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『一日一回肘から唐揚げが出る能力』  作者: 保土ヶ谷暗褐色


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7/9

『甘い褒め言葉』


 褒められると、味がした。


 甘いときと、苦いときがある。佐藤はそれを物心ついたころから知っていたが、誰にも言ったことがなかった。言ったところでどうにもならないし、言えばおかしいやつだと思われる。だから黙って、日々の褒め言葉を味わいながら生きてきた。


 木村部長にとって、お世辞とは呼吸だった。


「いやあ佐藤くんは本当に仕事が丁寧だね。助かるよ」


 月曜の朝、コピー機の前で言われた。佐藤の口の中に甘みが広がった。だが違う。甘いのに、後味が薄い。本物の砂糖ではない、何か別のものだ。

 

「人工甘味料みたいですね」


 言った後、しまった、と佐藤はおもった。うっかり言葉が漏れてしまった。


 木村部長が振り返る。五十二歳、人当たりがよく、悪い人ではない。ただお世辞が呼吸というだけで、他に欠点らしい欠点がない人だった。


「……人工甘味料?」


「あ、いえ」


「どういう意味?」


「なんでもないです」


「コーヒーに人工甘味料入れてる? はは、俺は角砂糖派なんだけど」


「そういう話じゃないです、すみません忘れてください」


 部長は三秒ほど佐藤の顔を見てから「そうか」と言って、コピーを取って去った。

 佐藤はため息をついた。嫌味が通じなかった。通じなかったうえに、少し罪悪感があった。悪い人ではないのだ、部長は。


 同じ日の昼、同僚の中島に声をかけられた。


「お前、今日の会議の資料よかったぞ。細かいとこまで拾えてた」


 ほんのり甘かった。砂糖に近い、真っ直ぐな甘さ。中島は褒め方が不器用で、言葉が足りないが、味は本物だった。佐藤は「ありがとう」と素直に言えた。


「なんか顔がゆるんでるぞ」と中島が言った。


「そうか」


「お前さ、部長のこと得意じゃないだろ」


 佐藤は少し驚いた。


「わかる?」


「なんとなく。部長に褒められてる時は愛想笑いって感じがする」


 中島は特に深く考えた様子もなく、自分の席に戻った。佐藤は中島の背中を見ながら、はちみつの甘さがまだ口に残っているのを感じた。


 午後、取引先との打ち合わせがあった。

 先方の担当者は四十代の男で、終始にこやかだった。


プレゼンが終わると「素晴らしかったです、さすが佐藤さん」と言った。


 苦かった。


 安いコーヒーみたいな、薄くて後を引く苦さ。


佐藤は愛想笑いを張り付けながら「ありがとうございます」と言った。


そうは思っていないだろ、と確信しながら。

 帰り際に「また是非お願いします」と言われた。


 さらに苦かった。


 夜、帰宅すると妻が夕飯を作っていた。

 妻は佐藤をほぼ褒めない。正確には、褒める必要を感じていないようだった。


 食事を終えて、佐藤が皿を洗っていると、妻が後ろから言った。


「最近頑張ってるね」


 佐藤は身構えた。蛇口を止めて、口の中を確認した。

 無味だった。

 甘くも苦くもない。ただの言葉だった。佐藤には判断がつかなかった。本心なのか、気を遣ったのか、ただ思ったことを言っただけなのか。七年いっしょにいて、妻の褒め言葉だけはいつも無味で、それが佐藤には恐ろしかった。



だがその日、佐藤はきまぐれで、いつもと違う言葉を口にしてみた。


「……ありがとう」


さらに一言付け加える。


「褒めてくれて」


静寂が広がる。少しして妻が口を開いた。


「別に褒めてないけど」と妻は言った。「ただそう思っただけ」


 佐藤の口の中に、ほんのり甘さが広がった。

 はちみつに近い、温かい甘さだった。


 妻は、ソファに移ってテレビをつけた。


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