46.忘れた頃にやってくるのは、
翌朝。
コニーが部屋に来て、支度が終わった後――小瓶を差し出した。
ロレナが差し出した小瓶をしげしげと眺めた後、不思議そうに首を傾げるコニー。
「……こ、これを、私に、ですか?」
「ええ。ぜひ貰ってほしいの。いつもちゃんと仕事をしてくれるお礼よ」
にっこりと笑って言えば、コニーが目に見えて動揺する。わたわたと顔の横で両手を振っている。
「っそ、そんな! お仕事ですから、当然というかなんというか……!」
仕事だから当然。コニーはそう言うが、ロレナにとってはそうではなかった。
途中で解雇された侍女はともかくとして、これまでのメイドの中に仕事をちゃんとしようとする者はいなかったのだ。ロレナが屋敷の中で虐げられていると知れば、わかりやすく手を抜いた。そしてアデルとエルネスタに加担して嫌がらせをするようになるまでそう時間は掛からなかった。
シュタールベルク家に仕える以上、女主人であるエルネスタ、その娘であるアデルの言うことを聞くことが彼女らなりの処世術というのは理解している。
しかし、それを許容できるかどうかはまた別問題だ。
そして、そんな境遇にいたロレナにとってコニーがどれだけ有り難い存在か――きっと彼女は想像もしないだろう。ロレナが二人に対して強く出られるようになったという背景があるにしても。
「ひょっとして……気に入らない?」
中に黄色いドライフラワーが入った小瓶。与える物としてはややインパクトに欠ける。もっと高価なものを用意すべきだったかと内心慌ててしまった。
ロレナの表情がよほどしゅんとして見えたのか、コニーが目をまん丸にして首をぶんぶんと振る。
「いえ! そんなことないです! ロレナお嬢様が小瓶をああやって飾ってらっしゃるのを見て、いいなって思ってました。
……あの、あの、本当にもらってしまっていいのかな、って……他の人たちから、何かもらったって聞かないので……」
(ああ、なるほど。アデルもエルネスタもメイドに何か与えたりしないのね。全部自分のものって発想だから、あげたとしてもせいぜい食べきれなかったお菓子くらいでしょう)
確かに二人がメイドに何かあげたという話は聞かない。せいぜいアデルが侍女のデリアにお古を渡す程度だろう。
ロレナは少し考え込んでしまった。
こういう背景があるとコニーは受け取りづらいのかもしれない。屋敷内でロレナの評判を良くすることも考えたいが、その前にコニーが他のメイドたちにやっかみを買ってしまうかもしれない。
ものを与えるのも一苦労だ。
ロレナが悩んでいると、チャコが小さな袋を咥えて足元にすり寄ってきた。「にゃーん」と猫らしく鳴いて、ロレナを見上げる。
「あら、チャコ。これは……ふふ、ありがとう」
「チャコちゃん……?」
ロレナは屈んでチャコから袋を受け取る。以前、お菓子を買った時の袋だ。可愛かったのと、ちょっとしたものを入れるのに便利で取っておいたものだった。
袋を受け取ると、その中に小瓶を入れてそっと閉じる。
こうすれば、中にはお菓子が入っているようにしか見えないだろう。
「これなら私が何かあげたなんて思われないでしょう?」
「は、はい、そうですね……?」
「部屋の引き出しにでも入れておけばいいわ。実家に帰る時に連れて行ってちょうだい」
そう言ってから小瓶が入った紙袋をコニーに差し出した。
コニーはひどく迷った様子だったが、おずおずと手を伸ばして静かに受け取る。爆発物でも入っているのかと思うほどに、静かでおっかなびっくりの手つきだった。その様子に少し笑ってから軽く微笑んだ。
「良かった。受け取ってくれて……」
「ありがとうございます、ロレナお嬢様」
「大したものじゃなくて申し訳ないけど……」
「じゅ、十分です。私のお給料では手が出ないものなので……嬉しいです……」
コニーは紙袋を抱き締め、ペコペコと頭を下げる。
