47.ナルシス婚約者の論説
(あれから一切顔を見せなかったのにいきなり何!?)
突然姿を見せた婚約者に苛立つ。
単純に彼が突然現れたからではない。あの時の裏切りに加え、これまでの彼の態度やロレナに対する不誠実な振る舞いなどを思い出したからだ。
先触れもなしに屋敷を訪れることなど日常茶飯時。することと言えば、新しい馬を買っただの、貴族令息の集まりで一目置かれているだの、どこぞの令嬢から声をかけられただの――とにかく自慢話ばかりだった。しかもロレナの意思などお構いなしに自分のしたいこと、行きたいところばかりを優先し、ロレナのことを気にすることもなかった。
それでも以前のロレナにとってはこのクソみたいな環境から連れ出してくれる王子様に見えていたのだ。
今更ながら馬鹿馬鹿しい妄想である。
ウルティア侯爵家に嫁いだとしても、今と然程変わらなかったはずだ。見下してぞんざいに扱ってもいい存在として、肩身の狭い思いをしたに違いない。
(ああもう。なんで、こんな男を一時でも『王子様』などと思っていたのかしら……!
自分をぶん殴りたいし、今もこの男のナルシスト顔を原型が残らなくなるくらいにボコボコにしてやりたいッ……!)
溢れ出る気持ちを抑えつけるようにぎゅっと握り拳を作る。
そして、自分を落ち着ける意味も込めて、静かに深呼吸をしてから拳を解く。スカートの裾をつまみ、丁寧に礼をした。
彼の相手をしていたメイドに目配せをすれば彼女は意図を察して静かにその場を後にする。廊下にいるのはロレナとテオドール、そしてコニーだけだ。
「御機嫌よう。今日はどのようなご用件でしょうか? 特にお手紙などは頂いていなかったと思いますが……」
「何を言うんだ。俺達は婚約しているだろう? わざわざ手紙なんて他人行儀じゃないか」
「親しき仲にも礼儀ありと言いますわ。ウルティア侯爵家の長男であるテオドール様が婚約者どころか礼節を重んじないなんて噂が立ったら困るのではないでしょうか」
表面上は笑顔を崩さずに言えば、テオドールが一瞬怯んだ。以前のロレナであればここまではっきり言えなかったし、言えたとしても「せめてご連絡ください」くらいだっただろう。まさか遠回しに「礼儀知らず」などと言われるとは思ってなかったはずだ。
テオドールは瞬きをして、ロレナをまじまじと見つめる。本当にロレナかどうか確認をするように。
その様子をじーーーっと見つめ返せば、ハッと我に返ったテオドールが腰に手を当ててわざとらしく咳払いをした。
「あ、ああ。それはそう、だな。……うん」
わかったのかわかってないのか、はっきりしないセリフだ。
コレで他の人間に対してはきちんと接しているのだから笑ってしまう。伺いの手紙も出すし、必要に応じて贈り物などもしているそうだ。ロレナに対してはそんなことは一切しなかった。つまり、とことん舐められているのだ。
「次からは気を付けてくださいませ。……まぁ、次があるかどうかは知りませんが」
「はっ? な、何を言っているんだ。俺達は――」
「ところで。何のご用ですか?」
(お前の口から婚約者だなんてセリフ聞きたくねぇんだよ。こっちは一刻も早く解消してぇっつうの!)
心の中で毒気づきながらニコニコと笑みを浮かべて、強い口調で「ところで」と相手の言葉を遮った。
テオドールがまた驚いた顔をしている。これまで、テオドールがロレナの言葉を遮ったり無視をしたり聞いていなかったことはあるが、逆はなかった。だから驚いているのだ。
返事はない。ロレナはすうっと目を細めて、テオドールを無感情に見つめる。
「テオドール様。ご用件をどうぞ」
「え? ぁ、い、いや……どうしているのか、と思って……」
「この通り元気にしておりますわ。――そんなことよりも、テオドール様にはすべきことがあるのではないですか?」
「すべきこと……?」
困惑した表情を見て、ロレナは深く大きく溜息をついた。コニーは石のように動かず、静かにしている。
(このナルシスト野郎。自分のしたこと忘れたのかよ! ニワトリの方がまだ記憶力いいんじゃねぇの?!)
