第26話 新たな日常
【ガイア視点】
聖都での大騒動から逃げ出し、僕たちが懐かしのクーデの街へ帰り着いてから、あっという間に数週間が過ぎていた。
活気に満ちた街路には、今日も商人たちの威勢の良い声が響き、石畳を叩く荷馬車の蹄の音が絶え間なく続いている。
吹き抜ける風には、露店で焼かれる肉の香ばしい匂いと、かすかな土埃の匂いが混ざり合っていた。
僕たちは街の片隅にある、広々とした使われていない馬小屋を、正式に安く買い上げ、そこを新しい住まい兼作業場として暮らし始めていた。
路銀はまだまだ必要だったし、何より日々の糧を得るために、三人それぞれが自分の得意なことを活かして商売を始めたのだ。
リリアは、馬小屋の入口に小さな看板を掲げ、治療院を開いた。
聖都で本物の聖女として崇められた彼女のヒーリングの腕前は、言うまでもなく折り紙付きだ。
おまけに、高い寄付を求める教会の神官たちと違い、彼女の治療費はとても良心的だった。
優しく微笑みながら緑色の光で傷を癒やす彼女の治療院は、『安くて確実に効く』とまたたく間に評判になり、朝から晩まで街の怪我人や病人が列を作っている。
一方のアリカは、機械帝国出身の知識を活かして、車の修理業を始めた。
この街には、近くの都市からやってくる商人たちが乗る魔導車や、蒸気仕掛けの大型車が出入りしている。
それらの複雑な機関を直せる職人は少なく、アリカの技術は大いに重宝された。
彼女は毎日、煤と油で顔を真っ黒にしながら、工具を片手に大きな金属音を立てて車の下へ潜り込んでいる。
馬小屋の半分は、すっかり彼女の工房になっていた。
そして僕はというと、予想外の形で有名人になっていた。
僕の商売は『失せもの探し師』だ。
きっかけは、ちょっとしたことだった。
街の人が落とした大切な指輪を、僕の中にある『神の左目』の力を使って見つけ出したのだ。
神の瞳は、集中すると壁の向こうや地中深く、さらには少し離れた場所の風景まで透かして見ることができた。
最初は恐る恐る使っていたその力も、今ではすっかり慣れたものだ。
迷子になった飼い猫から、酔っぱらいが落とした財布、商人が隠したへそくりまで。
僕の左目から逃れられるものは、ほとんどない。
おかげで僕のもとには、毎日ひっきりなしに探し物の依頼が舞い込むようになっていた。
◇◆◇
そんなふうに、慌ただしくも平穏な日々が続いていた、ある日の朝のことだ。
冷やりとした朝の空気が馬小屋の中へ流れ込み、干し草の匂いをかすかに揺らしている。
アリカの作業場からは、すでに金属を磨く油の匂いが漂っていた。
僕たちは作業台の端をテーブル代わりにして、三人でささやかな朝食をとっていた。
深めの木の器にたっぷりの麦を入れ、そこへ温めた甘いミルクをかけて食べる。
質素だけれど、お腹の底から温まる最高のごちそうだった。
「んーっ、やっぱり朝はこれに限るわね!」
「うん。アリカちゃん、今日は預かってる蒸気車の修理だっけ?」
「そうよ。シリンダーの調子が悪くてね。昼までには終わらせないと」
「僕は午後から、ギルド長がなくした鍵束を探しに行く予定だよ」
麦を噛む音と、木のスプーンが器に当たるカチャカチャという音が、心地よいリズムを作っている。
僕が温かいミルクを飲み干そうと、器を持ち上げた。
その瞬間だった。
ズズンッ。
床の下から突き上げるような、不気味な重低音が響いた。
器の中のミルクが激しく波打ち、天井からパラパラと細かな埃が落ちてくる。
ズズンッ、ズズンッ。
音は次第に大きくなり、それに合わせて馬小屋全体が軋むように揺れ始めた。
棚に置かれていたアリカの工具が、ガチャガチャと嫌な音を立てて落下する。
「うわっ、揺れてる!」
「キャッ、地震!?」
「ちょっと、修理中の車が崩れちゃうわよ!」
僕たちは慌てて立ち上がり、頭をかばうように身構えた。
でも、揺れには一定のリズムがあった。
まるで、とてつもなく巨大な何かが地面を踏み鳴らしながら、こちらへ向かって走ってきているような。
『落ち着け! 外を見ろ!』
僕の胸の奥で、心臓が緊迫した声を響かせた。
そのただならぬ様子に、僕は木のスプーンを放り出し、馬小屋の入口へ駆け出した。
リリアとアリカも、不安そうな顔で僕の背中についてくる。
外へ飛び出し、土埃が舞い上がる街道の向こうへ視線を向けた僕は、思わず息を呑んで立ち尽くした。
朝日に照らされた荒野を、凄まじい速さで疾走してくる二つの巨大な影。
一つは、以前、聖都からの帰り道で見かけた、大木の丸太のような『神の右足』。
そして、その隣には。
まったく同じほど巨大な『神の左足』が、並んで走っていたのだ。
ドス、ドス、ドス、ドスッ!
二本の巨大な足が、荒野を蹴り飛ばしながら全力疾走してくる。
まるで、二本の足だけで仲良くかけっこをしているような、シュールで絶望的な光景だった。
地響きを立てながら、神の双足が僕たちの暮らすクーデの街へ、一直線に迫ってきていた。
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