51.××なんていない。②
”ノルニアなんて女神、いないんですから。”
その言葉がロレナの頭の中でぐわんぐわんと残響していた。
ノルニア教、そして女神ノルニアが常に傍にあったロレナにとってはその言葉は衝撃的で、すぐに飲み込むことはできない。当然、セレスティアーヌが言っていることは「女神は神話上の存在で、現在はいない」という意味ではないことは伝わってきている。
彼女はノルニアという女神の存在自体を否定しているのだ。
喉を震わせながら何とか声を絞り出す。
「セレスティアーヌ様、それはどういう……」
「二百年前。新王国樹立の際に、王室以外にも求心力のあるものが必要でした」
ロレナの動揺とは対象的にセレスティアーヌは一切の迷いなく、朗々と語りだす。
白で統一された室内には調度品以外にも絵画が飾られている。絵画は王国の成り立ちや聖女の存在、そして女神ノルニア――それらを描いたものが大半だ。何の変哲もない花畑の絵画もあるけれど。
教会関連の部屋と言うよりは、王室と教会の中間という印象を受ける。
セレスティアーヌは続けた。
「当時の現王には退いてもらい、彼の弟が王座に就きました。これには様々な意見がありましたが、元々兄弟は対立しており、現王である兄が”悪しき魔女”と懇意にすることへ度々苦言を呈していたのが弟でしたからね。妥当だったと思っています。他に国をまとめられる人間なんて見当たらなかったのも理由の一つです」
それは知っている。歴史書にも記されていることだからだ。
妙な緊張を感じながらセレスティアーヌの言葉を聞いていた。彼女の態度は一貫しており、ロレナに伝えることに躊躇いがない。むしろ楽しそうにすら感じるのだから妙な気分である。
楽しそうなのはリーネも同じことで――エリオスだけが不満そうな表情をしていた。
「そしてノルニア教。女神ノルニアから預言を受けたという聖女が立ち上げた宗教です。
当時は”悪しき魔女”を討ち滅ぼし、国を救った聖女は絶大な支持を集めていましたから否定的な意見はそう多くはなかったですね。反対派は元々別宗教の信徒や、王室至上主義者たちでした。
なので、他宗教に寛容であることと、王室からの後押しを貰いさえすれば、国に浸透させるのは難しくありませんでした」
セレスティアーヌの語り口はまるで、当時その場にいたようだった。
ロレナはぎゅっと拳を握りしめて控えめにセレスティアーヌを見つめる。
「……セレスティアーヌ様」
「はい、何でしょうか?」
「……まるで、二百年前そこにいたようにお話をされるのですね」
否定して欲しいと思いながら、恐る恐る口を動かした。
リーネの笑みが深まり、エリオスが静かに溜息をつく。
そして、目の前にいるセレスティアーヌは「ふふ」と楽しげに笑って、ゆっくりと頷いて見せた。
「ええ、その通りです。二百年前、私は魔女としてこの国にいました。
そして、ノルニア教はわたくしが作ったのです。生まれ育ったこの国を救うために必要でした」
拍子抜けするほどあっさりと彼女は認めた。
二百年生きていること。ノルニア教を作った張本人であること。
つまり、それは――。
「……あ、貴女が、魔女を倒して国を作った聖女、だと……!?」
「そうです。自分で言うのは恥ずかしいのですね。でも、事実なので否定はしません」
「でも――魔女、なんですよね……!?」
驚きのあまり言葉を選んでいられなかった。とは言え、セレスティアーヌは気にしてないように見える。頬に手を当ててもう一度「ふふふ」と恥ずかしげに笑った。
「はい。魔女が聖女を名乗り、魔女を名乗る半端者を倒しました。
でも、ロレナさん。魔女と聖女なんて、誰かが勝手に作り出した区別です。わたくしは当時、自分のことを魔女だなんて言いませんでした。相手も魔女でしたからね。
彼女を葬るためにどうしても両者の間に『差』が必要でした。もしくは善と悪という明確なレッテルが。
