第7話 リリア、魔法の才能が妙な方向に開花
【冒険者の少年ガイア十六歳視点】
クーデの街の北側には、太古の神の巨大な頭蓋骨を利用して造られた、高く分厚い城壁がそびえている。
朝の冷え込みは厳しく、足元の雑草には白い霜がびっしりと降りていた。歩くたびにサクサクと硬い音が鳴り、吐いた息が真っ白になって空へ溶けていく。
僕とリリアは、人目につかない城壁の裏手にある小さな空き地へやって来ていた。
朝陽を反射してまぶしく輝く白骨の壁を背に、リリアは両手をぎゅっと握りしめている。
「それじゃあ、魔法の基本を説明するよ」
「うんっ!」
返事だけは立派だ。
もっとも、僕自身も魔術学校か何かで正式に習ったわけじゃない。僕の場合は胸に宿った神の心臓が力を貸してくれるから、普通の人とは事情がかなり違う。
それでも、一般的な魔法の仕組みくらいなら知っている。
「この世界の地面の下には、大昔に死んだ神の神経が張り巡らされてる。僕たちはそれを『地脈』って呼んでるんだ」
「地脈……」
「魔法っていうのは、自分の意識をそこへつないで、残ってる神の力を少しだけ借りる技術なんだよ」
リリアは真剣な顔で何度もうなずく。
「でもね、神の力は人間には強すぎる。下手につなぐと、ひどい頭痛がしたり、心がおかしくなったりすることもある」
「おかしく……」
「だから、少しでも痛いとか怖いとか、変な感じがしたらすぐやめること。いい?」
「はい、先生!」
「先生はやめてよ」
思わず苦笑した。
正直なところ、僕としてはここでリリアが「何も感じない」と言ってくれるのが一番ありがたい。
地脈へ意識をつなげられる人間は、それほど多くない。
普通のパン屋の娘であるリリアに魔法の才能がなければ、冒険者になるのを諦めてもらう口実にもなる。
「じゃあ、目を閉じて」
「うん」
「足元のずっと奥。大地の底へ、自分から細い根っこを伸ばすような感じで意識してみて」
リリアはゆっくり目を閉じた。
静かな朝の空き地に、冷たい風が白骨の城壁をなでる音だけが響く。
何度か深呼吸してから、リリアは胸の前で両手を軽く開いた。
僕はすぐそばで、その様子を見守る。
もし地脈に触れた瞬間、リリアが神の残した思念に飲み込まれそうになったら、すぐ止めるつもりだった。
一分。
二分。
しばらく待ってみても、リリアの表情に苦しそうな様子はない。
むしろ穏やかだった。
春の日なたで昼寝でもしているみたいだ。
「あっ……」
不意に、リリアが小さく声を漏らした。
「リリア?」
「なんか……いる」
「え?」
閉じたまぶたの奥で、彼女の目がかすかに動く。
「すごく大きいものが、ずっと下に……。でも、怖くない。なんだか、あったかい」
僕は息を呑んだ。
地脈を感じている。
しかも、初めてなのに苦痛らしい苦痛もない。
(嘘だろ……)
普通なら、ここまででも十分に驚くところだ。
けれどリリアは、そのまま胸の前の両手へ意識を集中させた。
「昨日のガイアくんみたいに……」
そして、力いっぱい叫んだ。
「青い矢、出したい!」
両手を前へ突き出す。
空気がわずかに震えた。
僕は思わず身構える。
(まさか、本当に一発目で!?)
昨日僕が放ったような、青白い光の矢。
それが現れる――。
そう思った。
ところが。
ポワン。
「……ん?」
リリアの手のひらから現れたのは、鋭い青白い光ではなかった。
丸くて。
柔らかくて。
ほんのり緑色に光る、小さな球だった。
矢にならない。
飛んでいかない。
空気を切り裂くどころか、リリアの手の上で焚き火みたいにユラユラ揺れている。
「…………」
しかも、暖かい。
朝の冷たい空気が、そこだけ春になったみたいに緩んでいく。
さらに鼻先を、ふわりと甘い匂いがくすぐった。
(……パン?)
