50.××なんていない。①
リーネの言葉の意味がわからず頭上に「?」をたくさん揺らす。そんなロレナを眺めるリーネはひどく楽しそうにクスクスと笑っていた。
「……ノルニア様を使う、って……どういう意味?」
『ほらぁ、イヴォンちゃんの夢に司祭のフリして登場したし、昨日のエルネスタちゃんの夢では男二人を動かしてたでしょ~? あんな感じで女神ノルニアを出せば良いんじゃない?』
その口調はとても軽く、ノルニア教の主神の話をしているとは思えない。時折「ノルニア様に怒られちゃう」などと冗談を言う人間がいるが、それと同じようなトーンで「出せば?」と言っているのだ。
家柄の都合でロレナもそれなりに敬虔なノルニア教の信者である。
簡単に「使う」「出す」などという判断はできない。
「それは流石に恐れ多いわ。流石に女神の名を騙るなんて……。
私自身がノルニア様に扮することも、ノルニア様を夢の中とは言え作り出すことも気が進まないわ」
リーネの案は確かにロレナの悩みを一気に解決してくれる。
女神ノルニアがアデルたちの罪を暴き、告白させ、罰を与える――。そんなストーリーがいとも簡単に頭に浮かんだ。女神ノルニアは穏やかで慈悲深い存在として知られているが、罪に対しては厳しい罰を与えるという一面も持っている。
とは言え、そんな扱いはできない。
しかし、困った顔をするロレナを見て、リーネはさっきからずっとおかしそうに笑い続けている。
何をそう笑うことがあるのかと怪訝に思っていると彼女はひらひらと手を振った。
『ごめんごめーん。でも、そうだよねぇ……フツーはそうなんだよねぇ……。
いや~、ノルニア教って本当に浸透したんだなぁ……できて二百年くらいか~……』
独り言にしては大きな声。完全にロレナに聞かせる話だった。
――二百年前。
悪しき魔女が旧王国を支配し、破滅に追い込んだ。聖女が現れて魔女に正しき裁きを下し、旧王国を救った。
女神ノルニアの使いだと名乗った聖女の下で旧王国は一度解体され、新王国が誕生する。その時に国教となったのが現在のノルニア教である。
それは誰もが知っている王国の成り立ちだった。
旧王国は一度解体したものの滅んだわけではない。新王国として生まれ変わったのだ。
リーネはまるで見てきたような口ぶりで目を細めている。
「……急にどうしたの?」
『いやいや~。ノルニア教も大きくなったな~って思っただけ。
女神も別にロレナちゃんに使われても怒らないんじゃないかな~。苦しんでる人を救うわけだし?』
「それはリーネさんの勝手な考えでしょう? ……教義は有り難く使わせてもらうけど、ノルニア様を使おうなんて思わないわ」
『う~~~ん、そっか~~~~……』
リーネは酷く悩ましい声を上げたかと思えば、突っ伏してしまった。何事かと思っていると『う~~~ん、勝手に言うのはやばいよなぁ。でもな~~~……』という悩ましげな声が聞こえてくる。
ロレナには何を悩んでいるのかさっぱりわからず、チャコと顔を見合わせてしまった。チャコも「どうしたんだろうね?」と不思議そうにしている。
「あの、リーネさん……? どうしてそんなに悩んでいるの?」
『わたしからロレナちゃんに言っていいか判断つかないことがあるんだよね~……。
ちょっと通信切るね。セレスちゃんとエリくんに聞いてくるから』
「えっ!?」
どうしてそこでセレスティアーヌとエリオスの名前が出てくるのか。問いただす時間もないまま「後でね~」と言ってリーネが通信を勝手に切ってしまった。
暗くなった画面を見て、口を半開きにして呆然とするしかない。
横ではチャコが首を左右に揺らしている。
「……何だったんだろうね?」
「わ、わからないわよ……」
その後、何故か『話は、夜改めて』と連絡があり、何が何だかわからないまま話は終わってしまった。
リーネから再び連絡があったのはその日の夜のこと。
◇ ◇ ◇
(……な、なんでこんなことに……!?)
