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『一日一回肘から唐揚げが出る能力』  作者: 保土ヶ谷暗褐色


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5/9

『隣の芝生はガチで青い』



 引っ越してきて三日目に、中村は気づいた。


 隣の田中さんの庭の芝が、青かった。


 緑ではない。青だった。空の青でも海の青でもなく、もう少し落ち着いた、でも確実に青い、青だった。朝の光の加減かと思って昼に見ても青く、夕方に見ても青く、雨の日に見ても青かった。芝が青かった。


「なあ」と中村は妻に言った。「田中さんとこの芝、青くない?」


「青いね」と妻は言った。


「……気にならない?」


「別に」


 妻はカーテンを閉めた。


---


 翌週、ゴミ捨て場で向かいの松本さんと会った。六十代の女性で、この町に三十年住んでいるという。


「あの、田中さんとこの庭なんですけど」と中村は切り出した。「芝が……青いですよね」


「ああ」と松本さんは言った。「青いですね」


「あれ、なんで青いんでしょう」


「さあ」


 松本さんはゴミを出して、家に帰った。


 中村は一人でゴミ捨て場に残った。さあ、じゃないだろ、と思った。三十年住んでて、さあ、じゃないだろ、と思った。


---


 職場の同僚・坂本に話したのは、その週の金曜だった。


「隣の芝生が青いんだよ」


「わかる」と坂本はすぐ言った。「そういうことあるよな」


「いや、実際に青いんだよ」


「うん、そう見えるよな。羨ましいもんな」


「羨ましくはない、青いんだよ物理的に」


「いや気持ちはわかるよ。隣がよく見えるのは仕方ないって」


「聞いてる? 色の話をしてるんだけど」


「羨ましいって素直に言えばいいじゃないか」


 中村は缶コーヒーを飲んだ。坂本はわかるわかると言いながら、まったくわかっていなかった。


---


 意を決したのは、引っ越しから一ヶ月後だった。


 田中さんは六十手前で、穏やかな顔をした人だった。庭の手入れをしているところに声をかけた。青い芝を熊手でならしていた。熊手も少し青かった。


「田中さん、あの」


「ああ、中村さん。なにか」


「庭の芝なんですが」


「はあ」


「青いですよね」


 田中さんは少し間を置いた。熊手の手を止めた。


「……品種なんですよ」


「品種」


「ええ」


「青い品種が、あるんですか」


「まあ……そういうことです」


 田中さんは穏やかに微笑んだ。それ以上でも以下でもない顔だった。中村は三秒待ったが、続きは来なかった。


「そうですか」


「ええ」


「……青いですね」


「ええ」


 中村は家に帰った。


 妻に「品種らしい」と報告した。妻は「ふうん」と言った。


「それで、羨ましかったの?」


「なんで羨ましいになるんだよ」


「だって一ヶ月も気にしてたじゃない」


「羨ましいとかじゃなくて、青いから気になるんだよ」


「青い芝生が羨ましかったってこと?」


「違う、青いこと自体が気になるんだよ」


「青い芝生に憧れてたの?」


「話を聞いてくれ」


 妻はテレビをつけた。


---


 田中さんの息子を見たのは、それから二週間後の日曜の朝だった。


 大学生くらいの青年で、帰省していたのか、庭に出て親子で何か話していた。


 窓の中から見て、妻を呼んだ。


「なあ、ちょっと」


「なに」


「田中さんの息子」


「うん」


「少し青くない?」


 妻は窓から田中家の息子を見た。色白、というには少し方向が違う。少し、青かった。


「……本当だ」と妻は言った。「青いね」


「だろ」


 二人でしばらく黙って見た。田中さん親子は特に何事もなく、庭で笑っていた。


 妻が視線を落とした。


「ねえ」


「なに」


「うちの庭」


 中村は下を見た。


 植えたばかりの芝の、端っこの部分が、少し、青かった。


 中村は目を細めた。見間違いかと思って、もう一度見た。青かった。朝の光の加減かと思って昼に見るつもりだったが、昼に見ても青い気がした。


 妻が隣に立って、腕を組んだ。


「ねえ、やっぱり羨ましかったんじゃない?」


「違う」と中村は言った。


「伝染ったのかな」


「伝染るのか芝生が」


「田中さんに聞いてみたら」


「品種って言われるだけだ」


 中村はもう一度、青くなり始めた自分の庭の端を見た。それからため息をついて、田中さんの庭を見た。田中さんの息子が、中村と目が合って、軽く会釈した。


 その顔が、やっぱり少し青かった。


 中村は会釈を返して、カーテンを閉めた。


 妻はもう興味を失って、台所に消えていた。


---


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