焼きたてのパンを二つに割ったときみたいな、小麦の香ばしい匂いだ。
リリアの手から離れた緑色の光は、フワフワと漂いながら地面へ落ちていく。
霜の降りた雑草に触れた。
ジュッと音を立てるでもなく、燃え上がるでもない。
ただ、白かった霜が静かに溶けていく。
「あれ?」
僕は目を見開いた。
凍えて縮こまっていた草が、ゆっくりと葉を広げ始めた。
その横では、枯れかけていた小さな野花が茎を伸ばす。
そして。
ポンッ。
薄い桃色の花が、一輪咲いた。
ポンッ、ポンッ。
もう二輪。
冬の朝だというのに、僕たちの足元だけに小さな花畑ができていく。
「…………」
これは。
どう見ても。
攻撃魔法じゃない。
「どう!?」
リリアが勢いよく目を開けた。
「出た!? ガイアくんみたいな、かっこいい青い矢!」
「…………」
「…………」
僕たちは黙って足元を見た。
桃色の花が、朝風にユラユラ揺れている。
緑色の光の名残が、その周りをホタルみたいに漂っていた。
僕は後頭部をかいた。
「……矢じゃないね」
「矢じゃない……」
リリアの肩がガックリ落ちた。
「なんでぇ……。頭の中では、星みたいなのがシュバババッて飛んでたのに……」
「うん」
「パンの匂いするし……」
「するね」
「お花まで咲いちゃった……」
「咲いたね」
リリアが両手で顔を覆った。
「全然かっこよくない……」
「いやいや、すごいと思うよ?」
「ゴブリン倒せないよぉ……」
僕は困って、もう一度足元を見る。
けれど、内心ではリリア以上に混乱していた。
地脈には、死んだ神の力が今も残っている。
そこへ触れるだけでも、人間にとっては危険だ。
なのにリリアが引き出した力からは、痛みも、恐ろしさも感じない。
暖かくて。
草花を元気にして。
なぜかパンの匂いまでする。
(なんだ、これ……)
少なくとも、ただ物を温めるだけの魔法じゃない。
植物へ働きかける力まである。
もしかすると、傷ついた生き物にも何か作用するのかもしれない。
まだ試してみないと分からないけれど。
(……これ、ものすごく便利なんじゃないか?)
野宿で凍えずに済む。
濡れた服も乾かせるかもしれない。
薬草だって元気にできそうだ。
それに、もし本当に傷を癒やせるなら、冒険者にとっては攻撃魔法よりありがたい場面だってある。
「はぁ……」
リリアが大きなため息をついた。
「あたし、やっぱり才能ないのかな」
「いや、それは絶対違うと思う」
「でも矢、出なかった」
「矢が出ることだけが魔法じゃないよ」
「でもゴブリン倒せないし……」
僕はしゃがみ込み、足元に咲いた小さな桃色の花を一輪摘んだ。
立ち上がる。
そして、その花をリリアの栗色の髪へそっと挿した。
「魔物を倒すだけが冒険者じゃないよ」
「ガイアくん?」
「誰かを助けたいんだろ?」
「……うん」
「だったら、こっちのほうがリリアには合ってるかもしれない」
リリアが僕を見る。
「矢じゃなかったけど、すごく暖かかったよ」
「……」
「リリアらしい、優しい魔法だ」
リリアの頬が、みるみる赤くなった。
「……そういうこと、急に言うのずるい」
「え? 何が?」
「なんでもない!」
ぷいっと顔をそらされる。
なんだろう。
怒らせたかな。
でもリリアは髪に挿した花へそっと触れると、すぐに小さく笑った。
「……でも、あったかいね」
「うん」
冷たい風が吹く城壁の裏手で、僕たちの周りだけがぽかぽかしていた。
冒険者になるなんて諦めてもらうつもりで始めた、初めての魔法。
その結果。
リリアには、ちゃんと才能があった。
しかも――。
「ねえ、ガイアくん」
「ん?」
「もう一回やっていい?」
「いいけど」
「今度こそ矢にする!」
「まだ諦めてなかったの!?」
どうやら僕の思惑とは、かなり違う方向へ進み始めているらしい。
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