第25話 世界を滅ぼすのはやめよう
【ガイア視点】
神の宿る器として崇められることになった僕は、高位の神官たちによって、大神殿の最も奥深くにある祈りの間へと丁重に案内された。
天井が見えないほど高い石造りの空間には、重苦しい空気が淀んでいる。
かすかに漂う乳香の匂いも、どこか血の錆びたような鉄の匂いと混ざり合い、息苦しさを感じさせた。
祭壇の前にずらりと並んでいたのは、真っ白な薄布をまとった信徒たちだった。
彼らは一斉に膝をつき、自らの手に持った革のムチを振り上げる。
「神よ、我らの罪を赦したまえ……!」
鋭い風切り音が響いた。
ピシャリ、ピシャリ。
肉を打つ音が、祈りの間へ何度も木霊する。
信徒たちが、自分の背中や肩へ容赦なくムチを打ちつけているのだ。
白い肌は赤く腫れ上がり、苦痛に歪んだ唇から、悲鳴のような祈りが漏れている。
自分に苦痛を与えることで信仰を示す、狂気じみた儀式だった。
あまりの光景に、僕は思わず目を背けたくなった。
こんなものを、以前の『神の目』は特等席で眺め続けていたというのか。
「ねえ、やめさせたい」
『……同意だ』
僕が胸の奥にいる心臓へ語りかけると、彼もまた呆れたような低い声を響かせた。
その直後。
僕の意思とは関係なく、取り込んだ神の目の力が宿る左目が、パチパチと不自然なリズムで瞬きを始めた。
パチパチ、パチパチ。
その瞬きが何らかの神託となって、高位の神官たちへ伝わっていく。
それを受け取った最高位の神官が、信じられないものを見るように目を丸くした。
そして次の瞬間、歓喜の声を上げて床へひれ伏す。
「な、なんですと!? これからは世界を救うと!」
「ああ、祈りが通じた……神が、我らの苦しみをお救いくださるのだわ」
神官の叫びを聞き、背中から血を流していた女性の一人が、涙ながらに両手を組み合わせた。
儀式の手が止まったその隙に、背後で様子を見ていたリリアが、たまらず駆け寄っていく。
「治します!」
リリアの両手から、淡く温かな緑色の光が放たれた。
ヒーリングの魔法だ。
緑色の光が信徒たちを包み込むと、ムチによって刻まれた痛々しい傷が、見る見るうちに塞がっていく。
赤く腫れていた肌も、やがて元の姿へ戻っていった。
その光景を目の当たりにした神官たちが、今度はリリアを取り囲んでどよめき始める。
「おお、なんという慈愛の光!」
「聖女様だ! 神の御使い、聖女様がお見えになったぞ!」
それからはもう、目が回るような大騒ぎだった。
僕と心臓は、左目の瞬きを使って、暗く厳しかった教会の教えを根本から作り直す羽目になった。
『自らを傷つけるな』
『世界を滅ぼすのはやめだ』
『もっと美味いものを食べて、笑って暮らせ』
だいたい、そんな感じだ。
一方のリリアは、本物の聖女として信徒たちに崇められ、行列を作る怪我人や病人を、ひたすら治し続けることになってしまった。
◇◆◇
ようやく騒動が落ち着き、僕が神殿の奥にあるふかふかの椅子へ座って、ぐったりと休んでいたときのことだ。
重い扉を蹴破るような勢いで、アリカが入ってきた。
その手には、聖都名物らしい、湯気の立つ温泉まんじゅうが握られている。
「ねえ、いつまでここにいるのよ?」
「そっか。帰ろう。僕の家はここじゃない」
彼女の呆れたような言葉と、まんじゅうの甘い匂いに、僕はふっと我に返った。
立派な神殿も、豪華な食事も悪くはない。
でも、僕が帰るべき場所は、育ててくれた人たちが待っているクーデの街だ。
神としてここに縛りつけられるなんて、御免だった。
時々こうして聖都へ様子を見に来るという条件で、神官たちをなんとか説得する。
そして僕たち三人は大急ぎで荷物をまとめ、聖都を後にした。
◇◆◇
太陽が西へ傾き、荒野を赤く染める頃。
僕たちは、クーデの街へ続く街道を歩いていた。
背中には心地よい風が吹き抜け、足元の土の感触が、日常へ帰っていく安心感を教えてくれる。
ふと。
遠くの地平線に、凄まじい土煙が上がっているのが見えた。
「なんだアレ?」
ドス、ドス、ドス、ドスッ!
地響きを立てながら、それは猛烈な速さで僕たちの目の前を横切っていった。
見上げるほど巨大な、大木の丸太のような『右足』だ。
足首から上は何もない。
ただ巨大な足だけが、風を切りながら荒野を全力疾走している。
『我の足だ。アレは走るのが好きでな。もしかしたら、捕まえるのが一番難しいかもしれん』
「えぇ……」
『アレは最後にしよう』
心臓が、少し疲れたような声でぼやいた。
僕は遠ざかっていく巨大な右足の背中――いや、かかとを見つめながら、思わず苦笑した。
この先も、バラバラになった神の部位を探す旅は続くらしい。
前途多難な道のりに、少しだけ先が思いやられる。
でも。
ただ気ままに風を切って、無邪気に荒野を走っているだけの存在。
そんな無害な神様なら、この広い世界のどこかに、ただ居てもいいんじゃないかな。
僕は小さく笑いながら、遠ざかっていく巨大な右足を見送った。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




