃあ、僕は柵を直すよ。リリアは畑をお願い」
「うん。やってみる!」
僕は肩に担いでいた物干し竿を地面へ置き、腕まくりをした。
「……兄ちゃん」
「はい?」
「その棒は?」
「武器です」
「……そうか」
なんだ、その顔。
まずは折れた柵を取り外し、新しい丸太を運ぶ。
赤黒い土は湿って重い。丸太も僕の身体よりずっと太かったが、胸の奥で微睡む神の心臓を意識すると、身体の奥からじわりと力が湧いてくる。
トクン。
「よいしょっ!」
丸太を持ち上げ、掘った穴へ立てる。
一本。
二本。
冷たい風の中だというのに、しばらく作業を続けていると、額へ汗がにじんできた。
一方、リリアは荒らされた畑の真ん中に立っていた。
魔猪に踏まれ、折れ曲がった茎。泥まみれになった葉。
リリアは一本の作物の前へしゃがみ込み、そっと手を添えた。
「まだ生きてるよね……」
目を閉じる。
胸の前で両手を開く。
「お願い……元気になって……!」
ポワン。
気の抜けたような音とともに、緑色の光が生まれた。
昨日と同じ、丸く柔らかな光。
土と青臭い草の匂いに混じって、焼きたてのパンを割ったときのような甘く香ばしい匂いが広がっていく。
「おお……?」
ゴズさんが目を丸くした。
緑色の光はリリアの手から離れ、ゆっくり畑へ降りていく。
そこだけ春の陽だまりみたいに空気が暖かくなった。
そして。
「あっ!」
折れていた茎が、ゆっくりと起き上がった。
泥に沈んでいた葉も光を浴びるにつれて青々とした色を取り戻し、しおれていた作物が次々と元気になっていく。
一株。
また一株。
緑色の光が広がったところから、踏み荒らされていた畑が少しずつ生気を取り戻していった。
「すげえ……!」
ゴズさんが声を上げる。
「嬢ちゃん、魔法使いだったのか! こんな魔法、初めて見たぞ!」
「えへへ……まだ昨日使えるようになったばっかりです」
「昨日!?」
その反応、分かる。
僕も昨日、同じような顔をした。
リリアは少し照れながら、それでも嬉しそうに次の作物へ手を伸ばした。
「もうちょっとだけ……」
緑色の光が、ふわりと揺れる。
完全に踏み潰された実や、千切れてしまった茎までは元に戻らない。
それでも、もう駄目だと思われていた作物の多くが葉を広げ、冷たい風の中で再び力強く揺れ始めた。
「これなら助かる……! 全部駄目になると思ってたんだ」
ゴズさんの顔がほころぶ。
「ありがとうよ、嬢ちゃん!」
「いえ……えへへ。お役に立ててよかったです」
リリアも嬉しそうに笑った。
僕は新しい柵へ最後の縄を結びながら、その様子を眺めていた。
昨日、リリアは自分の魔法を見て落ち込んでいた。
矢じゃない。
魔物を倒せない。
格好よくない。
でも今は、その魔法で一人の人が笑っている。
(こっちの方が、リリアらしいよな)
僕も自然と笑っていた。
空を見上げる。
突き抜けるような青空を、鮮やかな色の飛行船がゆっくりと横切っていく。
僕たちが立っている大地の底には、太古に殺された神の骸が眠っている。
世界では今も、その骨や血や肉を巡って争いが続いている。
それでも、ここにあるのはただの畑だ。
土を耕す人がいて。
作物が育って。
それを見て誰かが笑う。
そんな小さな日常も、この世界にはちゃんと残っている。
◇◆◇
夕暮れ時。
西の空が淡いオレンジ色へ染まり、巨大な白骨のアーチが石畳へ長い影を落としていた。
仕事を終えた僕たちは、クーデの広場へ戻ってきた。
白いベンチへ腰を下ろし、僕は報酬の入った革袋を開く。
「それでは、本日の成果を発表します」
「はい!」
手のひらへ銅貨を並べる。
一枚。
二枚。
全部で八枚。
「報酬、銅貨八枚!」
「すごい!」
「今日は肉食えるぞ!」
「やったぁ!」
二人で顔を見合わせて笑った。
世界を救ったわけじゃない。
恐ろしいドラゴンを倒したわけでもない。
柵を直して、畑を手伝っただけ。
それでも、これは僕たち二人で初めて稼いだ報酬だ。
リリアは手のひらへ置いた銅貨を一枚、嬉しそうに眺めていた。
「あたし、今日すごく楽しかった」
「畑仕事が?」
「それもあるけど……誰かの役に立てたこと」
リリアは銅貨をぎゅっと握った。
「あたしの魔法でも、ちゃんと誰かを助けられるんだね」
「言っただろ。魔物を倒すだけが冒険者じゃないって」
「うん」
昨日まで、攻撃魔法じゃないことを気にしていた顔とは少し違って見えた。
「でも、青い矢はまだ諦めてないからね」
「まだ言ってるの!?」
リリアが楽しそうに笑う。
そのとき。
グゥゥゥゥ。
僕の腹が盛大に鳴った。
「…………」
「…………」
屋台の方から、焼けた肉と香辛料の匂いが風に乗って流れてくる。
僕は銅貨を握りしめ、勢いよく立ち上がった。
「よし! 稼いだお金は、さっさと美味いものに変えよう!」
「賛成!」
「魔物肉の串焼き、おごってやるよ!」
「やったぁ! あたし、一番大きいの食べたい!」
「えっ、一番大きいの!?」
「おごってくれるんでしょう?」
「……言った」
しまった。
銅貨八枚が、一気に心細く見えてきた。
リリアはそんな僕を見て笑いながら、屋台の方へ歩き出す。
「早く、ガイアくん!」
「待ってよ! 一番大きいのは値段を見てからね!」
夕焼けに染まる石畳を、僕たちは並んで駆けていった。
神の骸でできた巨大な世界で始まった、僕たち二人の最初の冒険。
その報酬は銅貨八枚。
そして、その日の僕にとって一番大切だったのは――。
一番大きな串焼きが、銅貨何枚なのかということだった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




