64.悪夢からの目覚め
エルネスタの気絶。テオドールとベルトランの言い合い。
そして、アデルの絶叫。
全てがロレナにとって心地よいものだった。
こんなこと、現実の世界でできるはずがない。夢だからこそ実現できたのだ。
ベルトランが手にした毒をテオドールに無理やり飲ませ、テオドールの両手が切断されたところで一度夢に幕が降りた。
円卓周辺に転がる四人の体。それらを悠然と眺めながら、ゆっくりと仮面を剥がす。
「……ロ、レナ……?!」
ベルトランが疲弊した表情でロレナを見上げている。目を見開き、信じられないものを見る目をしていた。
全員、更に深いところに堕ちたとばかり思っていたが――比較的ダメージの少なかったベルトランは別だったらしい。しかし、ロレナは動揺するわけでもなく、静かに笑ってベルトランを見下ろす。
「あら、お父様。まだ意識があったのね」
「お前、何故……?」
「”何、故”? それはどういう問いかけかしら? 私がこんなことをするなんて信じられない、とでも?
――馬鹿にしてんじゃねぇぞクソ親父がッ! わかんねぇなら自分の胸によおおおおく聞いてみるんだなあ!?」
暴言を吐きながら、手斧で円卓を思いっきり切りつけた。刃が刺さった瞬間に円卓はガラガラと崩れ落ちていき、ベルトランが青い顔で凝視していた。
手斧を軽く揺らし、口元に手を当てる。
「ふふふ。明日も明後日も、その次も……ずぅっとこの悪夢を続けましょう。
貴方達が自らの罪を悔い、心の底から反省するまで――」
「ま、待っ」
「ではまた明日」
ガシャンッ。
大きな音とともに明かりが消える。世界は真っ暗になってしまった。
◆ ◆ ◆
目覚めは朝方だった。
とは言え、まだ外は薄暗く、遠くに陽の光が薄っすらと見える程度だ。
ロレナはゆっくりと起き上がり、ぐーっと腕を伸ばした。チャコも起き上がってぐーっと体を伸ばしている。
「おはよ、ロレナ」
「おはよう、チャコ」
「どう? スッキリしてる?」
「ええ、とっても」
薄暗い部屋の中で笑い合う。
ロレナは悪夢のことを思い出して楽しげに笑い、のんびりとベッドを降りた。チャコもそれに続く。
カーテンをそっと開けても僅かに明るさが変わるだけで、まだ朝には程遠い。どうせだからもう一眠りしようかと思っていたところで、カサッと葉が擦れ合う音がした。
驚いて部屋の中から周囲の様子を伺うと、庭からひょこっと見慣れた姿が現れる。
「……。エ、エリオス、様……?」
そこにいたのは間違いなくエリオスだった。
庭の中を隠れるように歩いてきて、ロレナの姿を見つけて困ったように笑う。ガラス一枚隔てた向こう側で立ち止まり、部屋の中にいるロレナをじっと見つめた。
「や。シュタールベルク嬢。……お早う、って言うにはまだ早すぎるけど」
「え、えぇと、おはようござ、い、ます……?」
何故こんな早朝とも言えない時間からエリオスが、シュタールベルク邸の庭などにいるのか。状況が全く理解できずにロレナはひたすら混乱してしまった。
しかし、エリオスはそんなロレナなどお構いなしに、ガラスをコンコンと叩く。
「開けてくれる? ああ、別に中に入ろうってわけじゃないから」
「は、はい、少々お待ちください」
寝起きで寝間着で、普通なら身なりを気にするところなのに全く考えつかなかった。エリオスの突然の訪問はそれくらいに衝撃的で、ただただ彼に言われるがままに対応してしまう。
静かに窓を開けると、少し冷たい風が舞い込んできた。その風は二人の髪の毛を軽く揺らす。
「これを渡したくて」
そう言ってエリオスが差し出したのは――数日前に買ったブローチだった。
エリオスと同じ空色の宝石が嵌め込まれた細工の美しいブローチ。
「……えっ。……えっ?!」
ロレナは素っ頓狂な声を上げてエリオスとブローチを何度も何度も見比べた。彼はそんなロレナを見ておかしそうに笑っている。
段々とロレナの顔は青褪めていき、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