内心ひどく苛々しながらも表に出さないようにする。ここで怒鳴ったり怒りを露わにするのは得策ではない。
どうせやるならチクチクと厭味ったらしくするしかない。
「あら。では、私ではなくアデルに会いに来たのでしょうか? まぁ当人同士でしっかり話をするのは大切ですものね。じゃあアデルを――」
「ま、待ってくれ! 違う、俺はロレナに会いに来たんだ」
コニーにアデルを呼ばせようと振り向いたところで、腕をテオドールに掴まれてしまった。舌打ちしたくなるのを、彼の手を思いっきり振り解きたくなるのを、どうにかこうにか堪えた。しかし、彼に触れられている不快感は消えはしない。
眉を顰めてテオドールを睨む。穢らわしいものを見るような目になってしまったことはどうしようもなかった。
「今ここでお会いしましたわ。これで用件はお済みでしょうか?」
「は?! いや、そんなわけないだろう?! 俺は、話を」
「私には! 貴方と話すことなど何もございません。早くお帰りください」
堪えきれずに声を荒げてしまった。
テオドールの全てに苛々している。彼に期待していた過去の自分にも、今の状況にも――とにかくムカついてしょうがない。
しかし――。
どうやら彼は今のロレナの言動をそうとは受け取らなかったらしい。
ぽかんとした後、ふっと笑ったのだ。
「……ロレナ。あの時のことをまだ気にしているのかい?
確かに俺にも悪いところはあった。もっと婚約者である君を気遣うべきだっただろう。
けれど、それは君だって同じだ」
ぽかんとするのはロレナの番だった。それまで石のようにしていたコニーも目を丸くし、口をあんぐり開けている。
テオドールは二人の反応など目に入っていない様子で、前髪をかき上げて大げさに首を振っていた。
「アレはただの行き違いさ。君と俺が婚約しているという事実は変わらない――……。
君だって言っていただろう? 家同士の大切な約束事だと……反故にするなんて有り得ないのさ。もちろん考えなければいけないことは存在するが、今は君との関係改善が最優先なのさ」
別の生き物でも見るかのような目でテオドールを観察してしまった。彼が何を言っているのかさっぱりわからないのだ。
しかし、アデルとのことがありながらこんなことを言い出すのは意味不明だ。あの時はすぐにでも婚約を解消するかのような勢いだったのに。
(……ああ。ウルティア夫妻に何か言われたのね。多分本当のことは言ってないでしょうけど……。
シュタールベルク家とウルティア家の婚約は王室が歓迎していたもの。醜聞なんて許せないはずよ。アデルとのことはさておき、とにかく私との婚約を続けたいのね。……ハッ、こっちはさっさと解消したいのに呑気なもんだなクソ馬鹿野郎)
彼には弟がいる。ウルティア家を継ぐのは目の前にいるテオドールだが、何かあれば弟に継承権が移ってもおかしくはない。テオドールだって馬鹿ではないのでその可能性に気付いて、体裁を整えようとしているのだろう。気付くのが遅すぎるが。
しかし、テオドールに婚約を続ける気があるのは厄介だ。
心の中で百回は舌打ちをし、想像の中でテオドールをボコボコにしていた。
ふ、と息を吐き出してテオドールを静かに見つめる。
「……テオドール様」
「何だい? マイスイート」
(ぅわ、さっむ……キモチワル……)
「それ、本気で仰っているのですか?」
「え……」
「本気で関係の改善を望んでいるのであれば、より一層礼儀を重んじるべきでは?
先触れなしの訪れなど言語道断。ましてや他の女性との関係を清算もせずに、なんて……流石に私を馬鹿にしすぎでしょう。問題が正しく解決されるまで、お会いしたくありません。きちんと両家に話を通してくださいませ」
早口で言い切ると、「失礼」と言ってテオドールの横を通り過ぎる。
コニーが慌てて後を追ってきて、チラチラと背後を気にしていた。ロレナに言い返されたことがないテオドールの魂が抜けたような顔は見もので、声を押し殺して笑うのが大変だった。




