52.彼の過去と正体
「送るよ」
エリオスが素っ気なく言い、ガタッと音を立てて立ち上がった。
その言葉が他の誰でもなくロレナに向けられているのは明白で、ロレナは慌てて「すみません。私はこれで……」と言いながら立ち上がる。
まるでその場から逃げ出すように、歩き出すエリオスの背を追いかけた。
そっと肩越しに振り返ってみれば、セレスティアーヌは笑顔で会釈をし、リーネはいつも通りヘラヘラと笑いながら手を振っている。ぺこりとお辞儀をしながら部屋を出ていくのだった。
部屋の外も真っ白である。
そこはどこまでも神聖で神秘的な場所だった。
確かに大聖堂からこの場所に案内されたのだが、一体どこからどう繋がっているのかがわからない。案内されるままについていったらさっきの部屋に辿り着いていたのだ。
大聖堂とは別の聖堂に迷い込んでしまったかのようである。
来た時は緊張のせいで気にする余裕もなかったのに、今は幾分か落ち着いている。――セレスティアーヌの話の衝撃は残っているが。
「……シュタールベルク嬢」
エリオスは前を歩いたまま、こちらを振り向くことなく静かな声を発した。
「……あ、はい!」
周囲に気を取られていたせいで反応が遅れてしまう。少しだけ上擦った声になった。
エリオスがピタリと足を止め、ゆっくりとロレナを振り返る。
空色の目が真っ直ぐにロレナを射抜き、思わず呼吸が止まりそうになった。
「あの二人がごめん」
「そんな……エリオス様が謝ることでは……」
「もっとマシな説明の仕方があったんじゃないかと思って。
さっきの話――あんたの負担になってない?」
エリオスを見つめ返し、もう一度さっきのセレスティアーヌの話を思い出してみる。
あまりに衝撃的であまりに突拍子もないのに――ノルニア教も、女神ノルニアも魔女の手で作り出されたモノなのだと納得せざるを得なかった。それほどにセレスティアーヌの語り口は真実味があり、説得力があったのだ。
ああ、そうなのか――と、気が抜けてしまうほどに。
小さく「負担」と反芻をしてみる。答えに窮して、知らず知らずのうちに視線が白い廊下に落ちた。
「……よく、わかりません。生まれた時からずっと在ったノルニア教も女神も、作られたものだったなんて……。
他の宗教だって誰かが作り出したのは頭では理解しているのですが、なんというか……自然と人々の願いや信心が形になったんだと、勝手に信じていたので……。
まさか、教祖様が生きて目の前に現れるなんて、想像もしてませんでした」
スカートの裾をぎゅっと握りしめる。
まだ負担だとか何だとかなんて考えられない。とにかく衝撃が大きすぎた。
不意に、影が落ちる。
恐る恐る顔を上げるとエリオスがすぐ傍にいた。距離の近さにドキッとしながらその端正な顔を見上げる。
「ま、普通はそうだよね。……俺も通った道だよ」
「……え」
「俺もあの二人にノルニア教や聖女のことを打ち明けられた時は同じ反応だったよ。ただただ驚いた。
何の因果なのか――いや、因果とか大層なものじゃないんだろうけど……あんたが俺と同じ道を辿っててヒヤヒヤするんだよね」
同じ道という言葉に目を見開く。
エリオスは大きく溜息をついた。彼にとっても歓迎できる話じゃなかったのは明白だ。
「あ、あの……同じ道、とは……?」
「復讐を心に決めて、”さあどうやって復讐してやろう”って時にあの二人にさっきと同じ話をされたんだよ。
まぁ、今の俺は復讐に失敗して自暴自棄になったところを体よく使われてるから……あんたもそうならないようにね」
そう言うとエリオスは踵を返して、ゆっくりと歩き出した。どこか物悲しげに見える背中を見つめながら彼を追いかける。
彼の言葉一つ一つに胸が痛んだ。
共感や同情ももちろんあるが――それ以上に、自分が復讐に失敗したらどうしようという恐怖だ。
イヴォンが死んだと告げられた時のショックは忘れられない。思わず奥歯を噛み締め、歩みを早めて彼の隣に並んだ。
「エリオス様」
「何?」
視線だけがロレナに向く。素っ気ない口調ながらにロレナのことを気にしているのは伝わってきた。
白く長い廊下に二人きり。
その廊下は先が見えないほどに長く、普通の建物ではないことが伺い知れた。
迷いながらエリオスの顔を見つめる。
「……こんなことを聞くなんて、不躾で失礼だとは重々承知していますが、」
「いいよ。何?」
前置きは要らないと言わんとばかりの返事だった。拍子抜けしつつも、胸の前でぎゅっと手を握りしめる。
「その……エリオス様が、復讐に失敗したのは何故なのか、と……。
あ、あああの決して下世話な理由からではなく、エリオス様に私の復讐をお見せする以上は失敗できないと言いますか、がっかりさせたくなくてですね――」
言ってから、やっぱり言うんじゃなかったという猛烈な後悔に襲われた。弁明の言葉は全て早口になり、興味本位で聞いていると説明をしているようなものだ。
エリオスの顔を見ることができなくなり、ついつい俯いてしまいそうになる。
(ああもう、どうして私はこんな言い方しかできないのかしら?! ……って、え?)
