第5話 冒険者&傭兵ギルド
【冒険者の少年ガイア十六歳視点】
マーサおばさんのブラウンシチューと白骨パンで限界まで膨れた腹をさすりながら、僕はクーデの大通りを歩いていた。
午後を回った街は、朝よりもずっとにぎやかだ。赤く輝く血晶車がカンカンと軽快な鐘を鳴らし、真っ白な蒸気を噴き上げながら石畳を走っていく。頭上には抜けるような青空が広がり、神の肋骨を削って造られた巨大な白いアーチが、陽光を浴びてまぶしく輝いていた。
数時間前まで、薄暗い森の中でゴブリンと命のやり取りをしていたなんて嘘みたいだ。
もっとも、肩に担いだ物干し竿の先には緑色の血がこびりつき、腰の革袋からは微かな腐臭が漂っている。
夢じゃなかったらしい。
「さて、と」
僕は通りの角を曲がった。
大通りから一本外れた裏路地へ入ると、空気ががらりと変わる。
焼きたてのパンや甘い果物の匂いは消え、代わりに染みついた汗と安酒、それから錆びた鉄の匂いが鼻をついた。
路地の奥には、一際大きな石造りの建物が建っている。
分厚い両開きの扉の向こうから、男たちの怒鳴り声や下品な笑い声、木のジョッキがぶつかる音が絶えず聞こえてきた。
ここが『冒険者&傭兵ギルド』。
魔物討伐や護衛、危険な土地の調査など、命がけの仕事を引き受ける者たちが集まる場所だ。
「よいしょっと」
僕は重い木の扉を両手で押し開けた。
ムワッと熱気が顔へぶつかる。
酒と汗、それに煙草の煙が混ざった独特の臭いだ。
薄暗いホールには、顔に大きな傷のある傭兵や、神の骨を加工した分厚い鎧を着込んだ冒険者たちがたむろしていた。大きな木のジョッキを片手に、最近の稼ぎや倒した魔物の話を大声で自慢し合っている。
僕が中へ入ると、何人かの男がこちらを見た。
細い腕。
小さな身体。
肩には物干し竿。
まあ、強そうには見えない。
「なんだ、坊主。母ちゃんのお使いか?」
近くのテーブルから笑い声が上がった。
「違うよ。仕事だよ」
「ハハハッ! 仕事だとよ!」
また笑われた。
でも、別にどうでもいい。
僕はそのままホールを横切り、奥の受付カウンターへ向かった。
分厚い一枚板の向こうでは、何人もの受付係が羊皮紙の束を処理している。
その中に、見覚えのある赤い髪があった。
後ろで髪を束ねた、勝気そうな目のお姉さん。
僕が冒険者登録をしたとき、手続きをしてくれた人だ。
僕の姿に気づいた彼女は、一度こちらを見て、それから肩の物干し竿を見た。
眉間にしわが寄った。
「……ガイア」
「こんにちは」
「その物干し竿、なに?」
「武器」
「違うでしょう」
即答された。
僕は受付まで歩いていき、腰の革袋をドサリとカウンターへ置く。
「討伐証明の買い取り、お願い」
「ちょっと待って。登録してまだ大して経ってないわよね?」
「うん」
「それなのに、もう討伐証明?」
「うん」
「しかも物干し竿?」
僕はうなずいた。
受付のお姉さんは天井を見上げた。
「……あなたを登録したとき、嫌な予感はしてたのよ」
「なんで?」
「十六歳なのに小さくて、装備もろくにないのに、『とりあえず飯代が稼げればいいです』なんて言う子だったからよ」
「今もそうだよ?」
「知ってるわよ!」
怒られた。
でも、とりあえず話は進めたい。
「それで、これ」
「はいはい。見せてちょうだい」
僕は革袋の口を開いた。
布へ包んでおいたゴブリンの耳を六つ、カウンターへ並べる。
血と腐った肉の臭いが、ふわっと広がった。
「うわっ!」
受付のお姉さんが反射的に身を引いた。
すぐに耳の数を数え、その顔から呆れが消える。
「……六匹?」
「うん」
「ガイア」
「なに?」
「今日、どこへ行ったの?」
「森」
「何しに?」
「リリアを助けに」
「……誰?」
そうか。
この人はリリアを知らない。
「幼なじみ。森でゴブリンに囲まれてたんだ」
「それで六匹と戦ったの?」
「うん」
「一人で?」
「うん」
受付のお姉さんは両手で顔を覆った。
「なんで初心者って、登録した直後に命を捨てに行くのかしら……」
「捨ててないよ」
「結果的に生きて帰ってきただけでしょ!」
声がホールに響き、近くにいた冒険者たちがこちらを見る。
僕は肩をすくめた。
「でも倒せたよ?」
「そういう問題じゃないの!」
受付のお姉さんはため息をつき、それからゴブリンの耳を一つずつ確認した。
「……状態は問題なし。常設討伐の対象ね。一匹につき銅貨二枚だから、六匹で銅貨十二枚」
「十二枚!」
思わず身を乗り出した。
「本当に!?」
「あなた、その顔だけは登録したときから変わらないわね」
「だって十二枚だよ!」
「分かったから落ち着きなさい」
引き出しから取り出された銅貨が、チャリン、チャリンとカウンターへ並べられていく。
