第27話 丘の上
【ガイア視点】
クーデの街を丸ごと踏み潰す勢いで迫ってきた二つの巨大な影は、僕たちの目の前で急停止した。
もうもうと舞い上がった土埃が、朝の風に流されてゆっくりと晴れていく。
荒野のど真ん中に残されていたのは、絶望的な破壊をもたらす巨神の足ではなく、なぜか人間の大人と同じくらいの大きさにまで縮んだ、右足と左足だった。
足首から上は何もない。
ただ一対の足が、ぽつんと地面に立っている。
そのあまりにも間の抜けた光景に、僕だけでなく、背後のリリアとアリカも開いた口が塞がらないまま立ち尽くしていた。
やがて、その足がパタパタと小刻みに地団駄を踏むような動きを見せた。
『ふむふむ。どうやら走って競争したいらしいな』
「子供かよっ! 分かった、じゃあ何か賭けようか」
『また一緒に走ってくれればいいと言っている。お主が勝てば、大人しく一体となってやろうと言っているぞ』
「ふっふー、両足くん。その言葉、忘れるなよ。よし、じゃあ、あの丘の上に生えている一本の木まで勝負だ」
僕は自信たっぷりに笑い、遠くに見える小高い丘を指差した。
朝の黄金色の光に照らされた丘の頂上には、影絵のように浮かび上がる古い巨木が一本だけ生えている。
ここから見れば、ただの一直線に見える。
でも、あの丘へたどり着くまでの道のりは、決して平坦ではない。
クーデの街で育った僕は、幼い頃からあの辺りを遊び場にしていた。
どこに崖があり、どこに通り抜けられる獣道があるのか。
その複雑な地形を、僕はよく知っているのだ。
「位置について……よーい、ドンッ!」
アリカのよく通る声と同時に、僕たちは一斉に地面を蹴った。
足裏に伝わる硬い土の感触。
頬を切り裂くような乾いた風。
僕はスタートと同時に、あえて真っ直ぐな道からそれて、岩場が入り組んだ荒れた道へ飛び込んだ。
ちらりと背後を振り返る。
神の足たちは、猛烈な速さで僕の後を追ってきていた。
ただの足だけのはずなのに、その歩幅とバネは常識外れだ。
バシャン、バシャンと恐ろしい音を立てながら、荒野を蹴り飛ばしている。
でも、その勢いが続いたのは最初だけだった。
僕は知っている。
この先にあるのは、見逃してしまいそうなほど細い岩の亀裂と、大きく迂回しなければならない深い谷だ。
「そっちに行くと行き止まりだよ!」
僕は身軽に岩の亀裂をすり抜け、枯れ谷の斜面を滑り降りて、対岸へ跳び移った。
一方の足たちは、僕を真っ直ぐ追いかけようとした結果、切り立った崖に行く手を阻まれてしまったようだ。
パタパタと慌てたように右往左往している。
やがて諦めたのか、崖を迂回する道を選んで遠ざかっていった。
地形の利は、完全に僕にある。
僕は息を整えながら、最短ルートの獣道を駆け上がっていった。
◇◆◇
でも、神の一部である彼らを甘く見てはいけなかった。
木々が途切れ、丘の頂上へ続く最後の緩やかな斜面。
長い一本道に差しかかったときのことだ。
背後から、鼓膜をつんざくような凄まじい風切り音が迫ってきた。
(なっ……速い!)
振り返る余裕すらない。
障害物のない平坦な道へ出た途端、足たちはこれまでの遅れを取り戻すかのように、弾丸のような速さで迫ってきていたのだ。
タタタタタッ!
足音が、すぐ背後まで迫る。
僕の肺は限界を迎え、太ももの筋肉が熱く焼けつくように悲鳴を上げていた。
このままでは、あと数歩で追い抜かれる。
目標の巨木までは、まだ少し距離がある。
焦りが視界を歪ませた、その瞬間だった。
『力を貸すぞ』
胸の奥で、神の心臓が重々しい声を響かせた。
ドクンッ!
ひときわ大きな鼓動が打ち鳴らされる。
ただの血ではない。
圧倒的な魔力と生命力が混ざり合った熱い奔流が、心臓から一気に全身へ送り出された。
バネが弾けたように、僕の身体がふわりと軽くなる。
疲労も痛みも吹き飛び、足の回転が一気に速くなった。
僕は風そのものになったかのように斜面を駆け上がり、猛追してくる足たちを引き離す。
「いっけええええええっ!」
僕は大きく腕を伸ばし、最後の一歩で地面を蹴った。
ザラリとした巨木の樹皮の感触が、勢いよく手のひらへ伝わる。
バンッ!
僕が木へ触れた、そのほんの一瞬後。
すぐ横の幹を、二つの足が凄まじい勢いで蹴り飛ばした。
「はぁっ……はぁっ……僕の、勝ちだ!」
肩で大きく息をしながら振り返る。
神の足たちは木の根元で、ひどく悔しそうにジタバタと地団駄を踏んでいた。
まるで、勝負に負けて駄々をこねる子供みたいだ。
そのおかしな動きに、僕は思わず声を上げて笑ってしまった。
すると、足たちの動きがピタリと止まった。
『どうやら満足したようだ。久しぶりに全力で走れて楽しかったと伝えてきているぞ』
心臓の通訳を聞いた、その瞬間。
二つの足が淡い黄金色の光に包まれた。
輪郭が崩れ、無数の温かな光の粒へと姿を変えて、朝の風に舞い上がる。
それらは吸い込まれるように僕の足元へ集まり、そのまますっと身体の中へ溶け込んでいった。
足取りが、羽でも生えたみたいに軽くなる。
僕は丘の上から、小さく見えるクーデの街と、その向こうにどこまでも広がる荒野を見渡した。
新しい力を得たこの足なら、この世界のどこへだって走っていけそうな気がした。
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