57.復讐心と信仰心
そしてその夜。
エリオスと交換したブローチを見つめ、深く溜息をついた。チャコが傍に来て、不思議そうな顔をしている。
「どうしたの? それ、復讐が終わったらエリオスと交換するんでしょ?」
「……よく考えたらそんな未来は訪れない気がしたのよ」
「なんで?」
ブローチをアクセサリー入れにしまいながらもう一度溜息をつく。ソファから立ち上がって、夜空にぽっかりと浮かぶ月を見上げた。
復讐が終わってから交換を、などと言ってしまったが、夢の中のロレナの姿をエリオスが受け入れるはずもない。
口汚く相手を罵り、残忍に相手を傷つける自分などを。
だが、きっと夢の中で彼らに手を下す時――本性とも言える一面を隠すことが出来るとは思えない。きっと、いや絶対にこれまで以上の罵詈雑言を相手に浴びせることだろう。
復讐は何が何でも完遂するが、気掛かりができてしまった。
「夢の中の私をエリオス様が受け入れてくださるとは思えないわ」
本心をそのまま口にする。足元にいるチャコがピコピコと耳を揺らしていた。
「そう? 僕は別に何とも思わなかったし面白いと思うよ。リーネも楽しんでたでしょ?」
「それとこれとはちょっと違うわ」
ふっと自嘲気味に笑い、中途半端に開け放ったカーテンをぎゅっと掴んだ。月明かりから隠すようにカーテンを引き、室内を魔力灯の明かりのみにする。
チャコは初めからロレナの暴言は知っていたし、リーネに至っては名目が『暇潰し』であるためロレナの暴言を楽しむ余裕があったのだ。
エリオスがそうだとは到底思えず、我ながら無謀な約束をしてしまったと後悔している。あの時点で断ってしまえば良かったのだ。
さっきから溜息が止まらず、もう何度目になるかわからない溜息を零していた。
チャコが「やれやれ」と呟きながら離れていき、何かに気付いてロレナを呼ぶ。
「ロレナ! ロレナ、こっちに来て!」
「どうかしたの?」
「リーネから通信が入ってるよ~」
「えっ!」
慌てて振り返り、ピカピカと光るコンパクトの元に小走りに近付いた。
今日のことだろうなぁと若干憂鬱になりながらも出ないのも失礼に当たるかと思い、少し気持ちを整えてから通信ボタンを押した。
ザザッと映像がぶれて、リーネの顔が映し出される。
『やっほ~、こんばんは~。今日は来てくれてありがとうね~。で、結論出たぁ?』
またもや溜息が出そうになってしまった。
コンパクトをテーブルに置き直し、ソファに腰掛けながらリーネの顔をジト目で見つめる。
「もう。そんなにすぐに答えは出ないわ」
『ありゃりゃ、そうなの~? てっきり何かしら答えが出たのかと思って連絡したのにぃ』
「リーネさんにとっては何でもない問題かも知れないけど、私にとっては色々と心のハードルが高いの。
……簡単に決断できることじゃないのよ」
それに、今となってはエリオスのこともある。
どういう復讐劇を遂げるにしろ、エリオスに見せることも考えなければならない。これまで女神と信じて疑ってこなかったノルニアを『使う』のは抵抗感があった。エリオスが良いと言っても、これはロレナの問題だ。
リーネがじーっとロレナを見つめたかと思いきや、口元に手を当ててニヤリと笑った。
『……ロレナちゃん。エリくんと何かあったでしょう……?』
「んなっ……?!」
予想外の発言に思わずゴホゴホと咳込んでしまった。それくらいびっくりした。
リーネはロレナの反応を見て「当たりだ~」と喜び、途端にニヤニヤと楽しそうに笑い出す。
『そっかそっか~。良いことあったんだねぇ、エリくんと……おねーさん嬉しいよ~』
「ちょ、ちょっと勝手に、っていうか早とちりしないで欲しいわ!」
『え~? 何かあったにはあったんでしょ~? 詮索はしないから安心して~。
……ってことはエリくんのことも悩みのひとつ? 夢の中の姿を見られて幻滅されたらどうしよう~みたいな?』
