第13話 名誉戦士
【冒険者の少年ガイア十六歳視点】
巨大な神の頭蓋骨を削り出して造られた、クーデの街の領主の館。
その大広間は、普段なら考えられないような熱気とざわめきに包まれていた。
壁に掛けられた赤いタペストリーが、いくつもの松明の光を受けて揺らめいている。天井からは見事なシャンデリアが下がり、磨き上げられた石の床には、並べられた長机の影が幾重にも伸びていた。
「この度はお見事であった、若き冒険者よ!」
大広間の上座からよく通る声を響かせたのは、クーデの街を治める領主ソーンだ。
豪奢な金糸の刺繍が施された服を着込んだ、恰幅のいい初老の男で、豊かな白い髭を蓄えている。その顔には、街の危機を救われた安堵と、僕への純粋な賞賛が浮かんでいた。
そして、その隣にはもう一人。
神の骨で造られた玉座に並ぶように置かれた木の椅子へ、深く腰を掛けている人物がいた。
「人間よ。我らの戦士を救い、森の危機を退けたこと、深く感謝する」
森の民の領主、ターラ。
顔には泥と獣の血で複雑な模様が描かれ、首には小さな神の骨を連ねた首飾りが揺れている。年齢はマーサおばさんと同じくらいだろうか。
鋭い瞳には深い森のような静けさがあり、声は低いが、不思議と広間の隅々まで響き渡った。
クーデの領主と、普段は人間を憎んでいる森の民の領主。
決して交わるはずのない二人が並んで座り、僕たちを見下ろしている。
「あの謎の巨大な敵は、クーデの街にとっても、東の森にとっても、大いなる脅威であった。それを退けたお前の功績は計り知れない」
「その通りだ。森の木々をなぎ倒し、大地をえぐるあの怪物を、お前はただ一人で打ち砕いた。あれほどの力を持つ者が、こんな小さな人間だとはな」
ソーンがうなずき、ターラも同意するように深くうなずいた。
謎の敵。
彼らは神の小指を、そう呼んでいた。
無理もない。まさかあれが太古に死んだ神の肉体の一部で、僕の胸の中に宿る心臓と共鳴して動き出したなんて、誰も想像すらできないだろう。
もちろん僕も、そんな恐ろしい事実を口にするつもりは毛頭なかった。
「そこでだ! ガイアよ、お前を我ら両名からの『名誉戦士』に任命する!」
ソーンが立ち上がり、高らかに宣言した。
広間に集まっていた街の役人やギルドの冒険者たち、そして森の民の戦士たちから、一斉に割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。
「おおおーっ!」
「やったな、物干し竿の坊主!」
「名誉戦士バンザイ!」
僕は照れくさくなり、後頭部をガシガシとかいた。
肩には、もちろん今日もあの物干し竿を担いでいる。英雄の持つ武器としてはあまりにも貧相だけれど、今ではすっかり僕のトレードマークになってしまっていた。
「ありがとうございます。でも、僕一人だけの力じゃないですよ」
「うむ、分かっておる」
ターラが視線を動かした。
僕の少し後ろで、緊張のあまりガチガチに固まっているリリアの方へ。
「娘よ。お前の放つ温かな光が、どれほど多くの我らが同胞を死の淵から救い上げたことか」
ターラの言葉に、森の戦士たちが口々に感謝の言葉を叫んだ。
あの日、森で倒れていた戦士たちを、リリアは魔力切れで倒れる寸前まで癒やし続けたのだ。
甘く香ばしいパンの匂いとともに広がる緑色の光は、傷ついた森人たちの身体を治し、痛みを和らげた。
「お前のその優しい魔法は、我らの心までをも癒やしてくれた。これは森からの、ささやかな謝礼だ。受け取ってほしい」
ターラが目配せをすると、森人の戦士が木箱を抱えて歩み出てきた。
リリアの前で蓋を開ける。
「ひゃっ……!」
リリアが小さな悲鳴を上げた。
そこに入っていたのは、松明の光を反射してキラキラとまばゆい光を放つ、何枚もの金貨だった。
僕がいつも飯代にしている銅貨や銀貨とは比べものにならない、本物の黄金だ。
「こ、こんなに……! あたし、受け取れません!」
「よいのだ。命の恩人への感謝のしるしである。街で美味しいパンでも焼くがいい」
「あ、ありがとうございます……!」
リリアは顔を真っ赤にして、何度も深く頭を下げた。
こうして堅苦しい儀式が終わり、いよいよ待ちに待った宴会が始まった。
長机には、僕が今まで見たこともないような豪華な料理が、次々と運ばれてくる。