ロレナは自分が置かれた状況を処理できず、カチンコチンに固まっていた。
やたらと広い部屋の中。
白で統一された壁や天井、調度品が神聖で静謐な空気を作り出している。
そんな緊張感の高まる部屋の中央にある円卓を四人で囲っていた。
ロレナとリーネ、そしてエリオスと――セレスティアーヌの四人。
リーネの傍には最初に会った時に見た黒い猟犬、セレスティアーヌの傍には白い梟がいた。恐らく猟犬と梟は二人の使い魔なのだろう。
「ロレナさん、お呼び立てしてごめんなさいね。でも、丁度良い機会だったわ」
「……い、いえ」
小さく首を振ることしかできなかった。
――リーネから連絡があり、「今ヒマ?」と聞かれて「時間ならあるわ」と答えたのがまずかったようだ。あれよあれよと言う間に転移の魔法陣が敷かれ、理由もわからぬままにリーネの指示に従っていたらここに来ていたのである。
ここがどこなのか、誰の部屋なのか、何もわからない。
事態についていけないロレナをよそにセレスティアーヌはにこにこしながら口を開く。
「ロレナさん、リーネから聞きましたよ。あなたは――」
「ちょっと。あんたは自己紹介からじゃない?」
「ああ、そうですね。うっかりしていました。もう知り合いの気分でしたので」
セレスティアーヌは鈴の転がるような声で楽しげに笑い、多少申し訳なさそうにして見せる。が、その様子があまりに軽い。エリオスが呆れたようにため息をついていた。
コホンと咳払いをしてから、セレスティアーヌは胸に手を当ててロレナを真っ直ぐに見つめる。
「申し遅れました。わたくしはセレスティアーヌ・オッペンハイマー。ノルニア教の今代女教皇を務めております。
そして、あなたやリーネと同じ魔女です。同じ魔女同士、何か力になれるだろうと思っております。
遠慮せず、ぜひ相談してくださいね。今後とも宜しくお願いいたします」
滑らかに言い終わるとセレスティアーヌは静かに頭を下げた。
ロレナは緊張しつつ、同じように頭を下げて彼女を見つめる。
「……ロレナ・シュタールベルクです。よろしくお願いいたします……」
他にも何か言うべきことはあっただろうに、それ以外の言葉は出てこなかった。エリオスとリーネが「それだけ?」と言う顔をしているがただ口を閉ざす。
これ以上何も言わないと察したセレスティアーヌがにこりと笑みを深める。
「――さて、早速本題ですが、あなたの復讐のことはリーネから聞いています。
それで色々とお悩みであると……女神ノルニアを使うことをリーネが提案したそうですが、お断りしたそうですね」
「は、はい。流石にノルニア様を”使う”だなんて……」
「ふふふ。女神ノルニアへの信心や神聖姓、そして畏怖……それらが王国民に根付いていることは非常に嬉しく思います。ですが、それが足枷や障壁となるのは望んではいません。
ロレナさんは魔女なのですから、気にしなくても結構ですよ。使えるものは使ってください」
女教皇自らこんなことを言うなんて――。
小さくはない驚きとともにセレスティアーヌをまじまじと見つめる。彼女はロレナの不躾な視線を受けながらもにこにこと気分良さそうに笑っている。ちらりと視線を動かせば、エリオスはどこかつまらなさそうにしているし、リーネは明らかに状況を楽しんでいるようだった。
ロレナはゆっくりと首を振り、ぎゅっとスカートを握りしめる。
「セレスティアーヌ様自ら後押しをいただけるのは嬉しいのですが……やはりノルニア様に申し訳なくて……」
もう一度理由を告げる。これがロレナの本心だった。
生まれてからずっとノルニア教と女神ノルニアはロレナの生活の一部としてあった。救ってくれないことを疎んだこともあるけれど、だとしても女神ノルニアに対する気持ちは変わらない。
セレスティアーヌがゆっくりと頷いた。わかると言いたげに。
「良いんですよ、申し訳なさなんて感じなくて。だって――ノルニアなんて女神、いないんですから」
「…………え?」
笑顔のセレスティアーヌ。その笑顔が何だか恐ろしく感じられ、喉がやけに乾いた。
――ノルニアなんて女神はいない。
彼女は確かにそう言った。聞き返そうとも恐ろしくて言葉が紡げない。
まるで、禁忌に触れているよう。
楽しげなリーネの視線、セレスティアーヌの笑顔、そしてエリオスの気怠げな表情。
それらに囲まれながら本当にこの話を聞いて良いのかと自問自答しながらも身動き一つできず、ただその場で凍りつくのだった。