ロレナは何も話してないのにリーネはどんどん話を繋げてしまう。大体「夢の中の姿を」だなんて一言も言ってないし、エリオスに夢を見せることだってリーネには知らせていないのに。
驚きのあまり声を失っていると、リーネがにっこりと笑った。
『んふふ~。わたしは何でもお見通しなんだよぉ』
楽しそうな声に敗北感を覚え、がっくりと肩を落とす。今はまだリーネに勝てるイメージが沸かない。いつかは上を行くことができるかもしれないが、少なくとも今は無理だ。
小さくため息をついてから、コンパクトの中のリーネをじっと見つめた。目が合い、リーネが勝ち誇ったように笑った。
『その様子だと、本当に夢の中のロレナちゃんを見て幻滅されたらどうしよ~って思ってるぅ?』
「……そうよ。リーネさんは楽しんでくれているけど、エリオス様が楽しむとは思えないわ」
力なく首を振ると、リーネがピッと人差し指を立てる。そして指先を左右に振った。
『チッチッチッ……ロレナちゃんはエリくんのことを侮りすぎだよぉ。
アレで酸いも甘いも噛み分けてるんだから、ちょっとやそっとで引いたりしないって。驚きはするだろうけど、そんなに気にしないって~』
リーネの口調はひたすら軽かった。ロレナの懸念など、全くの的外れだと言うかのように。
しかし、それはリーネが当事者じゃないから言えることだろうし、大体リーネ自身はエリオスからの評価など気にならないに違いない。ロレナはそうじゃない、という根幹部分が抜けているのでモヤモヤする。それを伝えればロレナがエリオスのことをどう思っているか丸わかりになるため流石に口にはできない。
コンパクトを見つめたまま黙っていると、リーネが軽く肩を竦めた。
『大体、ロレナちゃんの目的は復讐でしょ?』
「……そうよ」
『エリくんの評価なんていちいち気にしている余裕なんてないんじゃないの?』
「それは――……」
言われて、ぎゅっと奥歯を噛み締めた。
(そうだわ、本当にそう。エリオス様からどう思われるのかは確かに気になるけど……。
それはそれ、これはこれ。私はあいつらに復讐するって誓ったんだから、まずは復讐を完遂することを考えなきゃ)
ゆっくりと息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
静かな部屋の中にロレナの呼吸と時計の秒針の音だけが響いた。
そして、パチン! と乾いた音が響く。
ロレナが両手で自分の頬を思いっきり挟むように叩いた音だった。突然自分の頬を叩くロレナにリーネは目を丸くしていたが、すぐにクスクスと笑い出す。
『気合入れ直した感じ~?』
「……ええ。ちょっと別のことに気を取られすぎていたみたい。ありがとう、リーネさん」
『んふふ、どういたしまして~。良かった、色ボケしちゃったのかと思った~』
色ボケという単語に口の端を引き攣らせつつも平静を保つ。リーネの目にそんな風に見えていたとは思わなかった。
昼間のことで舞い上がっていたのだろう。
『だからさ~、復讐を何としてでもやり遂げたいロレナちゃんにとって……”女神ノルニアを使う”ことはそんなに難しいことじゃないんじゃない? って思うんだよねぇ』
不意打ちのように、それでいて挑発するように。
「何がそんなに難しいの?」と嘲笑うかのように――リーネがにんまりと笑う。
説明したでしょうと言いたくても言葉にならない。
復讐心と信仰心。二つを天秤にかけられているようだった。今は信仰心の方に傾いており、復讐心の方が相対的には軽くなっている。比べられるようなものじゃないのに。
「……どうして、リーネさんはそこまで女神ノルニアを使わせたがるの?」
『だって、そうじゃなきゃセレスちゃんがノルニア教を生み出した意味がなくなっちゃう。
家族という存在によって不幸になる人が少しでも救われて欲しい、って思いから生まれたんだよ? ノルニア教は』
呼吸が一瞬だけ止まった。目を見開き、リーネをじっと見つめる。
リーネはいつになく真剣な眼差しでロレナを見つめ返していた。




