39.見誤ったバランス
朝日が昇り、カーテンの隙間から明るい日差しが射し込んでくる。
赤くなってしまった目元を鏡で見て苦笑してしまった。こんな顔で外に出るわけにはいかないので水魔法で濡れタオルを作り、それを目元に押し当てた。
しばらくはそうしてベッドに腰掛けたままぼんやりとしていた。
(……そう言えば、コニーが来ても良さそうなのに来ないわね)
この時間であればコニーが来ていてもおかしくはない。
何かあったのだろうかと濡れタオルを取り、扉の方へと視線を向ける。時間的にも「おはようございます」と言いながらカーテンを開けてくれる頃合いだった。
まぁ特に予定もないし――と思ったところで、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。
「ロ、ロレナお嬢様! おはようございます、遅れてしまってすみませんっ……!」
コニーはノックもせずに慌てて飛び込んできた。
慌しい様子にくすりと笑いながら、肩で息をするコニーへと視線を向ける。
が、その表情はどこか浮かない。
「コニー? どうしたの?」
「そ、それが――……」
コニーは暗い表情をし、胸の前で手を組んで視線を落とした。
「……今朝、メイド長が馬車に轢かれて亡くなったそうです……」
「……え?」
何を言われたのか分からず、間の抜けた声を上げてしまう。
コニーが嘘を言っている様子はない。辛そうに表情を歪め、口を引き結んでいた。
(イヴォンが、亡くなった? 馬車に轢かれて……?)
何故。どうして。当然のように沸き起こる疑問。
イヴォンが死ぬなんて予想すらしておらず、ただただ混乱してしまった。
無言のまま、静かな時間が過ぎていく。外から聞こえる鳥の囀りはあまりに長閑で、人の死というものを遠くに感じさせる。
ロレナは手を握りしめ、暗い顔をしたままのコニーを見つめた。
「それは、本当なのね……?」
「はい、軍の方が身元の確認いらしたので……間違いないです……」
「……そう。何か言ってた? 事故の原因とか……」
「それが――……」
コニーは言いづらそうに口を閉ざす。相変わらず暗い顔をしていることから、身近な人間が亡くなったのは初めての経験なのだろう。ショックなのが見て取れた。ロレナにとってもショックはショックだが、それだけだ。
彼女は目を閉じ、静かに溜息をつく。
「……目撃していた方がいらして、その方が言うには……普通じゃない様子で、ふらふらと自ら馬車の前に飛び出したと……」
「馬車に前に飛び出した……? 自分から……?」
目を見開いて繰り返せば、声が震えてしまった。
辛そうなまま、こくりと頷くコニー。
自ら馬車の前に飛び出した、ということは事故ではなく、自殺の可能性がある。それがコニーの表情を暗くしている原因の一旦でもあったのだ。
信じられなかった。あの図太いイヴォンが自殺を図るなんて――。
同時に不快感が襲ってくる。
その不快感を悟られないようにロレナはゆっくりと深呼吸をして、コニーに微笑みかけた。
「それが本当だとしたら辛いわね……コニー、今日は休んでても良いわよ」
「え? そ、そういうわけには……」
「屋敷内がきっとバタついているでしょうから、他の皆を手伝ってあげてくれる?
私もショックが大きいから今日は部屋でゆっくりしているわ。……ああ、食事だけ運んでくれると助かるわね」
そう言ってコニーの肩を優しく撫でれば、彼女は控えめに頷いた。
「ありがとうございます。すぐにお食事をご用意します。……で、でも、何かあればすぐにお呼びください」
「ええ、ありがとう。よろしくね」
コニーは深くお辞儀をしてから部屋を出ていく。
それを笑顔で見送ったのち――ロレナの表情は無になった。
どさりとベッドに倒れ込み、ぎゅうっとシーツを堅く握りしめる。それまで静かにしていたチャコがひょこっとロレナの顔を覗き込み、不思議そうに首を傾げた。
「……逃げられたわ」
「え?」
「イヴォンよ。まさか死んで逃げるなんて思わなかった……!」
憎々しげに言い、ベッドを叩く。弾力性のあるベッドを叩いても何の音も、何の衝撃もない。
手応えのなさだけがロレナを襲う。
(死ぬなんて……! あれくらいで!?