少しだけだが、コニーの頬が赤い。決して嫌がられているわけではないとわかって内心安堵した。
ロレナから誰かに何かをあげるなんて、幼い頃に母親に花を渡したくらいだ。どうやら少し緊張していたらしい。
「……そう言えばコニー。今日、アデルとお義母様はどうしてるのかしら?」
軽く咳払いをしてから問いかける。コニーは眉を下げて少しだけ困ったような顔をした。
「それが……アデル様は普段通りなのですが、エルネスタ様はご気分が優れないと言うことで部屋に籠もられています」
「あら……」
口角が上がるのを隠すようにして口元に手を当てる。
小さく深呼吸をしてから、心配をしているような表情を作った。
「どうかしたのかしら? 何か聞いてる?」
「私はエルネスタ様のお世話をすることはないので詳しくはわかりません。
ただ、誰にも会いたくないと言っているそうです」
「そうなの。心配だわ……」
美しい青年たちに囲まれてチヤホヤされ、最後にはシャンデリアに潰される夢――。
一体エルネスタにどんな影響を与えたのだろうか。夢の中とは言え、ベルトランとともにイヴォンを使ってテレジアを毒殺したことへの告白もどう思っているのか気になる。
ロレナは足元にいるチャコを一瞥した。チャコは「にゃん」と小さく鳴いて、足音を立てずに部屋から出ていった。
「アデルはいつも通りなのね?」
「はい。エルネスタ様のことは心配していますが……」
エルネスタ自身が「誰にも会いたくない」と言っているのであれば、アデルとてどうしようもないのだろう。普段からべったりな母娘関係を見ていたせいでエルネスタがアデルにも会いたくないと言うのが新鮮だった。
しかし、チャコからの報告を待つ必要がある。
ロレナは一息ついてから、ゆっくりと歩き出した。
「いちいち運んでもらうのも申し訳ないから食堂へ行くわ」
「わかりました!」
そう言ってコニーとともに部屋を出た。
扉を閉める時、ドアノブの魔力を纏わせておく。鍵もかけているのだが、誰かが入ろうとしたかどうかを確認するための魔法だった。魔女になってからというもの、こんな感じでありとあらゆることに魔法を使うようにしている。
人間だった時と比べてできることがとても多い。魔力の消費が許す限り何でもできそうな気がする。
とは言え、万が一勘付かれると面倒なので普通の人間が感知できない程度の魔法に限られるのが難点だった。その気になれば部屋へ誰も入れないようにすることも可能だが――流石に怪しすぎる。
食堂で会ったエルネスタの世話をしているメイドに「お義母様の体調はどう?」と聞いてみるが、情報はコニーと同等だった。「とにかく一人にほしい」と言っているらしい。
何かしら情報があるかと思って部屋を出てきたのにガッカリである。
やれやれと溜息をつき、食事を終えて食堂を出て行く――。
ふと、玄関の方が騒がしいことに気付いた。
「何かあったのかしら……」
何か来客でもあるのだろうかと思い、玄関の方へと向かう。
コニーが適当なメイドを捕まえて「どうかしたんですか?」と聞いてくれた。
「そ、それが……」
メイドはおろおろした様子でロレナを見て、そして玄関に続く廊下を見た。
瞬間、その表情が驚愕に包まれる。
「お待ちください、勝手に入られては――!!」
「婚約者の顔を見に来ただけだよ」
聞き覚えのある声に目を見開く。
我が物顔で廊下を歩いてくる茶髪の青年。
(……どうして、急に……!?)
”あの時”のことをフラッシュバックし、怒りと屈辱が全身を支配する。無意識に拳を強く握りしめ、わなわなと震わせた。手のひらに爪が食い込むが痛みを感じることすらできない。
逃げよう、と足を動かした時には既に遅かった。
「ああ、ロレナ。久しぶり。元気だったかい?」
「……テオドール様」
憎々しげに婚約者の名前を呼ぶ。
彼は忌々しいくらいに晴れやかな顔をして、ロレナを見つめていた。




