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『一日一回肘から唐揚げが出る能力』  作者: 保土ヶ谷暗褐色


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4/9

『末端冷遇症』



 桐島は、いい人だった。


 少なくとも本人はそう思っていたし、職場でもそう思われていた。後輩の相談には乗る、飲み会の幹事は率先してやる、エレベーターは必ず開ボタンを押して待つ。欠点らしい欠点がない男だと、同僚の村瀬は常々思っていた。


 思っていた。先月までは。


---


 最初に気づいたのは、駅前の居酒屋だった。


 二人で軽く飲もうという話になり、カウンターに並んで座った。出てきたのは、明らかに新人と思しき若い店員だった。エプロンの結び目がよれていて、注文を取るときにペンを一度落とした。


「すみません、もう一度よろしいですか」


「……生と、ハイボールと、枝豆と、から揚げと、冷奴」


 桐島の声が、半音低かった。村瀬は気のせいかと思った。


 料理が来た。から揚げを持ってきたのもその新人で、「お待たせしました」と言いながら皿をテーブルに置いた。レモンがなかった。


「レモンは」


「あ、す、すみません、すぐ——」


「いいです」


 いいです、の温度が、三月の朝の水道水くらい冷たかった。村瀬はから揚げを一個食べながら、桐島の横顔をそっと観察した。不満そうというわけでもない。ただ、いつもの桐島ではない気がした。


 ベテランらしき店員が追加注文を取りに来たとき、桐島はにこやかに「じゃあ串盛りと、あと日本酒を一合」と言った。


 村瀬は黙って手帳にメモした。


*新人店員にだけ、声のトーンが違う。若い子が苦手なタイプ?*


---


 翌週、社内で事件が起きた。


 といっても大げさなものではない。会議室の予約が重なって、総務の田所さんが机を廊下の端に移した、というだけの話だ。田所さんは三十八歳、勤続十五年、社内では「田所さんの根回しで動いている」と言われるほどの中堅どころである。


 昼、桐島が廊下を通りかかった。田所さんが端の席でパソコンを叩いていた。


「桐島くん、ちょっといい? 先週の発注の件なんだけど——」


「ああ、あれは高橋部長に直接確認してもらえますか」


 さらりと言って、桐島は通り過ぎた。


 村瀬は給湯室の陰からそれを見ていた。田所さんが軽く眉を上げて、また画面に向き直るのも見た。


 おかしい。桐島と田所さんは関係良好だった筈だ。桐島はおじさんが苦手なわけじゃない。


---


 決定的だったのは、木曜の帰り道だった。


 駅までの路地を二人で歩いていると、前から四人組の男たちが来た。職業を聞かれたら全員が口を濁らせそうな風体で、先頭を歩く初老の男が特に貫禄があった。その後ろに体格のいい兄貴分が二人、そして最後尾に、なぜか少しだけ離れて、小柄な若い男が一人ついていた。


 四人組の先頭が桐島の肩に軽くぶつかった。


「あ、どうも、すみません」


 桐島が頭を下げた。先頭の男がじろりと見たが、桐島の態度に特に因縁をつける隙もなく、四人は通り過ぎようとした。


 そのとき最後尾の小柄な男が、桐島の鞄に引っかかった。ほんの少し、袖が触れた程度だった。


「ちょっと」


 桐島が振り返った。村瀬は、その声を聞いて、足が止まった。


 居酒屋のときと、まったく同じ温度だった。


「前、見て歩いてもらえますか」


 小柄な男が「す、すんません」と首をすくめた。先頭を歩いていた初老の男と兄貴分たちが振り返り、桐島と自分たちの末端を交互に見て、微妙な顔をした。


 桐島は特に気にした様子もなく歩き出した。


 村瀬は三秒間、その場に立ち尽くした。


 それから手帳を取り出して、書いた。


*末端だ。全員。*


---


「お前、末端冷遇症だ」


 翌日の昼休み、村瀬は桐島に向かって言った。


「何それ」


「集団の末端にいる人間にだけ、当たりが強くなる症状」


「症状って、病気みたいに言うな」


「病気みたいなもんだろ」


 村瀬は手帳を開いた。居酒屋の新人、廊下の端の田所さん、ヤクザの末端構成員。日付、状況、桐島の発言、被害者のステータスを順番に読み上げた。桐島は黙って聞いていた。


「……田所さんは末端じゃないだろ」


「席が端だった」


「席!?」


「お前の中では席が端=末端らしい」


 桐島は天井を見た。何かを必死に整理しようとしている顔だった。


「でも……居酒屋の新人と、ヤクザに、何の共通点が……」


「末端だよ」


「……」


「末端」


「……わかった、わかった」


 桐島はしばらく黙って、箸を置いた。


「じゃあ俺はこれからどうすればいい」


「さあ」


「さあって」


「病名をつけたのは俺だけど、治し方は知らん」


 村瀬は弁当の卵焼きを食べた。桐島は腕を組んで考え込んだ。


---


 それから桐島は、行く先々で末端を探すようになった。


 居酒屋に入ると新人らしい店員を目で追い、会議室では隅の席を確認し、道を歩くときは集団の最後尾に目が行った。そして「末端を発見した、気をつけなければ」と自分に言い聞かせて、努めて丁寧に接しようとした。


 結果、挙動が不審になった。


 新人店員が注文を取りに来るたびに姿勢を正し、廊下の端に座っている人間に過剰な笑顔を向け、集団の最後尾の人物に「ご不便おかけしました」と言った。


 誰も意味がわからなかった。


 村瀬だけが手帳に記録を続けた。


 末端冷遇症、経過観察中、と書いた次のページに、小さく付け足した。


*末端好遇症、発症*


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