イヴォン、私に何をしたのか、お母様に何をしたのか忘れたの?!
お母様のことは白日の下に晒して正当な罰を受けさせようと思ったのに……なんで……なんでッ!!!)
襲ってくるのは悔しさと怒りばかり。まさか自ら死を選ぶなんて考えもしなかったからだ。
――ロレナ自身も死を選んだが、それは未来に絶望したから。
まさかイヴォンも未来に絶望したのだろうか。
だが、彼女が何に絶望したのかが全くわからない。そのことがロレナを困惑させる。侯爵家でメイド長という座を手に入れて、ベルトランと不倫したり、形見のアクセサリーを盗んだりを好き放題していたのに、一体どうしてという疑問ばかりが湧いてくる。
ひたすらベッドを叩き続けた。
(イヴォンにはまだ聞きたいこともあったのに……!)
胸のモヤモヤは消えないどころか、どんどんと膨らんでいく。
コニーが用意してくれた食事も味がせず、ただ胃の中に流し込むだけの作業になってしまった。
実験なんて悠長なことを言ってないで、もうさっさと何も考えず全員に復讐をしてしまおうか――。
食事を終え、もう一度ベッドに逆戻りしながら短絡的な思考に陥る。
すると、リーネから貰った通信コンパクトがチカチカと点滅しているのが見えた。青色の光だ。
何も考えずにふらふらとベッドから降りて、コンパクトを起動させる。ベッドに縁に腰を下ろし、コンパクトを見つめた。
「……リーネさん?」
『や、シュタールベルク嬢。おはよう』
予想に反してコンパクトから聞こえた声、そして映し出されたのはエリオスだった。
「……え、エリオス、様……? 何故……?」
驚きのあまりコンパクトを取り落としそうになる。目を見開き、コンパクトを凝視した。
ロレナとは違い、エリオスは普段通りの冷たい表情をしている。
『シトロン嬢から聞いたんだ。通信機のことと、……今朝君の復讐相手が死んだ、って』
「……リーネさんから?」
『ああ、お節介にもね。――シュタールベルク嬢が気落ちしてないか心配してたよ』
心配という言葉に目を細める。昨日の悪夢の様子をリーネも見ていたからこその心配なのだろう。リーネがシュタールベルク家のことをどこまで知っているかはわからないが、昨日の悪夢を見ればある程度わかるだろう。
エリオスは相変わらず淡々としており、彼が心配をしているとは思えなかった。
だが、不意にエリオスが視線を伏せる。
『……こないだ、言ったよね。バランスを見誤って相手に逃げられないように、って』
「はい……」
別れ際の言葉を思い出す。確かに同じことを告げられていた。その時は逃げられるはずはないとあまり本気にはしてなかったのだ。
『まさにこういうことだったんだよね。
……復讐を恐れた相手が逃げるために死を選ぶ可能性に気を付けて欲しかったんだ』
「え――」
言葉を失い、視線を伏せるエリオスを凝視する。
彼の言葉を心の中で反芻し、イヴォンが死んだ理由が不意に腑に落ちた。
昨夜の悪夢の最後、彼女の頭部を叩きつける瞬間に目が合ったのを覚えている。イヴォンは間違いなく悪夢の中にいた『女司祭』がロレナだと気付いたのだ。これからも続くだろう悪夢から逃れるために死を選んだのだ。――これ以上酷い目に遭うくらいなら、いっそ死んだ方がマシだと、恐怖に支配されての行動だった。
ぎゅ、とコンパクトを握りしめる。
「つまり……私はやりすぎた、ということでしょうか」
『あんたが具体的に何をしたのかは知らないけど、そうなんじゃない?
でも安心しなよ。俺より全然マシだから。――俺が何かする前に復讐相手全員が仲良く首を吊った俺に比べれば、ね』
エリオスが顔を上げて軽く笑った。
思い出したくもない辛い過去を嘲るような雰囲気があって、すぐに反応できない。
(……復讐相手が、全員……?)
ロレナの復讐が見たいと言ったエリオスの照れくさそうな顔を思い出す。
その理由が今の発言で理解できてしまい、今度はロレナが視線を伏せる番だった。




