48.魔女の復讐網
「ま、待ってくれ!」
ぐんっ! と、体が後ろに引っ張られる。
テオドールが後ろから腕を引っ張ったのだ。完全にサヨナラするつもりだったので不意打ちすぎて肩が抜けるかと思った。実際、ビキッと変な音が聞こえた気がする。
不愉快さを隠すことができず、ジト目でテオドールを振り返った。腕は掴まれたままだ。
「……まだ何か?」
誰が聞いてもわかるくらいに刺々しい声だった。
コニーがピクリと肩を震わせる。だが、傍にいて何も言わずにいてくれることが有り難かった。人の目があることで辛うじて体裁を保つ程度の振る舞いができるからだ。
テオドールの手に力が入り、掴まれた腕が微かに痛む。緑色の瞳が揺れ、ロレナを見つめている。
「せ、折角会いに来たのにこんな風に追い返すなんてあんまりじゃないか?!」
「突然来られても私だって予定があるので困ります。先程も申し上げたように事前にご連絡ください」
実際のところ予定らしい予定などないが、だからと言ってテオドールと時間を共にするなんてごめんである。それこそ事前に連絡をもらい、ある程度の心の準備をしたいものだ。
冷たく言い放ち、彼の手を振り払う。が、強く握られているため簡単に振り払うことができなかった。
心の中で盛大に舌打ちをしてから、もう一度腕を揺らした。
今度は周囲に気付かれないように魔力を使い、彼の手を無理やり引き離してしまう。テオドールの手があっさりと解かれ、本人は一体何が起きたのかわからないとばかりに自分の手を見つめていた。
――少しやりすぎだったかもしれない。しかし、四属性の魔法が基礎だと教えられてきた貴族が魔力を魔力として使うなんて発想はないはずだ。
「とにかく。私はテオドール様とお話することは何もございません。お帰りください」
「し、しかし、ロレナ――」
「私から両家に話をした方が宜しければ、そのようにいたします。
幸運にも教会関係者とも親しくなりましたし、教会を通じて正式な場を設けることを検討しても良いかもしれません」
淡々と言えば、テオドールの顔がさっと青褪めた。
ロレナの脳裏にはリーネ、シャディク、そしてエリオスの顔が思い浮かんでいる。リーネは少々毛色が違うが教会関係者と括っても問題ないだろう。
ノルニア教は家族の絆を重んじる。
これから家族になろうとする婚約者同士の話だって尊重してくれる。侯爵家同士の婚約で、しかもそこに不和が生じていると聞けば無視もできないだろう。
しかし、正式な場を設けるということはテオドールとアデルのことが周囲に知れ渡るということだ。当然、テオドールとしては体裁が悪いため、何とか避けたいに違いない。
案の定、テオドールは悔しそうな顔をして一歩下がった。
「ロレナ。君はいつからそんな風に……」
テオドールはまるで被害者のような顔をする。まるで、想い人にフラれてしまったかのような――。
そんな彼に苛立ちながら目を細める。
「ずっと我慢していただけです。そんなこともお分かりにならないのですか?」
「我慢……?」
「何度も言いますが、とにかく私は貴方と話をしたくありません。顔も見たくありません。
どうしてもと仰るなら、きちんと筋と礼儀を通してください。
それが最低限です。――では、今度こそ失礼しますわ」
やや早口で言い切ってから、スカートの裾を持ち上げて礼をする。
呆然とするテオドールを置いて――今度こそ、その場を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
部屋に到着するなり、どかっとソファに腰を下ろす。コニーもいる前で淑女らしくないとわかっていながら我慢ができなかった。
コニーはオロオロした様子でロレナを見つめている。
「……ロレナお嬢様。あの、その、なんというか……お疲れ様でした。お茶でもお入れしましょうか?」
「ええ、そうね……お願いしてもいいかしら? どっと疲れてしまったから甘いお茶がいいわ……」
「はいっ! 少々お待ちくださいませ!」
返事を聞いたコニーは安堵とともに元気よく返事をした。
ひょっとしなくても、テオドールにしていたような態度をコニーに取ると思ったのだろうか。ロレナが苛立っていたのはあくまでもテオドール個人に対してのみだ。コニーが傍にいたからこそ冷静でいられたし、終わった後もこうして気遣ってくれることに感謝している。
コニーが甘い香りのするお茶を入れてきて、そっとテーブルに置いた。
ゆっくりと身を起こしてコニーを見る。
「ありがとう、コニー。良かったら貴女も飲まない?