巨大な魔物肉に香草をまぶし、こんがりと焼き上げたもの。新鮮な野菜と、森で採れた珍しい木の実をふんだんに使ったサラダ。氷魔法でキンキンに冷やされた、甘い果実の絞り汁。
そして、マーサおばさんがこの日のために徹夜で焼き上げたという、山積みの白骨パン。
「ガイアくん! これ、すっごく美味しいよ! ほっぺたが落ちちゃう!」
「本当だ! この肉、すげえ柔らかい! いくらでも食えるぞ!」
僕たちは両手に食べ物を持ち、口の周りをタレだらけにしながら、夢中で頬張った。
周囲では、冒険者たちと森の民の戦士たちが、木のジョッキをぶつけ合って酒を飲んでいる。普段はいがみ合っている両者が、こうして同じ広間で肩を組んで笑い合っている光景は、なんだか不思議で、とても温かかった。
肉をかじり、パンで追いかけ、冷たい果実水で流し込む。
僕の胃袋は限界を知らないかのように、次から次へとご馳走を吸い込んでいった。
「ぷはぁっ! 食った食った! もうこれ以上は水一滴も入らない!」
「あたしも……お腹パンパンだよぅ」
限界まで食べた僕たちは、椅子に深く寄りかかり、満足げなため息をついた。
世界を救うとか、神の復活がどうとか。
そんな途方もなく重たい運命は、とりあえず頭の隅へ追いやることにした。
今の僕にとって、この満腹感こそが何にも勝る至上の幸福だった。
◇◆◇
宴会の熱気が少しずつ冷め始める頃、僕は一足先に館を抜け出した。
リリアはマーサおばさんと一緒に、まだまだ宴会を楽しむらしい。僕も少し誘われたけれど、お腹がいっぱいになると無性に眠くなる性分なのだ。
夜のクーデの街は静かだった。
石畳を照らすのは、等間隔に置かれた魔石の街灯だけ。冷たい夜風が火照った頬を撫でていき、遠くからは蒸気機関の鈍い音がかすかに聞こえてくる。
街外れにある、いつもの古い馬小屋へ到着した。
ギィィ……と、傾いた扉を開ける。
容赦なく吹き込む隙間風の音と、乾いた藁の匂い。きらびやかな領主の館から帰ってくると、その激しい落差に少しだけ笑ってしまいそうになる。
でも、ここが僕の家だ。
「よいしょっと」
僕は物干し竿を壁へ立てかけ、干し草のベッドへ倒れ込んだ。
バサリと音がして、少しだけ埃が舞う。
薄い毛布を胸まで引き上げ、暗い天井を見上げた。ひび割れた板の隙間から、澄んだ星空がわずかに覗いている。
トクン。
静かな夜の中、胸の奥で鼓動が鳴った。
あの深い闇の底。
精神の世界で出会った、赤い光の塊。
霊体となった神の心臓は、はっきりと告げていた。
『再び一つとなり、復活することだ』
そして――。
『そなたは既に指の一本を取り返している。礼はしよう』
『お前と我の一部となった。使ってみるがよい』
僕は毛布から左手を出した。
月の光に照らされた、細くて傷だらけの指先。見た目は今までと何も変わっていない。ただの人間の、十六歳の少年の手だ。
けれど、あの森で神の小指が泥のように崩れ落ちたあと、そこから飛び出した赤い光は、間違いなく僕の胸の中へ飛び込んできた。
心臓がそれを取り込み、僕の一部にしたのだ。
左手を軽く握り、開いてみる。
何も起きない。
痛いわけでも、熱いわけでもなかった。
(使ってみるがよい、か)
神の骨で覆われ、大地をえぐるほどの力を持っていた巨大な小指。
あれが今、僕のこの小さな左手に宿っているのだとしたら、一体どんなことができるのだろう。
ファイブアローのように、地脈から無理やり引き出す魔法とは違う。僕自身の身体の一部として、その力を振るえるということなのか。
少しの恐怖と、それを上回るワクワク感が入り混じり、胸の奥がチクチクとした。
冒険者として生きていくなら、力はいくらあっても困らない。
それに、いつかまたリリアが危ない目に遭ったとき、彼女を助けられる力が僕には必要なのだ。
「……よし」
僕は左手をぎゅっと握りしめ、胸の前へ下ろした。
今はまだ、身体が魔力切れの疲労を引きずっている。でも、一晩ぐっすり眠れば、明日には体力も回復しているはずだ。
「明日は、この左手の小指の力を試してみよう」
暗い馬小屋の中で、僕は誰に言うでもなく小さく呟いた。
どんな力が出るのかは分からない。
でも、きっと物干し竿よりは役に立つはずだ。
干し草の温もりに包まれながら、僕はゆっくりと目を閉じた。
明日の新しい冒険を思い浮かべながら、そのまま深い眠りへ落ちていった。
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