8.幽霊でも見たような顔をして
侯爵家は不気味なくらいに静かだった。
昨夜、その家の長女が首を吊ったとは思えないほどに――静かで、いつも通りだった。
流石に”首を吊った長女の死体が消えた”と騒ぎ立てない程度の分別はあるらしい。”死体が消えた”だけならまだしも、その前に”首を吊った”という言葉がつけば好奇の目に晒されるのは免れない。死体を偽装したとしても、それは侯爵家でロレナの死を処理する前提だ。
消えた死体には、さぞ混乱しているだろう。
暖かな日差しが降り注ぐ道。
厳かな馬車が一台、シュタールベルク侯爵家の前で止まった。
ノルニア教の紋章の入った馬車だ。
何の前触れもなく訪れたノルニア教の馬車を見た使用人が慌てて家の中に入って報告をする。
馬車の小さな窓から外を見ると、中からロレナの父であるベルトランが慌てて出てきた。父、もといシュタールベルク家は代々熱心な教会派なのだ。普通であれば、突然の訪問であっても歓迎すべきところだろう。
一緒に馬車に乗っていたエリオスがウィンクを一つ投げて寄越し、先に馬車を降りた。
「こ、これはこれはエリオス大司教! ようこそお越しくださいました!」
「御機嫌よう、侯爵。突然訪ねて済まない」
「いえいえ、教会は私の父であり、母……いつでも歓迎いたします。し、しかし、本日はどういったご用件で……?」
先触れがなかったことも相まって父の顔には焦りが見える。笑顔で歓迎ムードを作っていても、さっさと帰って欲しいというオーラは隠せてない。
エリオスはベルトランのオーラに気付かないふりをして馬車を振り返った。
「大したことじゃない。貴方の大切な家族を送り届けに来ただけだ。……さ、どうぞ。手を」
打ち合わせ通りにエリオスが手を差し出す。
ロレナはその手を取り、ゆっくりと馬車を降りた。
――その時の父親の顔と言ったら! 吹き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。
「……嫌だわ、お父様。まるで幽霊を見たような顔をして」
エリオスに手を引かれて馬車を降りたところで、口元に手を当てて小さく笑う。
屋敷の玄関からアデルとエルネスタが出てきたが、ロレナの姿を見て目を剥いていた。アデルは悲鳴を飲み込むように口を押さえ、エルネスタはふらりとバランスを崩して使用人に支えられていた。
周囲にいた使用人たちも信じられないものを見るような目でロレナのことを見つめている。小さく悲鳴を上げる者もいた。
家族と呼んでいたモノ、そして使用人たちの反応を見て僅かに胸がすく。
エリオスがロレナを見つめながら、ゆるりと首を振った。
「昨夜、家族との間に辛いことがあったと……駆け込んできたんだ。尋常じゃない様子だったので一晩保護させてもらったよ」
「ロ、ロレナ……?!」
「ああ、見ての通りだ」
「し、死んだはずでは……ッ?」
死んだはずのロレナが戻ったこと、大司教たるエリオスが来たことで頭が回ってないのか、早速ボロを出すベルトラン。ロレナが笑いそうになるのを堪えていると、エリオスが庇うようにロレナの前に立った。
不可解そうな表情を作り、ベルトランに疑念の眼差しを向けている。エリオスは随分役者なようだ。
「死んだ? 事故があったわけでもないのに、何故そんな確信を持った言葉が出る?」
「い、いえ、何でもございません……た、ただの言葉の綾で……」
「仮に、だ。一晩留守にして、何か事故に巻き込まれた可能性があるにしても――。
教義をよく理解し大切にしている侯爵なら、死んだはずの娘が戻れば泣いて喜ぶはずでは?」
そう言ってエリオスはすっと目を細めた。その視線は冷たく、突き放すようなものだった。
ベルトランはわかりやすくギクリと肩を震わせる。
そう、ノルニア教の教義を大切にする人間なら――彼の言う通り、戻った娘を見て感激するはずなのだ。
ロレナは父親を見てにこりと微笑んで見せる。ロレナとは裏腹にベルトランは引き攣った笑みを浮かべ、指先を微かに震わせながらロレナに手を伸ばしてきた。
「ロ、ロレナ。よく戻った……心配で、夜も眠れなかった……」
「――そう、お父様。ご心配おかけして申し訳ございませんでした」
ロレナの手に触れる手は強張っている。触れたくもないのが伝わってくるようだ。
(そりゃあ怖いでしょうね。私は昨日首を吊って死んだし、貴方たちに階段から落とされたんだから……)
父親が自分のことを不気味に思っているのが手に取るようにわかる。そのことが愉快で、滑稽だった。
彼の目に自分はどう映っているのだろう。
動く死体? 幽霊? それともこれまで通りのロレナ?