あんなのに付き合わせてしまって申し訳ないから、そのお詫びに」
「お詫びだなんて! お気遣いいただきありがとうございます。でも大丈夫です。
ロレナお嬢様のために入れたので、どうかお嬢様がお飲みください」
「……そう。いずれ付き合ってくれると嬉しいわ」
”お嬢様のために”という言葉にくすぐったさを覚える。小さくはにかみながらティーカップを手に取った。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、心が落ち着いていく。さっきの苛立ちが溶けていくようだった。
「美味しい……。コニーの入れるお茶、好きだわ」
「えへへ、ありがとうございます。嬉しいです」
ほわ。と、コニーが照れくさそうに笑う。その笑みを見て、更に気持ちが落ち着いた。
ようやく一息ついたところで――テオドールのこともどうするのか、考える必要性があると感じた。ただ復讐をして婚約解消をすると漠然と考えていたし、婚約解消自体は難しくないと考えていたのだ。まさかテオドールが関係を継続する気だとは思わなかった。
ティーカップを置き、コニーを見る。
「コニー、戻っても大丈夫よ。何かあれば呼ぶわ」
「わかりました。では、失礼いたします」
ロレナが普段通りの様子に戻ったからか、コニーは朗らかに頷いた。
コニーが部屋を出ていった後――ロレナは窓の外へと視線を向ける。ひょこっと顔を出したのはチャコだ。チャコは器用に窓を開けて部屋に入り、ソファに上にトンっと降り立った。
「チャコ、お帰りなさい。どうだった?」
「ただいま~。本当に寝てるだけだったよ。でも、色々とブツブツ言ってた」
「ブツブツ……?」
「ちゃんと聞いてもらった方が良いかもね。ちょっと待ってて」
そう言うと、チャコはいつも使っている鏡を咥えてソファの上に戻ってくる。
テーブルに置かれた鏡を覗き込むと、布団を頭まで被っているエルネスタが映し出されている。どんな顔をしているのかは見えなかったが、エルネスタの声が聞こえてきた。
『な、なんだったの、あの夢は……途中までいい気分だったのに、あんな、あんな――!』
ロレナは顎に手を当てて目を細める。
ただの変な夢、悪夢だと思ってくれれば良かったのだが、エルネスタにとってはショッキングな夢だったようだ。最初はともかくとして、シャンデリアに圧し潰されたのがショックだったのだろうか。
『あれは、本当にただの夢……? あんな誘導尋問みたいな……あのことは絶対に言わないってベルトランと約束したのに……夢じゃなかったら絶対言ってないはずよ。夢、……夢でいいのよね? 本当に……』
(ふぅん。夢のことを疑ってるのね。でも、私とは絶対繋げられないわ。
悪夢を見せる魔法だなんて――魔女のことを知らなかったら辿り着けないもの。精々怯えてろよ、淫乱ババァ)
夢の内容が露呈することはない。本人が言うか、ロレナが何かしない限りは。だから、こうやって勝手に苦しんでくれるなら願ったり叶ったりだ。
「どう?」と首を傾げるチャコを見て、その頭を優しく撫でる。
「ふふ、ありがとう。チャコ。十分よ。……あら?」
鏡の中のエルネスタがもぞもぞと動き、まるで胎児のように丸まった。そして「痛い、体が……」と呟いている。どうやらシャンデリアに圧し潰された影響が全身に出ているらしい。それを見たロレナは冷たい目で鏡を見つめ、愉快そうに笑った。
チャコが彼女を見上げて「良かったね」と明るく笑い、ロレナは満面の笑みで「ええ」と答える。
魔女と使い魔の共犯関係――それを体現するかのように、視線が絡み合うのだった。