エリオスもロレナに合わせてその場にしゃがみ込み、下からその顔を覗き込んでくる。
「要らない?」
「だ、だって、私……ゆ、ゆめの、なかで、あんな……」
「面白かったよ。澄ましたあんたの口からあんな言葉が飛び出してくるのは見応えがあったし、あの二人もすごく感心してた」
「あんな、こと、」
「斧であの義妹の手をぶった切ったところは痛快だったよね。……俺もあれくらいやりたかった。
あと、毒を使ったのはお母さんにした仕打ちへの意趣返しだよね。あいつらは気付いてなかったけど」
目の前で、エリオスが楽しそうに笑っている。まるで子どもみたいに。
夢の中のことを思い出して急激に恥ずかしくなってきてしまったのだ。エリオスに見られることも、リーネやセレスティアーヌに見られることも承知していたが、改めて話をされるとシラフではいられない。両手で顔を覆い隠し、エリオスの視線から逃げてしまった。
しかし、エリオスはさっきからひたすら楽しそうだ。
指の隙間からそっとエリオスを見る。
「……私に、幻滅、しませんでした……?」
「してないよ。――ああ、でも気に入らないことが一つあったな」
「えッ……?!」
バッと顔を上げ、エリオスを見る。エリオスは僅かに目を細めて、忌々しそうに口元を歪めた。
「なんでテオドール・ウルティアに引導を渡さなかったんだろう、って」
一瞬何を言われたのかわからず、エリオスの顔をまじまじと見つめてしまった。
なんで、って――。
エリオスの顔を見つめたまま、おずおずと口を開く。
「特に理由はありません、けど……」
「俺とのことはどうでもいいって?」
「っそ、そうじゃなくて! 婚約は何が何でも解消なり破棄なりするのと、次の悪夢で思いっきりコテンパンにする予定でした……!」
「本当?」
「本当ですっ!」
やけに突っかかってくるエリオスに変な気持ちになりながら必死に言い募る。さっきから本当に子どものようだ。
薄暗い中見つめ合っていると、不意にエリオスの手がロレナの頬を撫でた。驚いたが、触れられることは嫌じゃない。思わず、甘えるようにその手に頬を寄せてしまった。
「……キスして良い?」
ロレナだけに聞かせる小さな声。
かぁっと頬が熱を持ち、すぐに答えられなかった。
「なんて。あんたは真面目だから無理――」
「良いです」
「え?」
「良いです。キス、しても」
赤い顔のまま真っ直ぐにエリオスを見つめて答える。
どうせ無理だと諦めて笑っていたエリオスの表情が固まり、二人は無言のまま見つめ合うことになった。
少しの間微動だにしなかったエリオスだが、ゆっくりとロレナに顔を近づける。ロレナも自分から顔を寄せて静かに目を閉じた。
そっと触れ合う唇。
一度離れ、二度、三度と触れ合わせた。
体を抱き寄せられ、更に深く――。
「ねえ、僕のこと忘れてない?」
ビクゥッ! 二人の肩が大きく震える。ロレナの心臓は飛び出すんじゃないかと思うくらいに大きく鳴っている。
ドクンドクンと妙な緊張と気まずさの中、二人を眺めるように中間地点でおすわりをしているチャコを見た。エリオスは何か言いたげな顔をしてチャコをジト目で見つめている。
「好きにしてくれて良いんだけど。そういうのは僕がいないところでやって欲しいなぁ」
「……あんたが気を利かせるところじゃないの」
「利かせたよ。――ほら、これ。持ってきてあげたのに。急に盛るんだもん、ビックリだよ」
そう言ってチャコが見せたのは、ロレナが持っているブローチだった。
居た堪れない空気の中、チャコが受け取れと言わんばかりにブローチを押し付けてくるのでロレナは無言のまま受け取った。ぎゅっと握りしめてから、顔を背けて「ありがとう」と伝える。
チャコは「ふん」と珍しく怒ったような素振りで、二人の傍から離れていった。
いい雰囲気は一瞬で霧散している。
微妙な空気の中、二人は見つめ合い――そして、ふっと笑い合った。