何故か、エリオスは笑っていた。
とてもおかしそうに、クスクスと。
口をあんぐり開けて笑うエリオスを凝視すると、彼はひらひらと手を振った。
「ごめん。あんたがあんまりにも必死だからおかしくなっちゃって」
そんなに必死だっただろうか。内心首を傾げながらエリオスの笑う姿を目に焼き付けた。
一頻り笑った後、エリオスはどこかすっきりした顔で続ける。
「理由は簡単だよ。――これから復讐してやる、って宣言しちゃったんだよね。本人たちを前に。
当時の俺はまだ子供で、あんたみたいに演技なんかできなかったんだよ。本当に馬鹿だった」
すっきりした表情だったが、どこか遠くを見ている。
延々と続く白亜の廊下。
まるで、復讐に失敗したエリオスを現しているようだった。
「宣言を……」
「そう。死にたくなるくらい酷い目に遭わせてやる、ってね。
父親と、継母と、義弟に。家族構成もあんたと一緒で、本当に笑っちゃうね」
ロレナは言葉を失っていた。まさかエリオスも同じような復讐を目論んでいたなんて――本当に想像すらしてなかった。想像できるような余地すらもなかったのだけど、それでも家族構成がほぼ同じことが衝撃でしかない。
エリオスがやけにロレナの復讐に好意的で、興味を示す理由がわかった気がする。
(……本当に、私の復讐に自分を重ねているのね。だからこその”期待”……)
それは妙なシンパシーだった。エリオスの存在がこれまで以上に近くなり、勝手に絆のようなものを感じている。
ひょっとしたら――エリオスも同じだろうか。
不思議な感情を覚えてしまった。
「……エリオス様が私を気にかけてくださる理由がわかった気がします」
「そう。でも、あんたからしたら迷惑な話だよね。勝手に期待されてさ」
「いえ――どうしてでしょうか。何故か、嬉しいと思ってしまうのです」
ふ、とエリオスが足を止めた。今度はロレナが彼を振り返る形になる。
エリオスはまるで食べたものが想像した味じゃなかったと言わんばかりの変な顔をしてロレナを凝視した。
「……あんた、やっぱりちょっと変」
「えっ。そう、でしょうか……自分では普通だと思いますが……」
「変な人間ほど自分は普通だって言い張るんだよね」
「あの、それはあんまりでは……」
む、と少しだけ口を尖らせる。エリオスはそれ以上何も言わずに肩を竦めるだけだった。
再度、エリオスが歩き出す。自然とその隣を歩く形になり――いずれ終わるだろうこの長い廊下がもっと続けばいいのにと思ってしまった。
真っ直ぐに前を見つめて歩くエリオスの横顔をそっと盗み見る。エリオスが少し笑いながら視線だけを投げて来た。
「……何? まだ何か聞きたいことがある?」
「あると言えば、あります……」
「今、気分がいいから答えてあげるよ」
「……。……以前、チャコがした質問ですが、エリオス様は何者なのだろう、と……」
エリオスは無言だった。答えようかどうしようか悩んでいる間だった。
やはり不躾すぎたか――と、前言撤回しようとしたところで、エリオスがロレナの反応を面白がるように微かに笑った。
「――人間と魔女のハーフなんだ、俺」




