第14話 ワンショット
【ガイア視点】
神の巨大な肋骨を削り出して造られたクーデの街に、爽やかな朝の風が吹き抜けていた。
石畳の通りには香ばしい白骨パンの匂いが漂い、真っ赤な血晶車がカンカンと軽快な鐘の音を響かせながら走り去っていく。頭上を見上げれば、突き抜けるような青空を巨大な飛行船が悠然と横切っていた。
名誉戦士という大層な称号をもらい、領主の館で死ぬほど美味い肉を腹いっぱい食べた翌日。
僕はいつものように、街の北側に広がる薄暗い森の中を歩いていた。
「うぅ……やっぱり、こっちの森は何度来ても慣れないや……」
僕の少し後ろを歩くリリアが、栗色の髪を揺らしながら身をすくませた。新しい革のブーツで湿った腐葉土を慎重に踏みしめ、周囲の物音へ過敏に反応している。
「仕方ないよ。ゴブリンの討伐証明を集めるなら、北の森が一番確実だからね。ほら、足元気をつけて。木の根っこが出っ張ってる」
「うん、分かってる。でも、なんだか変な匂いもするし……」
僕たちは今日、冒険者として正式に受けた『ゴブリン退治』の依頼に出かけていた。
東の森は森人たちが管理している清らかな場所だが、この北の森は違う。大地の奥深くに神の腐肉が吹き溜まり、赤黒く濁った葉が空を覆い隠す不気味な場所だ。
鼻をつくのは、腐った草木と甘ったるい鉄の匂い。
どこから異形の魔物が飛び出してきてもおかしくない。
リリアは怯えながらも、僕の背中をしっかりと追ってきていた。冒険者になると決めた彼女は、少しずつだが自分の足で歩こうと努力している。
いざとなれば回復魔法も使えるし、二人でいれば心強い。
ザッ、ザッ、と二人分の足音が湿った森に響く。
僕は右肩に担いだ物干し竿を握り直し、警戒を強めた。
昨晩、馬小屋の暗闇の中で決めたのだ。
神の心臓が取り込んだ『小指』の力を、今日こそ試してみると。
「……ストップ」
僕は足を止め、左手でリリアを制した。
前方からかすかな足音と、下品に喉を鳴らす声が聞こえてくる。腐った肉の悪臭が、風に乗ってツンと鼻を刺した。
木々の隙間から身を隠すようにして、前方をのぞき込む。
少し開けた空き地に、緑がかった肌を持つ魔物がたむろしていた。身体に比べて不自然に大きな頭と、濁った黄色い目。口からはダラダラと涎を垂らしている。
「ガイアくん……」
「しーっ。ゴブリンだ。全部で五匹いる」
リリアが息を呑む気配がした。
僕は彼女を守るように一歩前へ出る。
五匹なら、今の僕にはちょうどいい相手だ。物干し竿を両手で振り回すよりも、手っ取り早く片付けられる方法がある。
右手に物干し竿を持ったまま、僕は左手を前へ突き出した。
意識を大地の底へ沈める。
太古に死んだ神の神経網――地脈へつながり、そこから力だけを無理やり引きずり出す。
胸の奥で、トクン、と重い鼓動が鳴った。
神の心臓が目を覚まし、僕の血管へ溶岩のような熱を流し込んでくる。肌が粟立ち、周囲の空気がビリビリと震え始めた。鼻の奥へ、雷が落ちた直後のような鋭い匂いが突き刺さる。
左手の五本の指先へ、青白い光が集まっていった。
親指。
人差し指。
中指。
薬指。
そして――小指。
「……っ!?」
指先へ魔力を集めた瞬間、はっきりとした違和感があった。
小指だけが、異常に熱い。
他の四本の指には、夜空の星を削り出したような澄んだ青白い光が宿っている。それなのに小指の先にだけ、あの神の心臓を思わせる禍々しい赤黒い光が混じり込んでいた。
まるで小指そのものが別の生き物になってしまったかのような、途方もない密度の魔力が渦巻いている。
(なんだこれ……重い……!)
魔法を制御しようとする僕の意思を無視して、小指の光は勝手に膨張していく。
「ギィィィッ!」
魔法の放つ強烈な光と音に気づき、五匹のゴブリンが一斉にこちらを振り向いた。
黄色い目を血走らせ、鋭い爪を振り上げて突進してくる。
迷っている暇はない。
「ファイブアロー!」
僕は左手を広げ、五匹のゴブリンへ向けて一気に魔力を解放した。
ヒュンッ!
四本の指から放たれた青白い光の矢が、空気を切り裂いて飛んでいく。
ドシュッ!
鈍い音とともに、四匹のゴブリンの胸や頭を正確に貫いた。彼らは悲鳴を上げる間もなく、腐った泥のように地面へ崩れ落ちる。
――だが、小指から放たれた魔法だけは違った。
ズドォォォォンッ!!
矢というよりも、それは極太の光の奔流だった。
赤黒い雷光をまとった凄まじいエネルギーの塊が、空気を消し飛ばすような轟音を立てて放たれる。
最後の一匹へ命中した瞬間、肉を貫くどころか、ゴブリンの身体そのものが光に飲み込まれて一瞬で蒸発した。
光の奔流はそのままの勢いで背後にある太い木々を何本もなぎ倒し、大地を深くえぐりながら、森の奥深くへ消えていった。
「…………」
「…………」
森に、耳鳴りがするほどの静寂が訪れた。
焦げた木々と、焼けた土の匂いだけが漂っている。
ゴブリンがいた場所の背後には、まるで巨大な竜の息吹でも受けたかのような、一直線に伸びる深いクレーターができていた。
僕は突き出したままの左手を、ゆっくりと下ろした。
手のひらがかすかに痺れている。
神の小指を取り込んだ結果が、これだ。
ただのマジックアローが、地形を変えるほどの破壊兵器になってしまった。
「……これ、強いけど、使いにくくなっちゃったね」
僕がぽつりとこぼすと、背後からおそるおそるリリアが顔を出した。
彼女はえぐり取られた地面と倒れた木々を交互に見て、引きつったような笑いを浮かべている。
「うん。人に向けては、なるべく使わないほうがいいと思う」
「だよね。街の中で暴発したら大惨事だ」
僕はため息をつき、気を取り直して物干し竿を肩へ担ぎ直した。
ともあれ、敵は全滅した。
あとは討伐証明であるゴブリンの耳を切り取って、ギルドへ持っていけば今日の仕事は終わりだ。
僕は腰の革袋から小さなナイフを取り出し、倒れている四匹のゴブリンから緑色の耳を手際よく切り取った。
そして、最後の一匹がいた場所へ目を向ける。
「……あ」
そこには、えぐれた地面と焦げた土があるだけだった。
肉片はおろか、灰すら残っていない。
完全に消し飛んでいる。
「ガイアくん、どうしたの?」
「リリア……。ゴブリンの耳って、一匹につき銅貨二枚だよね?」
「うん。ギルドの受付のお姉さんがそう言ってたよ」
「五匹倒したのに、耳が四匹分しかない……」
僕は両手で顔を覆った。
「銅貨二枚損した……! 魔物肉の串焼きが一本買えたのに!」
「あはは……。まあ、命があっただけよかったじゃない。ね?」
「串焼き……僕の串焼き……」
圧倒的な力を手に入れた代わりに、討伐報酬を一匹分失ってしまった。
僕は泣く泣く四匹分の耳を革袋へしまい、リリアに慰められながら、トボトボとクーデの街への帰路についた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




