第23話 神の瞳がみたもの
第23話 神の瞳がみたもの
【ガイア視点】
神殿の奥深く、重厚な石造りの空間に、おぞましい絶叫が木霊した。
僕の放った赤黒い魔力の光線は、巨大な左手の隙間を縫い、その背後に潜んでいた巨大な眼球を正確に貫いていた。
光線に射抜かれた瞳の表面へ、幾筋もの亀裂が走る。
ガラスが砕けるような鋭い音が響き渡り、巨大な目玉から大粒の涙のような液体が、とめどなく溢れ出した。
それは、圧倒的な力で君臨していたはずの存在が、初めて知る痛みと絶望に泣いているかのようだった。
「――終わったのね」
「すごい……一撃だなんて」
アリカとリリアが、呆然とした声で呟く。
断末魔の呻きを上げていた目玉と、それを守ろうとしていた巨大な左手は、やがて輪郭を崩し始めた。
それらは無数の淡い光の粒子へ姿を変え、宙を舞う。
そして、まるで磁石に引き寄せられるように、一直線に僕の胸元へ吸い込まれていった。
途端に、胸の奥の心臓が大きく跳ねる。
ドクンッ!
熱い鉛を飲み込んだような衝撃が全身を駆け巡り、僕の意識は急激に暗い底へと引きずり込まれていった。
◇◆◇
気がつくと、僕はいつもの場所に立っていた。
果てしなく広がる澄んだ青空。
その空を鏡のように映し出す、足元の薄い水面。
歩けば静かな波紋が広がり、春の木漏れ日のような清らかな風が吹き抜けていく。
僕の中に宿る『神の心臓』と対話するための、精神の奥底にある空間だ。
でも、今回はいつもと少し違っていた。
僕の目の前には、赤い鼓動を打つ心臓だけでなく、先ほど取り込んだ巨大な瞳と左手が浮かんでいた。
間近で見ると、その瞳は左目のようだった。
神殿で見たときのような恐ろしい威圧感はなく、ただ虚ろに宙を漂っている。
巨大な左手もまた、小指を欠いたまま、力なく水面の上へ浮かんでいた。
ふいに、左目がかすかな光を放った。
言葉の代わりに、僕の頭の中へ直接、無数の光景が流れ込んでくる。
それは、この世界に渦巻く途方もない絶望の記録だった。
ひからびた大地で飢えに苦しみ、土をすすって空腹を紛らわせる子供たち。
疫病に倒れ、薄暗い路地裏で誰にも看取られず息絶えていく人々。
欲望のままに剣を振るい、罪のない者の血で手を染める強盗たちの笑い声。
妬み。
憎しみ。
悲しみ。
怒り。
この世のあらゆる暗いものが、濁流のように僕の心へ押し寄せてくる。
神の目として、この左目は人間たちの醜さと悲惨さを、長い間ずっと見つめ続けてきたのだろう。
だからこそ、この世界には救いなどなく、ただ滅びと混沌だけが相応しい。
そんな声が聞こえてくるようだった。
冷たい絶望が、足元から這い上がってくる。
だけど僕は、静かに首を振った。
「確かに、世界にはそういう暗い部分があるのかもしれない。でも、それだけじゃないんだ」
僕は、虚空に浮かぶ左目へ語りかけた。
「僕は、親の顔を知らない。孤児として生まれた僕には、何もなかった。でも、クーデの街のみんなが僕を育ててくれたんだ。パン屋のおばさん、鍛冶屋のおじさん、ギルドの人たち……みんなが、僕に生きる力をくれた」
言葉を紡ぐたび、僕の胸の中に温かな光景が蘇ってくる。
「それに、リリアと一緒に出た冒険は、毎日が驚きと喜びに満ちていた。怖いこともあったけど、二人で乗り越えてきたんだ」
リリアの笑顔が浮かぶ。
「アリカとの出会いだってそうだ。ちょっとうるさいけど、明るくて、行動力があって……僕は助けられてる」
今度は、得意げに胸を張るアリカの姿が浮かんだ。
「僕の知っている世界は、君が見せてくれたような絶望ばかりじゃない。優しくて、温かいものだって、ちゃんとあるんだ」
僕の言葉を聞いて、左目は何かを考えるように一度だけ瞬きをした。
そして、ふっと視線を落とす。
それはまるで、自分が見てきたものだけが世界のすべてではなかったと、初めて気づいたような仕草だった。
その瞬間。
傍らで静かに浮かんでいた心臓が、ひときわ強い赤色の光を放った。
ドクンッ!
力強い鼓動とともに、赤い光の渦が左目と巨大な左手を包み込む。
二つの部位は抗うことなく、その光の中へ溶けていった。
左手。
左目。
それらはゆっくりと心臓へ吸い込まれ、やがて完全に姿を消した。
『終わったな。いや……まだ、どこかに頭がいるだろう』
僕の頭の中へ、低く落ち着いた心臓の声が響く。
「そっか」
『しかし、頭は賢い。そうやすやすと姿を見せはしないだろう』
「そっかぁ。じゃあ、ひとまず帰ろうか」
『この都の面倒も見る必要があるだろう』
「ああ、そっか。教会の神さま、やっつけちゃったもんね」
僕は頭をかきながら苦笑した。
聖都で信仰の対象になっていた神の瞳を、僕が取り込んでしまったのだ。
信徒たちは、大混乱になっているに違いない。
これからどう説明して、どう収拾をつければいいんだろう。
途端に現実的な問題が押し寄せてきて、僕は深いため息をついた。
徐々に足元の感覚が薄れ、鏡のような水面も、澄んだ青空も白い光へ溶けていく。
僕の意識は、再び現実へと戻っていった。
◇◆◇
頬に触れる柔らかな感触と、かすかに鼻をくすぐる温かな匂いに誘われて、僕はゆっくりと目を開けた。
視界の端に、木造の素朴な天井が映る。
どうやら、どこかの宿屋のベッドの上にいるらしい。
そして僕の頭は、誰かの膝の上に預けられていた。
「あっ……気がついた?」
上から降ってきたのは、リリアの安堵に満ちた声だった。
見上げると、彼女が心配そうな、それでいて嬉しそうな瞳で僕を覗き込んでいる。
窓から差し込む午後の陽光が、栗色の髪を柔らかく照らしていた。
深呼吸すると、ふわりと、干したてのシーツのようなお日様の匂いがする。
僕はまだ少し重い身体を動かし、小さく頷いた。
「うん。……おはよう、リリア」
神の頭。
聖都のこれから。
考えなければならないことはいくらでもある。
でも今だけは、それを胸の奥へしまっておこう。
僕は目を細め、リリアの温もりに身を委ねた。
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