赤い血晶石をかたどった刻印が入った、小さな銅貨。
十二枚。
「よっしゃあ! これで明日の飯代もできた!」
拳を握りしめる。
これだけあれば白骨パンが食える。
魔物肉の串焼きも食える。
ちょっと贅沢すれば、冷たい果物水だって飲めるかもしれない。
「……ガイア」
「ん?」
「あなた、命を張って得た報酬の使い道が本当に食事しかないの?」
「飯は大事だよ?」
「まあ、大事だけど……」
僕は銅貨を一枚ずつポケットへしまっていった。
受付のお姉さんは、そんな僕をじっと見ている。
「ところで」
「なに?」
「その六匹、本当にあなた一人で倒したのよね?」
「そうだよ」
「どうやって?」
「五匹は魔法。一匹はこれ」
物干し竿を軽く持ち上げる。
受付のお姉さんの目が細くなった。
「……魔法、使えたの?」
「使えるよ」
「登録のとき、そんなこと言ってなかったじゃない」
「聞かれなかったから」
「普通は言うの!」
また怒られた。
近くの男たちが笑い始める。
「おい坊主! 一匹は本当にその棒でやったのか!」
「うん!」
「どこの名工が打った武器だ?」
「マーサおばさんちの物干し竿!」
「ただの物干し竿じゃねえか!」
ドッと笑い声が起きた。
僕も笑う。
受付のお姉さんだけが、額を押さえていた。
「……もういいわ。あなたのことだから、そのうち何かやらかすとは思ってたけど」
「ひどいな」
「今日やらかしたでしょう」
羽根ペンを走らせ、討伐確認の羊皮紙へ印を書き込む。
その途中で、彼女の手が止まった。
「でも、ガイア」
「なに?」
さっきまでとは違う声だった。
受付のお姉さんは少しだけ身を寄せ、声を低くする。
「今日、そのゴブリンと会ったのは森のどの辺?」
「そんなに奥じゃないよ。街から歩いて入って、木の実を採りに行けるくらいの場所」
「……やっぱり」
表情が曇った。
「なにかあるの?」
「森のゴブリンが、最近増えてるのよ」
騒がしいギルドの中で、その一言だけが妙にはっきり聞こえた。
「普段なら、ゴブリンは森の奥にある毒沼の近くから、あまり離れないの。でもここ数日、浅い場所で群れを見たって報告が何件も来てる」
「浅い場所まで?」
「そう。薪を拾ったり、木の実を採ったりする人が入る辺りまでね」
今日、リリアが襲われた場所もそうだった。
普段なら、昼間に入るぶんにはそこまで危険じゃないはずの場所だ。
「何かに追い出されたのかな」
「それもまだ分からない。ギルドでも調べ始めたところよ」
森の奥で、何かが起きている。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間。
トクン。
胸の奥で、小さな鼓動が鳴った。
「……ん?」
手を胸へ当てる。
神の心臓が、ほんの少し熱を持ったような気がする。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
すぐに熱は消えた。
(気のせいかな)
受付のお姉さんは心配そうに僕を見ていた。
「とにかく、しばらく森では無茶しないこと。あなた、登録したばかりなんだから」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「そこは『はい』って言いなさい!」
僕は笑った。
「忠告ありがとう」
「まったく……。せっかく私が登録した冒険者なんだから、すぐ死なれたら寝覚めが悪いのよ」
「大丈夫だよ」
「その自信が一番怖いわ」
受付のお姉さんは苦笑しながら、手をひらひら振った。
「今日はもう帰りなさい」
「うん。じゃあね! また耳が取れたら持ってくるよ!」
「だから、その言い方やめなさい!」
受付のお姉さんの声を背中で聞きながら、僕はギルドを出た。
重い扉が閉まると、酒と汗の臭いが遠ざかる。
外では、陽が少しずつ西へ傾き始めていた。
神の白骨で造られた街並みが、夕暮れの淡いオレンジ色へ染まりつつある。頭上の青空にも深い藍色が混ざり始め、巨大な飛行船がゆっくりと街の上を横切って、石畳へ長い影を落としていた。
森のゴブリンが増えている。
その理由は、まだ分からない。
胸の奥で神の心臓が反応した理由も。
まあ、今すぐ考えて分かることでもない。
僕はポケットを軽く叩いた。
チャリン、と銅貨が鳴る。
「よし。明日の飯代、確保!」
物干し竿を肩へ担ぎ直す。
まずはマーサおばさんのところへ戻って、約束していた残りのパンをもらおう。
僕は夕焼けに染まり始めた石畳を、軽い足取りで歩き出した。
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