(まぁ、どうでもいいわ。貴方にもがっかりしましたし……)
感動の再会に程遠い。エリオスがじっと見ているせいでベルトランは作り笑いを崩すことができないでいる。さっさとどこかに行ってくれという声がまた聞こえてくるようだった。
不意に、ロレナの後ろからひょこっとリーネが顔を出す。
そして、子爵令嬢らしくベルトランの前で恭しく礼をした。
「ごきげんよう、シュタールベルク侯爵様。わたしはシトロン子爵家の娘、リーネでございます。
昨夜はロレナ嬢と楽しいひとときを過ごさせていただきました。
こちらは我が子爵家自慢のワインです。どうぞ、お近づきの印にお渡しさせてください」
リーネは静かにワインが入ったケースを一つ差し出した。
シトロンの名にベルトランが少し怯む。
当然侯爵家の方が地位は上なのだが、シトロン領産の葡萄を使ったワインは貴族の中でも非常に評判が良いことで知られている。しかも、現国王が愛飲していることもあり、高値で取引されているのだ。おかげで昨今では簡単には手に入らない。
シトロン子爵と縁を持たない貴族たちはワインを手に入れるのに躍起になっているのも有名な話だ。
ベルトラン・シュタールベルクもその一人だった。
彼は使用人を呼び寄せ、リーネが差し出したワインを受け取らせる。
「あ、ありがとう、シトロン嬢。シトロン子爵によろしく伝えて欲しい」
「ええ、父に伝えておきます。ぜひ、お飲みになった感想などをお聞かせいただければと思います。
もし、お気に召しましたらロレナ嬢を通じてご連絡いただければすぐご用意いたします」
「ああ。そう、させてもらおう……」
ベルトランの表情が引き攣っている。笑顔を維持できなくなっているらしい。
まるでダメ押しのようにリーネがロレナに近付き、両手をぎゅうっと握りしめる。
「ロレナ嬢、昨日は話せて嬉しかったです。またぜひお茶をしましょう」
「え、ええ、ありがとう。リーネ嬢」
”子爵令嬢”の皮を被ったリーネに少し笑いそうになりながら頷く。
その様子をエリオスが眺めて小さく頷き――その後、冷めた視線をベルトランに向けた。
「シュタールベルク侯爵」
「は、はい、何でしょうか。エリオス大司教」
「熱心に教会に通う貴方のことだから……彼女とは何か行き違いがあるのだと思う。
女神ノルニアは家族という絆が健全に育まれることをいつでも見ている。そのことを、ゆめゆめ忘れないように」
「も、もちろんでございます。どうかご心配なさいませんよう……!」
エリオスの冷たい視線に気圧され、ベルトランは冷や汗を流していた。
豊かな黒髪に、少し高い背。シャープな顔つきも相まって、ずっと”父の威厳”というものを感じていた。
しかし、今目の前にいるのは”ノルニア教の大司教”という権力にペコペコするただの中年男だ。
(コメつきバッタかよ。……って、コメって何かしら)
心の中で悪態をつき、前世なるものの影響で出てきた単語が今のロレナにはよくわからないものだった。
「では、私たちはこれで失礼する。――シュタールベルク嬢、困ったことがあればいつでも教会を訪ねなさい。
教会の扉は、いつでも家族のために開いているのだから……」
「はい、ありがとうございます。エリオス大司教」
大司教モードのままロレナを見るエリオス。
目を合わせれば、互いに笑いそうになっているのがすぐわかる。笑ってしまわないうちに視線を外し、恭しく礼をした。
リーネも「では」とエリオスに続いて踵を返し、馬車へと戻っていく。
ノルニア教の大司教、シトロン子爵家のワイン。
その二つを携えて帰ってきたロレナを、ベルトランが無碍にできるはずがない。
――死んだはずの娘であっても。
馬車を見送りながら、横にいるただの中年男と化した父親に無感情な視線を向けるのだった。