そして、『聖女』が『魔女』を倒すというわかりやすいストーリーが」
彼女の声と話し方にはついつい聞き入ってしまうような不思議な圧がある。同時に話に対する説得力もあった。
二百年という遠い昔の話で、彼女が本当のことを言っているという裏付けなどないのに――何故かそれが真実なのだと思ってしまう。
セレスティアーヌ自身が魔女であること、リーネとエリオスが黙って聞いていることも、話の真実味を後押しする形になっている。
何も言えず黙り込んだところで、セレスティアーヌが困ったように笑う。
「ノルニア教が根付いた国で育ったあなたにはショックな話かもしれませんね。
ですが、女神ノルニアも、ノルニア教も……国をまとめるために作り出されたモノ。信心や神話から生まれたものではありません」
――だから、女神ノルニアを”使って”いいし、”騙って”もいい。
そんな言葉が聞こえてくる。わざわざ言われずとも、それくらいは察した。
リーネがテーブルに頬杖をつき、こてんと首を傾げてロレナを真っ直ぐに見つめる。その視線を控えめに受け、居心地が悪くて視線を逸らしてしまった。
「ロレナちゃん。わたしが言ってた意味、わかった~?」
「……。……ええ、わかったわ。セレスティアーヌ様の話が嘘とは思えないから……。
リーネさんがノルニア様を使えば、と言った意味は……よく、わかったわ……」
言いながら、膝の上に置いた拳を堅く握りしめる。爪が皮膚に食い込むが、不思議と痛みは感じなかった。
視線を逸らし、テーブルに視線を落とす。
「仰ることも、意味も……わかります。けど、ノルニア教は私が生まれた時からずっと傍にありました。
現実にそんなものないのだから好きにしていい、と言われても――すぐには切り替えられません」
正直な気持ちだった。
これまで持ち続けてきたノルニア教徒としての気持ちや信心は一朝一夕のものではない。そこには母親との思い出もあるし、簡単に切り離すことはできなかった。
ロレナが俯いている傍で、セレスティアーヌとリーネは顔を見合わせて肩を竦めている。エリオスは無表情でありながらどこか心配そうな視線をロレナに向けていた。
やがて、エリオスが控えめに口を開く。
「……別に、あんたのこれまでを否定しようっていうんじゃないんだ。
伝えることで、あんたの選択肢が広がれば、ってだけの話だよ」
選択肢。その単語に、ゆっくりと顔を上げてエリオスを見た。心配そうな表情と視線がロレナに向けられている。
エリオスだって『知ってる側』だろうに、そんな風に心配するのが少しおかしかった。
その様子を見たリーネがニヤニヤと笑って目を細める。
「エリくんやさしーい。わたしたちには優しくしてくれないのに~」
「うるさい」
「ふふふ。エリオスの言うことも一理ありますね。
わたくしはあなたに真実を伝えましたが、女神ノルニアを信じる心を否定したいわけではありません。
それに――ノルニア教が、国民にとって心の拠り所になっていることが知れて嬉しいです」
セレスティアーヌが満足げに笑い、リーネが肩を竦める。エリオスは仏頂面になって溜息をついていた。
「……セレスティアーヌ様」
「何でしょう? 質問なら何なりと」
「いえ、そういうわけではなく……その、先程のお話はありがとうございます。勉強になりました。
ですが……なんというか、女神ノルニアを”使う”かどうかは、少し考えたいと思います……」
今すぐ決断は下せない。自分の気持ちと全く折り合いがつけられないからだ。胸をそっと押さえて、こわごわとセレスティアーヌに向かって言えば、彼女は笑みを深めた。その表情はまさに慈愛に満ちた女神のよう。
「ええ、もちろんです。あなたを苦しめたいわけではないのですよ。
むしろ逆、ロレナさんの力になりたかっただけなんです」
その言葉を聞いて、少しだけだが――肩の力が抜けたのだった。




